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17 彼女に関する所見 −それは、おちるもの− 学園長先生とヘムヘムが連れてきた少女の話は、その晩のうちに上級生の間に広まった。話の出所は五年生の鉢屋三郎、竹谷八左ヱ門、久々知兵助の三人だ。鉢屋三郎だけが持ってきた話題であれば疑う余地はあるが、豆腐以外では真面目を絵にかいたような優等生の久々知兵助も見たとなれば、その少女が得体のしれない格好をしていた、というのも事実なのだろう。 しかし、少女に関する情報は非常に少なく、食堂で屯する五年生の話に耳を傾けて分かったことは、「見たことのない服装をして、妙な荷物を持っていること」と「ヘムヘムの恩人であること」、そして「学園長先生の庵のそばの客間に泊まっていること」の三点だけだった。 学園長先生のお客人であれば、自分たちが警戒する必要はないのだろうか。だが、妙な出で立ちで、山田先生すら仔細を聞かされていないとなると、疑念が湧くのも事実。上級生の一部には、我関せずのものも幾らかいたが、多くの面々が噂の娘に何かしらの興味を抱いていた。 「おう、雷蔵、三郎!こっち空いてるぞ」 「ああ。おばちゃん、A定食二つ。雷蔵、A定でいいよな」 「うん……うん…」 そんなことのあった翌朝のこと。 いつもよりも少し遅れて、食堂に五年ろ組の名物コンビが現れる。気づかれない程度に意識をそちらに向け、それから普段とは異なる様子に定食から顔を上げ、思わず凝視してしまった。 「はい!A定食二つ、お待ちどうさま!」 「ありがとう、おばちゃん。…雷蔵、定食は勝手に持っていくぞ」 「うん…うん」 「雷蔵!そっちじゃない、席はこっちだ!!」 「………うん」 片手で器用に二つ分の定食を持ち、さらにとんでもない方向へ足を進めようとする雷蔵の忍び装束を掴む三郎は、三年ろ組の名物トリオを彷彿とさせる。迷い癖はあったのもの、不破雷蔵に方向音痴の気はなかったはずだが。定食の味噌汁をすすりながら、もう一度ちらりと雷蔵の方を見遣ると、彼が普段と違う行動を取る原因が目に付いた。 (……なんだ、あれは?) 赤子のように三郎に先導される雷蔵の手には、手のひら大の紙の束のようなものが握られている。あれは、本か?図書室に並んでいる本や巻物の類とは異なるものの、雷蔵の手で半分隠れた表紙部分には文字のようなものが並んでいる。南蛮からの輸入品か、見慣れない形だが、おそらく本の一種なのだろう。 どうやら雷蔵の視線は、歩くべき先や足元ではなく、一心に手元の本のようなものに向けられているようだ。時折上下する眼の動きから、やはり手元で文章か何かを追っているのだろうか。雷蔵の眼は真剣そのもので、三郎に引っ張られていることすら気づいていないらしい。五年生が集まっている席に近づいた後も、三郎に肩を押さえつけられて、ようやく空いていた席に腰を下ろしていた。 「なんだぁ、雷蔵。朝飯、食わないのか?」 「うん……もうちょっとで、区切りがいいんだ」 「うわっ、あの雷蔵が迷わず選んだ!なになに、何があったの!?」 「…昨夜、学園長先生のところから戻ってきて、遅くまで読んでいたと思ったら、朝起きてからもこうなんだ」 「一晩中読んでいたのか?…というか、それは本なのか?」 「いや、一応夜は寝ていた。ちなみに手元のそれは、本らしい。新しくできた友人に借りたそうだ」 雷蔵の隣に腰を下ろし、定食のおかずに手を伸ばした三郎は、淡々とした調子で同級生たちの質問に答えていく。口調の端々からは、若干の不機嫌さが覗いていた。忍たま上級生としてそんな感情を顕わにして良いのか、と呆れ半分、心の中で溜め息を零す。 「新しくできた友達?誰だそれ、上級生か?」 「いや、上級生だとしたら友達とは言わないだろう。それに、雷蔵の持っている本、ちょっと変じゃないか?」 