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08 彼女に関する所見 −名も知らぬ孤独− いつも通りの放課後、いつも通りの学園に、見知らぬ少女がやってきたのは、夕食近い、日も暮れかかるころだった。 委員会の活動を終え、焔硝蔵から食堂へ向かう途中、五年い組の久々知兵助が同級生の竹谷八左ヱ門と合流したことは、そう珍しいことでもなかった。お互い、五年生ながらに委員長代理を務める身だ。他の同級生と比較して委員会の活動に携わる機会も多く、こうして活動終わりの時間が重なることも少なくはない。 今日も同じように顔を合わせた二人は、「お疲れ」と互いを労って、今日の授業のことだとか、今度の委員長会議のことだとか、世間話をしながら食堂へ足を向けた。 「彼女」を見かけたのは、丁度その時だった。 抜けたところだらけだが憎めない事務員の小松田さんと、ヘムヘムの声に混じって聞えてきた覚えのない女の声に、兵助と八左ヱ門は視線を交わして頷きあうと、音もなく近くの茂みに身を隠した。 だんだんと近づいてくる音は、二人と一匹の話し声と、断続的に聞こえてくるガラガラガラという何かを転がすようなもの。荷台にしては軽い車輪の音に、兵助と八左ヱ門はそろって首を傾げる。 そして、「彼女」が視界に入った瞬間、二人は目を瞠った。 ヘムヘムと左手を繋ぎながら歩く「彼女」は、自分たちよりも少し幼いくらいに見える少女だった。小松田さんに先導され、学園長先生の庵の方へと向かっている。 草の隙間から見えた少女は、際立った特徴が見いだせない、醜美どちらにも偏らない平凡な顔立ちをしていた。町中ですれ違っても、きっと目にも止めないようなどこにでもいる娘だ。 けれど、そんな平凡な「彼女」は、ある点において、とかく異質だった。 まず少女の焦げ茶に近い黒髪を結い上げている髪飾り。簪とも異なる形のそれには、茜色の光を受けてキラキラと反射するビイドロが鏤められており、台座も見たことのない銀色の素材で拵えられていた。 少女が身に纏っている衣は、着物とは異なり、遠目からではいったいどんな構造をしているのか、二人にはまったく想像ができなかった。特に彼女が歩く度に、少女の膝上でひらひらと揺れる衣服は、南蛮渡来の衣装のようでもあったが、あんなに丈の短いものを見たのは初めてだった。 さらに、彼女が右手に持っている車輪の付いた箱のようなものも、背中に背負った袋のようなものも、彼女が持つすべてのものが、とにかく初めてみるものばかりで、平凡なはずの少女が途端、奇妙な存在に見えてしまう。 しかし、あのヘムヘムがあんなにくっついて懐いているところを見ると、怪しい者ではないのだろうか。 兵助は、ちら、と同じ茂みに身を潜める八左ヱ門に視線を向け、言葉とは異なる音を発した。 (あの子、いったい誰だか知っているか?) (いや、全然。でも、ヘムヘムの知り合いなんじゃないのか?) 矢羽根と呼ばれる特殊な会話術を使って意思疎通を図る二人に、恐らくヘムヘムと小松田さんは周囲に誰かが潜んでいることに気が付いたのだろう。一瞬、ヘムヘムが周囲を見渡すような素振りを見せたが、件の少女はまったく気が付かないようで、抑揚の少ない落ち着いた声音で会話を続けている。 矢羽根に気が付かないということは、一般人なのだろうか。段々と遠のいていく彼らの後姿を伺っていると、不意に二人の傍に一つの気配が降ってきた。 「彼女、学園長先生とヘムヘムが連れてきたようだぞ」 「雷蔵!…じゃあなくて、三郎か」 「やあ、兵助、八左ヱ門。委員会、お疲れさん」 現れたのは、二人と同級生でもあり、変装名人の異名を取る鉢屋三郎だった。