それは絆というなの



現れたのは、長い白銀色の髪に青いヘアバンドをつけた10代中ごろのとてつもなく綺麗な少女だった。
まだあどけなさの残る幼い表情だけをみるならば、彼女の後ろに続いて部屋に戻ってきたファラと同い年位のようにも思えるが、穏やかに細められた紅玉の瞳はそんな考えを容赦なく否定する。愁いとも憂いとも受け取れる何かを瞳の奥にたゆたわせ、少女は静かに微笑んだ。

「目が覚めたようじゃな」
「あ…はい。始祖、様」

ベッドの上で背筋をしゃんと伸ばし直して言葉を返すと、少女は僅かに眉根を上げて先ほどファラが用意した椅子へと腰をおろした。そんな表情の変化に、もしやまたも自分が何か失礼なことを言ってしまったのではないかとの心臓が跳ね上がる。国民的アイドルにでもなれそうなくらいに秀麗な彼女を不機嫌にさせてしまうなんて!はとにかく自分がとんでもないことをしてしまったのだと瞬時に理解した。

(もしかして、「始祖様」じゃなかったとか?!でも、ファラさんは「始祖様」に伝えてくるって言ってたし…)

ぐるぐると高速で回転する思考につられるように、布団を握る手が思わず強まる。
落とした視線でそれを見つけた少女は、を真っ直ぐに見つめるとふわりと柔らかく笑った。

、と言うそうじゃな。わらわはシエラじゃ」
「シエラ…様?」

恐る恐るがそう呼ぶと、満足そうにシエラと名乗った少女は目を細める。やっぱりとても外見相応の年齢には見えない。ありえないと頭では解かっていながらも、はそう思わずにはいられなかった。自分もよく童顔と言われてきたが、それでも高校生が中学生にとか2つ3つの年齢が関の山だ。というか、そもそも10や20も間違われるほどの年齢でもないのだが。
けれどシエラのそれは、自分の場合とは全く異なるような気がして、はじいっと彼女の麗しい笑みを見つめる。正面からでは眩しさすら感じる美しい姿は、どう見ても10代少女。けれど、その笑みには数年単位の相違とは異なる何かがあった。

(いや…だけどやっぱりここで年齢聞いたらさすがにまずいよね…!)

心の奥でそんなことに困惑していたは、はっと思い出したように小さく一呼吸したあとでシエラに深々と頭を下げる。

「助けていただいたのにお礼も言わずにすみませんでした!
 改めまして…私はと言います。拾っていただいて、こうしてベッドまで貸していただいてありがとうございます」
「うむ。感謝の念を忘れぬその心持ち、よくわかっているようじゃのう」
「でしょう、始祖様!先ほどぼくにも頭を下げてくださって、すごく礼儀正しい方なんですよ!」
「ファラの言うとおりのようじゃな。どれ、体調の方はどうじゃ」

そう言ってシエラがの額へと右手を伸ばしたとき、"それ"はおこった。


「ッ!!」
「なっ…!」


シエラの爪先が額に触れた瞬間、そこに走った熱量には目を見開き擦り切れた声を漏らす。同時に、弾けるように手を遠ざけたシエラが何度も目を瞬かせた。

「な、なんじゃ?!」
「うあ…あっ、あああぁぁあぁあぁあああっ!!!」

指が離れたあとも消えない熱と、大きく開かれた視界いっぱいに広がる光景にはあらん限りの力で叫び声をあげる。何事かと慌てるファラの横でシエラも何かに耐えるように唇を噛み締め、自身の右手を押さえながら睨みつけるような目でを見やった。
けれど、シエラの眼に映っていたのはの姿ではなかった。
しろとくろ、ひかりとやみの中心の小さな煌めき。シエラの眼には、はっきりとその輝きだけが映っていた。
それが自分の右腕を住処とするものの記憶であることは明白だった。空間自体がこの世のものとは異なっていたのだ。それに雑じって心に入り込んできたのは、慈しみと愛しみの混じりあった、期待と不安。記憶はそうした感情で構成されていた。無理やりに共有させられているはずなのに不快とはねつけられない温もりで溢れ、するりと心に融けいる記憶はひとのそれと何ひとつ変わらない。シエラには、それが信じられなかった。
けれど瞳に直接映された場所で、小さな煌めきが消えてしまった瞬間に訪れた喪失感は、間違いなくシエラ自身にも覚えのある感情で。ようやく途切れた光景から醒めたシエラは、未だ落ち着かない心情のまま、今度こそ目の前の少女に視線を向けた。

両手で抱えるように頭を抑えたまま叫び続けるの瞳にはどうやら何も映っていないようで、シエラが目前に手をやってもただひたすらに虚空を見つめ続けていた。その間も彼女の唇から溢れ出る絶叫は尽きることを知らず、徐々に大きくなってゆく声音にあわせて腕に籠められる力も強くなってゆく。本人の意識に反して行われているがために加減をしらない両腕は、そう遠くないうちに彼女自身を傷つけてしまいそうだった。
あまりに長く途切れることのないの絶叫に、シエラの隣でファラが躊躇いつつも腕を伸ばしかける。それを視線で制して、シエラは自身の右腕を大きく振りかぶった。

 パシン!

室内に響き渡った乾いた音色。の甲高い悲鳴を消し去ったのは、遥かに小さな頬を叩いた音だった。
右頬を思い切り叩かれたことでようやく意識が身体に戻ってきたは、未だ焦点のぶれた瞳で意識を引き戻した張本人を捉える。

「シエラ…さ、ま?」
「どうやら、戻って来たようじゃな」
「わ…わた、し…!」

続く言葉が声にならないまま、はぼろぼろと零れる泪を止めることができなかった。一度堰を押し越えてしまった感情は戻ることを忘れて、むしろ増長するように嗚咽まで加わる。
いったいなにが哀しいんだろう。
いったいどうして泪が流れるのだろう。
理由もなにもわからないまま、ただ心が傾くままに泪は止め処なく流れだして、布団に落ちた染みはどんどん大きくなっていく。繰り返される嗚咽の間で、バタンと扉の閉じる音が聞こえた。それから、何か冷たいものが額にそっと触れた。

「…今度は、大丈夫なようじゃのう」
「わたし…わた、しは」
「安心せい。ファラは外へやった。今ここにいるのはわらわとおんしだけじゃ」

額から撫ぜるように手を動かして、シエラはぽんと軽くの頭を叩く。その仕草がなんだか母親が子にするもののように思えて、は泪を流しながら笑ってしまった。
「器用じゃのう」と呟いたシエラの声は呆れていたけれど、それが余計にには嬉しかった。