「変って、なんだ、兵助?なんか面白いこと書いてあるのか?」 「机を乗り越えて覗き込むなよ、ハチ。そういうことじゃなくて、あの紙…もしかして、友達って」 「十中八九、あの娘だろうな」 遠目からではわからないが、どうやら近くで見る五年生の面々は、雷蔵が持つ本が見慣れない、奇妙なものだと判別したようだ。そして、学園長先生のところから戻ってきた雷蔵が、見慣れないものを持っていた、という情報から、導き出した「新しい友達」の回答が件の少女、というわけだ。確かに、考えられない話ではないだろう。 「へー雷蔵のやつ、あの子と仲良くなったのか。なぁなぁ、どんな子だった?どこから来たんだって?」 「え、なになに?昨日、兵助たちが話してた女の子のこと?俺も気になる、それ」 「うん……うん…」 「今の雷蔵に話かけても無駄だぞ。今がちょうどいいところらしい」 「え、これ、本読み終わるまで続くのか?」 八左ヱ門と勘右衛門は、少女に対する警戒心よりも好奇心の方が強いらしい。わくわくとした雰囲気で雷蔵に問いかけるが、雷蔵の読む本はまだ切りの良いところにたどり着いていないようだ。呆れた三郎の様子に、周囲はとりあえず自分の食事を進めることを選択して、箸を動かし始めた。 食事が半分ほど進んだところで、パタンという乾いた音がなり、雷蔵が満足そうに息を吐いた。同時に、長屋からずっと付き合ってきたのだろう三郎も、長い長い溜め息を吐く。 「あれ、三郎?みんな?って、ここ、食堂?」 「なんだぁ、雷蔵。お前、食堂に来たことも気づいてなかったのか?」 「そんなことより、雷蔵。早く飯を食え。時間が無くなるぞ」 「え、ああ!ありがとう、三郎。僕の分も頼んでくれたんだ、助かるよ」 いただきます、と周囲の空気など気にした素振りも見せず、雷蔵は先ほどまで読んでいた本を懐に仕舞うと、両手を合わせて朝食を食べ始めた。 「…なあ、雷蔵。お前の新しくできた友達って、昨日学園長先生が連れてきた子のことか?」 「うん、そうだよ。三郎たちが話してた子。ちゃんって言うんだ」 「やっぱり!なぁ、雷蔵!どんな子だったんだ?」 「うーん、どんな子って…普通の女の子だったよ」 いやいやいや、普通の娘が見たことのない格好をしている訳がないだろう。にへらっと笑う雷蔵からは、警戒心の欠片も見当たらず、言葉通り件の少女を「普通の女の子」と認識しているらしい。 (ここからは、これ以上の情報は得られない、か) 娘の名は「」。新たに加わったその情報を頭に刻み、盆を返して食堂を後にした。 * * * (やはり、調べるなら自ら動くべし、だな) 音もなく忍んだのは、先ほど朝食を終えたばかりの食堂の裏手の草むらだ。周囲に気付かれないように気を付けつつ、隙間から食堂の様子をうかがう。 朝食の後、午前の授業が先生の出張で休みになったことをこれ幸いに、件の少女のことを調べることに決めた。与えられた客間にいるかと思いきや、どうやら少女は学園の食堂で手伝いをしているようだ。出掛け際の食堂のおばちゃんから聞いた情報を元に潜んでいると、遠くからヘムヘムが駆けてきて、食堂の勝手口へと入っていった。 ヘムヘムが食堂に用事?疑問に思いつつ、様子を伺っていると、しばらくして勝手口から一人の娘とヘムヘムが出てきた。角度の所為で、顔までは見ることができない。しかし、浅黄色の小袖を身に纏った少女は、遠目から後ろ姿を見るかぎり、確かに極々普通の町娘にしか見えない。否、町娘以上に身体の細さが目立つ。 (妙な格好と言っていたが…着替えたのか?) 食堂で雷蔵が口にしていた言葉が頭を過ぎる。確かに、あの格好の娘を見ただけであれば、「普通の女の子」と判ずるのも仕方がないことだろう。しかし、学園に来たばかりの娘が見慣れない格好をしていたことも事実。念のため、と忍び込んだ客間にも、奇妙な荷物は残っており、彼女が「普通の女の子」でないことは明らかだ。 