忘れられない想い出になるでしょう
「どうじゃ、少しは落ち着いたかえ」
「はい…もう何から何まで、ほんとに申し訳ないです」
ベッドの上で足を揃え、半ば布団に突っ伏すようには頭を下げる。額が布団にぴったりとくっつくくらいだったが、にはそれでもまだ足りないように思えた。なにせ自分が泣き止むまでの間、ずっとシエラに頭を撫でてもらっていたのだ。育ちの影響もあってか普段から泣くことの少なかったにとっては、「人前で泣く」というだけでもよっぽどのことなのに、加えて延々と慰めてもらうなんて。今自分がスコップを持っていたら、穴を掘って逃げ込んでいる。というか、今からでも遅くはない誰か穴を掘って埋めてくれ、と本気で考えてしまっただった。
「いい加減頭をあげんか。これではわらわが苛めているようではないか」
「そんな滅相もないです!むしろ助けてもらったんですから!!
だって、シエラ様が叩いてくれなかったらと思うと…」
「完全に我を忘れておったからのう。
それで?おんしは…なにを見ておったのじゃ」
シエラに問われた瞬間、は自分の胸のあたりがドクンと大きく脈打ったような気がして息を止めた。
何を見た、と聞かれて思い出せるのは、ただ眼前に広がっていたしろとくろ、ひかりとやみの存在だけ。入学式で居眠りしたときの夢から、何度も何度も繰り返しみる光景だ。
"そこ"にはひかりがあって、同時にやみが広がっていた。何も見えない何も聞こえない、手を伸ばしても何にも届かないという荒唐無稽な空間で、はただひたすらに眼を閉じて耳を塞いでいた。
その景色を当たり前のように知っていたのは、いったいなぜだったのか。否定したいはずなのに言葉は喉を越えなくて、音にならない叫びだけが口からは漏れていた。けれど叫んでも叫んでも聴こえない声は、余計にを追い詰めていた。
受け入れてしまったら、どうなってしまうんだろう。にはそれがどうしようもなく怖かった。あの光景が自分の記憶にある場所だと認めてしまったら、何もかもが否定されてしまうような気がしたのだ。友人と過ごした学生時代や、北国の寒い養護施設での生活。それから、自分の存在さえも。
けれどどれだけきつく瞼を閉じても、かたく耳を塞いでも、頭に直接響く囁きまでは無視することができなくて。聞こえる音が消えるわけでも遠のくわけでもないのに、叫ぶことだけはやめられなかった。そんな見せ掛けの否定など、なんの意味もないと解かっているくせに。
「…ひかりとやみを、みた気がします」
「光と闇、のう。それから?」
「こえが、聞こえました…私を呼ぶこえ。直接、頭に叩きつけられるみたいな、こえでした」
「聞き覚えはあったのかえ?」
「…はい。知らない、はずなのに覚えてるんです。何を言っていたのかもわからないのに、名前を呼ばれていたことだけはわかる。あんな、あんなの…!」
小刻みに震えだす肩を両手で抱きかかえ、は荒い呼吸を繰り返す。どうしてこんなにも落ち着かないのだろう。妙な夢をみる所為だろうか。けれど、それだけでは説明ができないような気がした。今、自分が感じている困惑はもっと違う種類のような、そんな気がしたのだ。
ドキドキとは違う。あえて言葉をつけるなら、もやもやだろうか。胸のあたりにすっきりしない霧がかかったようでの不安は募るばかりだ。
ただ、それでもにはわかっていることがあった。シエラにも告げたとおり、"こえ"は自分を呼んでいたのだ。間違いなく、はっきりと。他の誰でもない「」の名を、くりかえし呼んでいた。
「だけど…っ、私はそんなの、知らないんです!
