07 左手からはじまる、

「へーそんなことがあったんだ。ヘムヘムはちゃんに助けてもらったんだあ」
「ヘム、ヘムヘム!」
「それじゃあ、ちゃんにはしっかりお礼をしなくちゃいけないね、ヘムヘム」
「ヘムー!」

大きな門の小さな扉を抜けて、秀作とヘムヘムの案内のもと学園を進む。の前を歩く二人は、不思議なことにまったく違う言語で会話を成り立たせると、同時にの方を振り返り、にこーっと笑った。

「ね、ちゃん」
「ヘム、ヘムー!」
「あ、いえ。本当に、ただ居合わせただけですから。そんなに気にしないでください」

本当に、ただ薬を分けただけなのに、どうしてこんなに感謝されているんだろう。からすれば、心苦しいくらいの対応に、ひたすら首を振ることしかできない。
しかし、ヘムヘムはそうとは考えていないようで、「ヘムヘム!」と以上に首を振り、の空いている方の手に飛びついた。どうやら、手を引いてくれるつもりらしい。顔全体で笑顔を示すヘムヘムは、心からに好意を寄せてくれているようで、可愛い。身長の差から若干の歩き難さはあるものの、そんなこと気にならないくらいに、心が温まる気がした。

「あはは。ヘムヘム、本当にちゃんに感謝してるんだね」
「ヘムヘム!」

どことなく、秀作から向けられる視線も生暖かい。少し居心地は悪いものの、先ほど周囲の人たちに向けられていた視線とはまったく違う種類のそれは、ここから逃げ出したくなるようなものではなかった。

(そういえば…ここには、人がいない)

ふと、思い出したのは学園までの道のりで、行き交う人々から向けられた視線。けれど、この学園に入ってからは、そうした視線どころか、視線を向けてくる人ととすれ違うことさえもなかった。
学園という以上、ここに通う学生がいるんじゃないのだろうかと思い、秀作とヘムヘムに尋ねると、秀作は「えーっと」と少し考える仕草を見せた。

「いない、わけじゃないと思うけど…あ!でもそろそろ夕ご飯の時間だから、食堂に向かってる子たちも多いかなあ」
「そうなんですか。確かに、そろそろそんな時間ですね」
「ヘムヘム」
「そうだねー僕もお腹減ってきちゃった。ちゃんも、ご飯食べていくんだよね。忍術学園の食堂のおばちゃんのご飯は、すごーく美味しんだよ」
「ヘム、ヘムヘムヘム!」
ちゃんのご飯は学園長先生のところに持っていくの?それじゃあ、後で食堂のおばちゃんに伝えてこないと」

夕ご飯を食べていきなさい、と平次に誘われた手前、夕食を断ることはできないが、わざわざ秀作の手を煩わせることは躊躇われた。しかし、考えてみれば学園内の配置などまったくわからないには、食堂がどこにあるのかも検討がつかない。心苦しくはあるけれど、この場は秀作の厚意に甘え、「ありがとうございます」と礼を告げる。

「どういたしまして。でも、これくらい、気にしなくていいよ」
「そういう訳にはいきません。だって、ご迷惑をおかけしてしまってますから」
ちゃんは律儀なんだねー。そういえば、ちゃんはどこから来たの?なんだか、珍しい格好をしているよね」

やっぱり聞かれちゃったか。
自分の格好を見下ろし、至極当然な質問に苦笑が零れる。
秀作の質問に答えるように、は先ほどと同じように自分の住んでいた場所の名前を告げる。もちろん、返ってくる反応もまったく同じだった。

「聞いたことないなあ。もしかして、すごく遠くから来たの?」
「……そう、かもしれません。実は、どうやってここに来たのか、わからないんです」
「へっ?それじゃあ、ちゃんは迷子なの!?」
「そう、ですね。きっと、そうなんだと思います」

できるだけ、悲壮感が紛れないよう、明るい調子で答えるけれど、あまり巧くいかなかったらしい。左手を握る、ヘムヘムの手に力が籠められた気がして、は誤魔化すように小さく笑った。

「直前まで、近くに兄がいたんですけど、はぐれてしまったみたいなんです。もうお互いに子どもじゃないのに、可笑しいですよね」
「お兄さんと一緒だったの?それじゃあ、きっとちゃんのこと、探してるよ!」
「そうだと良いんですが…でも、ずいぶん遠くに来てしまったみたいで、すぐに合流できるか、わからないんです」

口に出してみると、自分の現状が本当に不可思議なことだらけのようで、乾いた笑いしか出てこない。けれど、秀作の言葉から、改めて確信する。

(お兄ちゃんは…きっと、私のことを探してる)

は、唯一無二の兄妹で、二人きりの家族だ。の事がとても大切だし、それはにとっても同じであると知っている。むしろ、は自分が年上であることを常に気にしているせいか、に対して非常に過保護だった。そんな兄のことだ。きっと、はぐれた自分のことを探している。には、間違えようのない事実として、それを信じることができた。
けれど、兄が探してくれているとは言っても、こんな状況の中、すぐに合流できると楽観視することも、にはできなかった。右も左もわからない、自分の常識を誰も知らないこんな場所では、きっと兄も自分も、人探しさえままならないだろう。

(まずは…ここがどんなところなのか、知らないと)

兄を探すために、できること。
「迷子」という現状のなか、は少しでも前に進もうと、温かな左手を握り返した。

「あれ?ところでちゃん。さっき、子どもじゃないっていってたけど…」
「あ、はい。まだ成人はしていませんが、もう私も十六歳ですから」
「へえ、ちゃんは十六歳なんだ。それじゃあ、僕と同い年なんだ……って、えええっっっ!!!」


( どうやら私、十三、四歳に見られていたようです )


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