だが、やはり気になるのは、その奇妙な少女を学園長先生が連れてきて、あのヘムヘムが懐いている、という点だ。普段なら学園長先生と行動を共にしているはずのヘムヘムが、彼女にべったりと張り付いている。勝手口から出てきて、今度は薪割りを始めた少女の横で、割った薪を運ぶ手伝いをしている、あの敏い忍犬の姿に募るのは疑問ばかりだ。ヘムヘムが信用しているということは、やはり怪しい人物ではないのだろうか。 そこまで考えて、彼はいかんいかんと頭を振った。これでは堂々巡りだ。きっと、これは様々な情報を吟味したうえで、あの少女の身元を調査し、敵か味方かどうかを判断しろ、という学園長先生からの無言の任務に違いない。 半ば、自分を説得するように言い聞かせ、もう一度少女の方へと目を向ける。刹那、新しい薪を運ぶためか少女がひとつにまとめた黒髪を揺らして、こちらを振り返った。 (―――――な…ッ!) 振り返った少女は、こちらにはまったく気づかない様子で、すぐに薪割り作業に戻っていく。彼女の顔がこちらを向いたのは、本当に僅かな時間だった。 けれど、その一瞬に、何かが起こった。 彼女の顔を、瞳を、正面から捉えた瞬間、身体中に何かが走るように抜けていった。それは強烈な痺れ薬のような、熱い熱湯のような、はたまた冬の池に飛び込んだ時のような衝撃だった。頭のてっぺんから足の先までを貫くように劈いた雷。びりびりと震え、自分の意志で身体を動かすことすら、できない。それどころか、すでに背中となった少女から、視線をそらすことすら、できなくなっていた。 いったい、なんなのだ、これは。自分の身体に起こった突然の異変に、頭の働きが付いてゆかず只管に焦る。遠くからは、不規則に続けられる薪を割る音が響く。薪割りに慣れていないのか、斧を構える姿は時おりふらふらと揺れていた。けれど、少女は休むことなく、延々と薪割りを続けていた。 (身体が熱い。心の臓が痛い。頭の回転が、信じられないほどに遅いのは、なぜだ) これもすべて、あの少女の所為なのだろうか。原因のわからない体調の変化を抱えたまま、彼はひとまずその場を後にすることを選び、音を立てぬように駆けだした。 * * * 「ん、どうした文次郎。そんなところで、水浴びか?」 六年長屋から近い場所にある井戸で頭から水を被っていると、同室の立花仙蔵に声をかけられた。振り返った文次郎の眼は座っており、いつも以上に目つきが悪い。眼の下の隈が拍車をかけ、どこかの悪役のようにしか見えなかった。 「仙蔵か。いや、原因はわからんのだが、身体の調子がおかしくてな」 「なんだ、風邪でもひいたか?珍しいこともあるものだ」 「わからん。しかし、咳が出るわけでも鼻がつまるわけでもないんだ」 「ほう、ではどのような様子なのだ」 尋ねた仙蔵に、僅かに躊躇ったのち、文次郎は先ほど自分に起こった異変を伝えることにした。 件の少女のことは、仙蔵ももちろん耳にしていた。だからだろうか。文次郎が少女のことを観察し、彼女の顔を見た途端に、自分の身体がおかしな反応を示したことを話すと、だんだんと仙蔵の表情が変化していく。その時の仙蔵の顔を端的に言えば、「面白い玩具を見つけた」といったところか。 「……なんだ、その顔は」 「いや、なに。文次郎、お前は気が付いていないのか?」 「なんのことだ?」 「いやいや、そうか。なるほどな…くくっ、別にわからないのならそれでいい。ああ、一つだけ断言してやろう。お前のそれは、風邪ではない。水など被っていると、余計に身体を壊すぞ」 ではな、とにやにやと愉しそうに哂って、仙蔵は立ち去る。 その場に残された文次郎は、未だ熱りの残る額に手を乗せ、ふうと大きく息を吐いた。頭の片隅では、今なお、名前しか知らぬ少女の横顔が焼き付いたように貼りついて、離れることがなかった。 ( こんな感情、俺はしらない ) |