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20 きみはおなじもの 躊躇いなく、ごく普通の会話であるかのように紡がれたその言葉に、半助は呼吸を忘れた。 (……ああ、だから、だったのか) そして、同時にすとんと胸に何かが落ちるように、納得した。 半助の目に映ったという少女は、浅黄の小袖を身に纏ってしまえば、どこにでもいるごく普通の年頃の娘だった。昨晩垣間見た折の格好は不可思議なものだったが、それ以外に際立った特徴はなく、荒れの少ない肌や多少世間知らずな様子から、良いところの娘さん、と判断できなくもないくらいだ。 けれど、彼女が「普通」でないことは、彼女の持ち物を一度見てしまえば、否が応にも理解せざるを得なかった。見慣れぬ肌触りの良い布に、精巧な細工の施された貴金属、透き通るような輝きを放つ宝玉の数々。彼女が着物だと示した服は、半助が知るそれよりも長い袖を持ち、鮮やかな布地に細かな刺繍が施され、見るからに高級品であることが窺えた。けれど、それらの品々をは、さも大したものではないように扱うのだ。明らかに、彼女と自分たちとでは常識が違う。平凡な見た目であるがゆえに、少女に対する印象は一気に怪訝なものへと変化した。 少女に対する印象を稀有なものとした要因は、実はもうひとつあった。それは、彼の上司である学園長の彼女に対する態度だ。昨夜、少女が立ち去った学園長室に再度呼ばれた半助は、学園長から二つのことを依頼された。 ひとつは、彼女と町に行った際に、物を売る以外に買い物の仕方や物価といった、日常生活に必要な常識を教えてやってほしいということ。 それからもうひとつは、彼女が布団に入った後に、彼女の部屋に眠りを誘う香を焚いてほしい、ということ。 頼まれ事と同時に、半助は彼女が非常に遠くから来たため、世間知らずであるということも聞いた。けれど、彼女の部屋に香を焚いてほしいというのはどういうことなのだろう。はあ、と学園長の言葉に曖昧に返すと、学園長は薄暗い部屋の中、視線を畳に落とし、どこか寂しそうな口調で言った。 「今夜は、気が高ぶって眠れないじゃろうからのぅ。せめて、良い夢をみてくれるとよいのじゃが」 焚く香は一番効果の弱いもので構わないと言われたため、彼女がヘムヘムと布団に入った頃合いを見計らって、半助は気づかれないよう客間に焚いた香りを送った。ほどなくして少女から規則的な寝息が零れたことを確認して、半助はその場を後にした。 忍者であれば、誰でも耐性のついている香でも眠りに落ちるくらいなのだから、くの一や間者といった選択肢は即座に消えた。何より、あの学園長先生とヘムヘムが、彼女のことを只管に案じているのだ。少なくとも、忍術学園にとって害のある存在ではないのだろう。しかし、それが半助には不思議で仕様がなかった。山田先生や学園長の話を聞く限り、少女と学園長、そしてヘムヘムが出逢ったのは昨日が初めてだという。半助に彼女のことを頼むと同時に、他の教員に彼女と彼女の兄の調査を頼んでいたことからも、学園長自身も彼女のことを深く知っている訳ではないらしいことは明らかだ。にもかかわらず、無条件で得体の知れない少女を受け入れる、なんて。学園長とヘムヘムにとって、彼女はいったいどんな存在なのだろう。半助を初め、学園の教員や上級生の忍たまの間では、彼女の存在に対する疑問が募るばかりだった。 けれど、それと同時に半助の中には、はっきりと言葉にできない違和感が残っていた。 それは、が無理矢理に浮かべたぎこちない笑みを見たとき、弱音を飲み込んで強がりを口にしたとき、疲れているのに大丈夫だと嘘をついたとき、半助の中で降っては積み重なっていった。 まるでどこかで見たことがあるような、けれど認めたくないような。興味や疑惑とは違うけれど、彼女のことが気になって目が離せない。ぐずりと胸のあたりに留まっていたそれは、がさも当然のように口にした言葉で、半助の内に溶けて吸い込まれるように消えていった。 (きみも、同じなんだ) 同じことを、きり丸も感じたのだろう。頑なに少女の前を歩いていたきり丸は、少し歩く速度を緩めると、半助と同じようにの横に並んだ。そして、顔合わせの時とはまったくことなる、刺のない視線で彼女を見上げると、あの、と小さな声で言った。 「さんは、これまでどんな仕事をしてたんですか?」 「私はパン屋……食べ物を売るお店で売り子をしていたんです」 「へえ、じゃあ物売りとかだったら、できるんじゃないっすかね。おれも良くやってますよ。花とか、団子とか、いろいろですけど」 「お団子…甘味屋さんとかですね。そういうところなら…なんとかなるでしょうか」 「売り子って意味では同じですからね。あ、そうだ。別に話し方、そんな気ぃ遣わなくてもいいっすよ。堅苦しいの、おれ、苦手なんで」 きり丸の言葉にきょとんと丸くなった瞳。表情を取り繕うことをしない感情は、ただただ素直に驚きと戸惑いを顕わにする。 数拍、言葉を詰まらせたは、それからどこか躊躇うように笑った。 「じゃあ、お言葉に甘えて。きり丸くんは、ほかにどんなアルバイトしてるの?」 「そうっすねー子守りに犬の散歩、洗濯、繕いもの、売り子に薬草摘み…それから、」 「そんなにあるの?」 「まだまだ色々ありますよ。銭が貰えるなら、仕事は選んでられませんからね」 「そっか…私も、きり丸くんを見習わないといけないな」 「さんはアルバイト、選んでたんっすか?」 「選んで、というか…私の住んでいた場所ではね、十五歳になるまではアルバイトができなかったの。だから、正式に働けるようになったのがほんの少し前だったから。学生のうちは選択肢もあまりなかったし」 内職はコツコツしていたつもりなんだけどね。 なにかを思い出すように浮かべられた微笑みは、歳の割に随分と大人びているように半助の眼には映る。小松田くんから聞いた話では、彼女の歳は自分たちの常識からすればすでに婚姻の適齢期を迎えたものらしい。しかし、彼女の言葉を信じるならば、はまだ半助が指導する一年は組の生徒たちと同じように、誰かの庇護を受けるべき学生という存在なはずなのに、は決してそれを良しとはしない。 (本当に、入学した当時のきり丸とそっくりだ。それに…) ふっと口元が緩んでしまったのは、懐かしい記憶とともに、溢れだしてきた彼女への親近感のせいだろうか。 それは例えば、両親を早くに亡くしたことだとか、若くして自活していることだとか、そんなことによるものではなくて。必死に前だけを向いた瞳が、頑なにまで伸ばした背筋が、ひとりで歩いていくときつく握りしめた手の平が、ただ、今はもう思い出の中にしかいない、いつかの自分と重なるのだ。 人は一人ではいられない。それをわかっていながら、それでも一人で生きていきたいと希ってしまう想いが痛いほどにわかるから。半助は内職についてきり丸と楽しそうに話すの姿を、ただただそっと見守り続けるのだった。 ( 同じだからこそわかる。その先にある哀しみと、それを打ち消す唯一の方法。それは――― ) |