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06 余の足りない紆曲折 ガラガラガラ。 舗装されていない土の道の上を、キャリーバッグを転がしながら歩く。の前には、大川平次渦正と名乗った老人が杖を突いて歩き、の横には、二足歩行するヘムヘムが並んでいた。 山間の道を進んでどのくらいが経っただろう。何度も分かれ道があったせいで、にはもうもと来た道を思い出すこともできなかった。これでは、兄から言われていた迷子の鉄則が守れないなあ。夕焼け色に染まる道を一度振り返り、それから小石にカバンが引っかからないように気を付けながら、それでも前へと進む。 「、疲れてはおらんか。もう少しで学園じゃ」 「はい、大丈夫です」 「ヘムヘム…?」 「心配してくれるの?ありがとう、ヘムヘムくん」 不安げにこちらを見上げるヘムヘムに、ほっと心が温まるような気がして、は空いている手で頭を撫でた。 なんとか、表情だけはと笑顔を作るけれど、の内心はぐるぐると渦巻く感情でいっぱいだった。 ここに来るまでの道のりで、何度かがすれ違った人は、みんな訝しがるような視線をに向けていた。それもそのはず、すれ違う人々はみな、とはまったく異なる格好をしていたのだ。袖の短い着物や袴、背には風呂敷に包んだ荷物や、鍬や鋤と呼ばれる農具などを背負う姿。平次の言っていたとおり、どうやらこの場所でのような恰好をしていたり、持ち物を持っている人は珍しいらしい。 その上、尋ねた地名はまったく聞き覚えがなく、が住んでいた地域の名前も彼らは知らないと言う。町の名前も市の名前も県の名前も告げた。それなのに、何一つとして、聞いたことがないと言うのだ。 見知らぬ土地に、自分とはまったく異なる日常を持つ人々。 眼を閉じて、開いた途端に違う場所。 頭の中で、何度も何度も考える。この現状の導き出す答えが、一体何であるのか。自分が一体、何に巻き込まれているのか、を。 (私は…迷子。でも、普通の迷子じゃない、のかな) 平次に「礼をしたい」と言われたとき、は初め、迷わず断るつもりだった。正確には、謹んで辞退の意を平次に伝えた。 けれど、平次は頑なだった。どこに行くつもりなのか、誰かを待っているのか、ゆく宛てはあるのか、とが答えに詰まることばかりを問いかけ、最後には「ヘムヘムの恩人と礼もせずに別れるなど、学園長としての名折れ。急ぎの用がなければ、是非来てほしい」と言われてしまえば、急ぎの用どころか行く宛てのないは、是と頷くことしかできなかった。 迷子だから、本当ならその場にとどまって、兄を待つべきだったのかもしれない。もしくは、近くに兄がいないかどうかを探すべきだったのかもしれない。けれど、寺の門を一歩出た瞬間、の考えが甘かったことを知った。もう、そんなレベルではないのだ。待っていれば、近くを探せば兄が居る。そんな場所ではないのだと知り、は迷子の鉄則を破ることを決めた。 「ほれ、もう見えてきたぞ。あれが、わしの学園じゃ」 そういって、平次が杖で指した先に見えたのは、立派な佇まいの木製の門だった。その大きさに、は思わず目を見張る。確かに「学園」と言っていたけれど、ずいぶんと大きな敷地のようだ。少し、切らした息を整えながら門までたどり着いたは、足を止めて自分の背丈の倍以上はある門を見上げる。 (こんなの、京都の修学旅行くらいでしか、みたことない) あまりのスケールに呆けていると、平次が「ほっほっほっ」と楽しげに笑う声が聞こえた。どうやら、門の大きさに圧倒されているに喜んでいるらしい。ヘムヘムまで、口に手を当てて笑っていた。 「こうした門は珍しいかのぅ」 「は、はい。これまで、あまり見たことがなくて…あまりの大きさに、びっくりしました」 「そうか、そうか。は素直じゃのう」 立派な眉毛に重なる眼を緩ませながら、平次は門を二度叩く。「わしじゃ、帰ったぞ」と平次が告げると、間もなく、やや間延びした男性の声が門の向こう側から聞こえてきた。 「はいはーい!今、開けまーす。おかえりなさい、学園長先生」 「うむ。今、帰ったぞ」 「ヘムヘムもおかえり。…と、あれ?お客さんですかー?」 大きな門の一部が開き、現れたのはと同じか少し上くらいに見える若い青年だった。てっきり門の全体が開くのかと思っていたは、思いがけない出入口から出てきた人物に身体を強張らせながらも、自分の方をみる青年に必死に頭を下げた。 「初めまして、です」 「ちゃんですかー僕は小松田秀作。忍術学園の事務員をやってます」 「にんじゅつ、がく、えんの、事務員さんですか?」 「はいー」 にんじゅつ、がくえん。 頭の中で漢字が変換できずにいると、ヘムヘムがの服の袖をくいくいと引いて、地面を指さした。が視線を向けたことを確認すると、手近な枝を使って器用に文字を書き始める。表れたのは、「忍術学園」の四文字。ああ、「にんじゅつ」って「忍術」だったのか。 「こちらは、忍術の学校なんですか?」 「おお、そうじゃ。言っておらんかったかのう。わしも忍者。ヘムヘムも忍犬じゃ」 「僕も忍者志望でーす」 「忍者に、忍犬…ですか」 忍者と言えば、テレビの向こう側だったり、小説の中だったりで登場する職業のことだった気がする。の中のイメージでは、手裏剣を投げたり、木の間を飛び交ったりしている印象だ。まじまじと忍者(と忍犬)を名乗る彼らの顔を見渡し、もう一度頭の中で「忍者」の文字を当てはめてみるが、なかなか一致しない。言われてみれば、秀作は黒尽くめに近い格好をしているが、どこかのんびりとした雰囲気からは、とてもの中に知識としてある忍者とは結びつかなかった。もしかしたら、そう見えるところが、忍者たるゆえんなのかもしれない。 「私、本物の忍者さんには初めて逢いました」 「へえ、そうなんですか!あれ?それじゃあ、ちゃんは忍術学園にどんなご用件で?」 「あ、私は…」 「はヘムヘムの恩人なのじゃ。悪いが小松田くん、わしの庵に近い客間まで、を案内してくれんかのう」 「はいーわっかりました!」 笑顔で元気よく手を挙げた秀作は、その格好のままピタリと止まると、「あー!」と慌てて懐から紙と筆を取り出し、の目の前に差し出した。 「その前に、入門票にサインをお願いします!」 あ、こんなに和風な場所なのに、サインは英語なんだ。 妙なところで感心しながらも、は慣れない筆に苦戦しながら、自分の名前を入門票に書き記した。 ( 「」。この場所で初めて記した自分の名前は不恰好に震えていた ) |