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19 きみとおなじもの の持ち物の大半は町で売ることはできないと判断されたが、売る場所を選べばなんとかなるかもしれない、というきり丸の意見で、硬貨や一部の衣服を持ってたちは町へと向かうことになった。秀作も言っていたとおり、が持っている硬貨は金属に施された細工は緻密で見事なことから、金属としてではなく、骨董や美術品として価値があるだろう、ということだ。からすれば、ただの一円玉だったり、十円玉だったり、とお金には違いないが、それほど高い価値があるとは思えない。けれど、この場所ではきっと、その感覚さえも異なるのだろう。 まだなんとかなるのかもしれない、という安堵感と共に、もやもやと心の片隅に残る違和感を隠しながら、は秀作に手渡された出門票に名前を書いて、門から外へと足を一歩踏み出した。 「土井先生、きり丸くん、ちゃん。いってらっしゃーい」 大きな門の小さな扉から身を乗り出して、手を振る秀作に、は小さく頭を下げて返す。 (いってらっしゃい、だって) いってらっしゃい。きっと、秀作は何の意図もなく、口にしてくれたのだろう。耳慣れた言葉だったはずなのに、不思議と今のには心に刺さる気がして、意味もなく頭の中で繰り返してしまう。 いってらっしゃい。いってらっしゃい。いってきます。 返すことができなかった、対となる言葉を喉の奥で飲み込んで、は少し前を歩く大小二つの背中を追いかけた。 昨日と同じ道を歩いているはずなのに、一歩一歩と足を進める地面に見覚えがなく、ふわふわと足元が覚束ない。慣れない草鞋で歩いている所為だろうか。それとも着物の所為だろうか。茜色に染まった昨日とは違う明るい道を歩きながら、は視線を左右へ揺らした。青々と茂る木々に、遠く遠くそびえる山々。森を抜ければ田んぼや畑が広がり、どれだけ遠くを見遣っても、高い建物のひとつもない。頼りない足が踏みしめるのは、舗装されていない茶色の地面。時折誤って硬い石を踏むと、ダイレクトに感触が足裏に伝わってくる。その、痛みさえもには新鮮だった。 「ちゃん、大丈夫かい?」 「はい、今のところは道も覚えられそうです」 「いやいや、そっちじゃなくて。山道にも慣れていないと聞いたから、疲れているんじゃないかと思ったんだが」 「あ……はい。大丈夫です。心配してくださって、ありがとうございます」 荷物を詰めた借り物の風呂敷を手に、不慣れな格好で歩く道程は確かに楽とは言い難かった。大股を開けない裾の所為で、歩く歩幅が狭くなってしまうため、二人を追う足は自然と小走りになってしまうし、風呂敷の隙間から荷物が落ちてしまわないかと、ずっと気を張っていなくてはならない。本当は、もう少し歩く速度を落としてくれると嬉しいな、というのが本心だった。 けれど、だからといって、わざわざ付き合ってくれている彼らに対して、疲れた、なんて言えるわけがない。油断をすると息切れしそうな呼吸をなんとか整えつつ、笑ってみせる。前を歩く半助は、にこっと優しげな表情を浮かべると、少しだけ歩幅を縮めての横に並んだ。 「このあたりの道は、見慣れないかな?」 「そう、ですね。まったく違うわけではないんですが、私の住んでいた場所にはあまりない景色なので、新鮮です」 「そうか。君は住んでいたところは、どんなところだったんだい?」 「……もっと、緑が少なくて、建物が多い場所、ですね」 口にして、頭で思い浮かべて、記憶が過る。 私の住んでいた場所。海に面した大きな都市の端の端、民家が集まる静かな町の、小高い山の中腹にある古びたアパート。八畳一間の狭い空間に、兄とふたりきり、すべてがそこに揃っていた。 通っていた高校は、家から徒歩二十分。アルバイト先のパン屋は、学校から徒歩五分の私鉄の駅前にあった。の生活空間はとても狭くて、クラスメイトには不思議がられることも多かった。けれど、にとっては、それで十分だった。多くは望まない。ただ、兄と二人、平穏に暮らせることが、何よりも望んでいることだったから。 瞬間、押し寄せるように浮かんでは心の中を埋めていく沢山の記憶を振り払うように、は視線を落とし、微かに頭を振る。今はまだ、駄目だ。記憶に縋るのはとても楽だけれど、それでは駄目なのだと、は顔を上げて口を開いた。 「そういえば、先ほどきり丸くんが内職と言ってましたが、こちらでもアルバイトや内職があるんですか?」 「ん、ああ。もちろん、あるよ」 「おれは、アルバイトと内職で学費、稼いでるんすよ」 「え…、そうなんですか?」 上ずるように飛び出たのは、アルバイトや内職があることに驚いたからでも、アルバイトで学費を稼いでいると聞いたことに同情したからでもなかった。の常識からすれば、アルバイトができるようになるのは、高校に入ってからで、きり丸のような小さな少年が、自らの力で生きていることに感激し、少しだけ羨ましく感じた。 誰に頼ることなく、自分の力で生きることは、とても難しい。人は、一人では生きていけない、と伯父は良く言っていた。それは確かに正しいけれど、それでもは、一日でも早く一人で生きていけるようになりたかった。本当は高校にも通わず、独り立ちしたかったくらいだったのだ。兄と伯父に止められて、望みはかなわなかったけれど、今だってはいつでも目指し続けている。兄にも、伯父にも頼らずに、自分の力で立って歩める未来の在処を。 が求めていた姿が、いま、目の前にある。心なしか、自分よりも背丈の低い少年の背中が、とても大きく見えた気がした。 「……私にできる仕事も、あるでしょうか?」 「ちゃんは働くつもりなのかい?だが、いくら遠くから来たとは行っても、長く留まるとご両親が心配するんじゃないかな」 「両親は私が小さいころに亡くなりましたので、元々兄と二人暮らしだったんです。だから、兄と合流できるまで生活するためにも、すぐにでも働かないといけませんから」 だって、生きるために働くことは、ごく自然な行為だから。 そう思って口にした言葉に、瞬間、振り返った二人の瞳が、なぜか見覚えのあるような気がして、は小さく息を呑んだ。 ( それはきっと、記憶の中にある大切なあの人の、 ) |