私はただの大学生で、入学式が終わったばかりで学生証だって貰ってなくて!そりゃたいした夢があったわけじゃないですけど、ごく普通に大学生活おくれたら、それで」
「よかったのに」と続くはずだった言葉は、シエラの口から吐き出された長いため息によって遮られる。ああ、またもやってしまった。つよく、布団の端を掴んだまま、伏せ目がちには言った。
「すみません…シエラ様」
「まったくじゃな。おんしは取り乱しすぎじゃ」
「ちょっと、自分でもそう思います」
普段はほんとにここまでひどくないのになあ。
これまでの自分の姿と、シエラと話している今の自分とを記憶の中で比較してみて、そのギャップに思わず苦笑いが零れ出る。
「わらわがみたものと、おそらくは同じなのじゃろうな」
「シエラ様もなにか…」
「それがなんであったのかはわからぬがのう。
…ただ、おんしの身に科せられた定めは…そう軽いものではないようじゃな」
「さだ…め?それって、運命ってことですか?」
やや呆れ気味に息を吐いたシエラは、椅子の背もたれに体重をあずけて緩慢に頷く。
「運命」なんて、なんだその大それたものは。の頭に浮かんだのはそんな感情だった。だいたい「運命」とか「定め」なんて、ゲームや小説の中でしか聞いたことがない単語だ。それも主人公とか重要な役を持った人間に与えられるものじゃなかっただろうか。
とりあえず、自分には関係ないはずだ。の結論は決まりきっていた。
だがシエラはといえば、はっきりとわからないまでも曖昧にの定めが視えているように思えた。少なくとも、が「定め」を背負っていることを疑ってはいないようだ。
そんなものあるわけない、とが口を開こうとした刹那、シエラは「ふむ」と小さく頷くとそれ以上何を尋ねることもせずにさらりと言ってのけた。
「おんし、今日からここに住まえ」
「そ……え?」
「聞こえなんだか?今日からここに住め、と言うたのじゃ。どうせ行く当てなどないのであろう?ここはもともと空き部屋だったからのう、問題あるまい。
それとも、この部屋では気に食わんか?」
「いえ、そんなことは全然なくて…っていや!そういう話じゃ」
「なんじゃ、はっきりせんのう」
不機嫌そうに眉を寄せるシエラの仕草だけを見るならば、まるで自分の方が我が侭を言っているようだが、そんなことはないだろう。うん、常識的に考えて自分は普通の反応をしているはずだ。多分。
脳内で必死に自己の正当性をアピールしながら、その一方では思い出したように手を打った。なんじゃ、とシエラの訝しがる声がした。けれど、今のにはそんなシエラの声など遠い彼方のものだった。
なにせ、今更ながらには気付いてしまったのだ。いま自分がいるこの場所が、明らかに自分の住んでいた世界でないことに。
いや、ちょっと遅いだろ!と密かに自分で突っ込んでしまったくらいに、今更ながらの認識だった。
「…………………うわあ」
「なんじゃ、妙な声を出しおって」
「あの、シエラ…様。もしご迷惑でなかったら、しばらくここで…生活させて頂けないでしょうか」
よくよく思い返してみれば、はじめに目を開いた瞬間、景色が変わったときに可笑しいと思うべきだった。それから、銀髪に紅玉色の瞳を持った彼らと言葉が通じていることとかにも、もっと違和感を覚えるべきだったのだ。
シエラの突拍子な申し出のおかげで、大分落ち着いてきた思考でもう一度あの時に戻ったならば、もうちょっと違う反応が出来たように思える。というか、とりあえずその場を離れようなんて愚かな真似はしなかっただろう。迷子になった時の鉄則は、その場を動かないこと。目標もないまま走り出すなど、愚の骨頂だ。
「だから住まえ、と言っておるではないか。まったく…よくわからぬ娘じゃのう」
「すみません…今更ながらに、自分が衣食住不確定な状況にあることに気付いてしまった次第で」
「…今更じゃな」
「それはもう、今更でした」
あはは、と乾いた笑いを浮かべてが誤魔化してみると、シエラは細く白い指を額にあてがって今まででもっとも深く長く息を吐き出す。
そしてその日から、『蒼き月の村』でのの奇矯な生活が始まったのであった。
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シエラ様に拾われてみました。ある種最強なご家族さんです(笑)
そいでもって、一応ここで序章は終わりです…中途半端な部分は小話、幕間で埋めていく予定です(汗)