飄々とした様子で屋根から降りてきた三郎は、同じ組の雷蔵の顔で楽しそうに笑うと、くいと顎で門の方を示す。 「ちなみに、まだ門のところに学園長先生がいらっしゃるようなんだ」 「学園長先生が?」 「ああ。あの妙な格好の彼女がいったい誰なのか、聞きに行ってみないか?」 * * * 三郎の誘いを受け、五年生三人が学園の門の方へと向かうと、先ほど話にあがった学園長と共に、腕組みをした黒ずくめの人物が並んでいた。 「山田先生!」 「ん?おお、五年い組の兵助に、ろ組の三郎と八左ヱ門か」 学園長と並んでいたのは、一年は組実技担当の山田伝蔵だった。現れた五年生たちを見渡すと、僅かに眉を動かし、再び学園長の方へと身体を向けた。 「ああ、そうじゃ。それからな、伝蔵。夕食が終わったら、わしの庵に来るように半助に伝えておいてくれ」 「夕食後、ですか」 「うむ。先ほどの件も頼んだぞ」 「あっ、お待ちください、学園長先生!」 会話を終え、そのまま踵を返しかけた学園長を慌てて呼び止める兵助に、学園長は足を止めると、ゆったりとした所作で振り返る。そして、先ほどの伝蔵と同じように、五年生三人を見渡し確認すると、口元を緩めて「ふぉっふぉっふぉ」と笑い声をあげた。 「どうせお主らも、のことを聞きにきたのじゃろう」 「、というのは、先ほど小松田さんとヘムヘムが案内していた少女のことでしょうか」 「うむ、そうじゃ」 「彼女はいったい何者なんですか?このあたりでは見たことのない格好をしていましたが」 三郎、八左ヱ門と続けて尋ねると、学園長は楽しそうだった表情を一転させ、睨むような目つきと低い声で答えた。 「はヘムヘムの恩人じゃ。お礼をしたいと、わしが学園に招待した」 「ヘムヘムの恩人?しかし、それにしても彼女は」 「わしはもう庵に戻る!伝蔵、あとは任せたぞ!」 一体どこで機嫌を損ねたのか、怒鳴るような声で兵助の言葉を遮ると、学園長は大股で庵の方へと背を向けてしまった。 「なんだ、あれ」、「さあ」と視線を交わしあう五年生に、後を任された伝蔵が大きな息を吐く。その溜め息には、任されても困る、という彼の感情がありありと籠められているようで、思わず兵助は「すみません」と頭を下げた。 「あの…山田先生」 「あー私に聞かれても困るんだけどなー。とりあえず、彼女がどこの誰かは別として、ヘムヘムを助けてくれたことは事実らしい」 「彼女の格好、ご覧になりましたか?南蛮衣装とも違う、変わった格好をしていましたね」 「それに持ち物も不思議なものばかりでした。彼女はいったいどこから来たのでしょうか」 学園長にぶつけるはずだった質問を、そのまま伝蔵にぶつけると、伝蔵は矢張り困ったように頭を掻くだけ。恐らく、彼自身も学園長に彼女のことを尋ねていたのだろう。しかし、その途中で学園長から何かを頼まれ、話途中で切り上げられてしまった、といったところか、と三郎は推察する。 「ところで山田先生、学園長先生から何か頼まれていたようですが」 これは、別の方面から攻めるべきか。三郎が素知らぬ様子で尋ねると、伝蔵は「ああ」と思い出したように言った。 「お前たち…では、身長が高すぎるか。やはりここは、山本シナ先生に頼むべきかな」 「身長、ですか?」 「いや、なに。若い娘用の着物を何着か見繕ってほしい、と言われてな。一年生じゃあ、小さすぎるしなあ」 ぶつぶつと呟きながら、伝蔵は庵とは逆の方向へと足を向けた。そして、途中で一度足を止めると、五年生たちの方を振り返り、「もう夕食の時間だぞ」と告げる。残された五年生は、煮え切らない感情を持て余したまま、お互いを見やる。 「夕飯…食べに行くか」 ぽつりと零した兵助の言葉に頷きあい、三人は食堂へと足を向けるのだった。 ( きみは、いったいなにもの? ) |