大きな太陽が西の方向に真っ赤に染まって傾きだしてきたころ。そういえばそろそろ夕飯の時間だね、と恵人さんに尋ねてみる。
朝ご飯と昼ご飯は個人で自由にとっていいらしいんだけど、夕飯だけは生徒全員あの大広間に集まっていっしょにとるのが慣わしなんだそうだ。いろんな寮の人と逢える機会だから、それはそれで嬉しい。だけど座席は寮ごとらしいから、竹巳とかと一緒にお話できなくて少し寂しい。
そんなことを考えて、さっきの鳥さんの巣をぼんやりと見上げてたら、ぽつりと恵人さんが呟いた。

「…行こうか」




「あー、翼さんに柾輝くんに誠二だー!」

茶色と黒の頭がふたつ。声に反応して振り向いた三人は、私たちに気が付くとその場で足を止めてくれた。

「なんだ、に若菜じゃん。お前ら、知り合いだったっけ?」
「はい!ついさっき知り合ってきました。…っていうか翼さん、恵人さんのことなんで知ってるんですか?」
「俺と若菜は寮が同室なの。若菜結人のことを聞いたのもこいつから、ってわけ」

今朝話しただろ、と呆れ顔で言われて記憶をひっくり返してみる。うーん…そういえばそんなことを言われたような言われなかったような。とりあえず、若菜結人のことを誰かから聴いたって話はしてた気がしないでもない、うん。
お昼過ぎから、恵人さんと結構長い時間一緒にあの木の下にいたけれど、恵人さんと交わした話題はおそらく片手で足りてしまうくらい。きっと、ほとんどの時間をただ並んで座っていた。だって、座ってるだけで落ち着くような気がしたんだもん。なんにも話さなくても、それだけでいい。そんな感じ。

「んでもって、俺と黒川も同室ってわけ!」
「あーだから今日一緒に探検してたんだね」

ぴょんと翼さんのうしろから出てきた(実際は誠二のが背が高いから元々見えてたけど)誠二はにこにこ笑顔で楽しそう。いったいなにかあったのかなあって自分なりに推理力を働かせてみる。

「あっ!」

はたと気付いて手をぽんと打つと、誠二がきょとんと首を傾げた。

「誠二、何か面白いものでも発見したの?」
「えっ、なんで?」
「いや、なんか嬉しそうだなーって思ったから」

学校内の秘密のお部屋散策に行ってたから、それで面白いものでも発見したのかなーと思ったんだけど…(たとえば、隠し扉とか)変わらず不思議そうな顔してる誠二をみる限り、どうやらハズレだったみたいだ。

「結果は散々だったよ」

溜息混じりに翼さんが言った。

「ノブのないドアとか、明らかにおかしい部屋と部屋との間のスペースとか怪しいものは山ほどあったんだけどね」
「入り方がさっぱり。結局骨折り損だな」

苦笑交じりの柾輝くんの言葉からは、探検の最中の苦労さというかくたびれ具合というか…とりあえず、はしゃぐ誠二と苛々がつのってく翼さんとの間で大変だったんだろうなーとか色んな感情が読み取れた。なんか、三上さんと誠二の間で立ち回ってた、昨日の竹巳と渋沢さんを思い出すなあ。柾輝くんもあのふたりと似たようなタイプなのかな。
…そういえば、竹巳はいったい今どうしてるんだろう。それに ―――――――

 
「こんな道の真ん中にたまってると、通行人の邪魔になるぜ」


そうそう、この声。昨日聞いた光宏の…………って、あれ?

「光宏っ!?」
「おまえ.…気付くの遅いだろ」

うわ、この他人の感情逆撫でするような腹の立つ口調!間違いなく光宏だっ!
学校散策は楽しかった散々だったと言い合っていた誠二と翼さんたちも、みんなそろって振り返ったその先に居たのは、私たち全員の視線を浴びても変わらず笑顔を浮かべてる光宏と、ちょっと困ったような顔をした竹巳。あれ、ちょっとまってよ。なんで光宏と竹巳なの?組み合わせが…なんか不思議。
そんなことを思っている私をよそに、竹巳に気付いた誠二は体当たりとしか取れないくらいの勢いで竹巳に向かって飛びついたりするし、光宏の態度が気に入らないのか翼さんはなにやら難しい表情を作ってふたりのことをみてるし。
光宏は絶対その翼さんの視線に気付いているくせに、そんなのないも当然の如く無視をしてちょっと低い調子で言った。

「昨日みたいな馬鹿なこと、やってないんだろうな」
「やってませんよーだっ!」

嘘です、実は今朝またやっちゃいました。
なんてことはもちろん内緒。理由はいろいろあるけれど、一番はやっぱり心配をかけたくないからなのかな。それとも…まだ光宏のこと許してないからなのか。

「…昨日、竹巳から聞いた」
「竹巳から?聞いたって、何を」
「俺と最後に逢った日、だろ。それが生えたの」

光宏が指差した先にあるのは、もちろん今なおぴんと立ちつづけるふさふさの耳。
そうですよ。私がこれと一緒になったの、光宏と喧嘩した直後の帰り道。すっごい腹がたってて、光宏なんか!とか思っていたらむずむずしてきて…
なんだかこういう風に考えると、まるで光宏の所為みたいに聞こえるけど、実際はそんなこと欠片も思ってない。こんな不可思議現象、誰の所為とかそういうのじゃないし。あえて言うならこんな風に育ってしまった私の所為、ってところかな。

「そーだけど」

そっぽ向いて、つっけんどんに答えたのは、そんな風に考えてる自分がなんだか言い聞かせてるみたいで嫌だったから。それから、なんでもかんでも光宏に知られているのが、ちょっと悔しかったから。
素っ気無く答えたその態度が気に食わなかったのか、次の瞬間表れたのは不機嫌そうな皺のよった顔。その顔のまま、光宏が何か言おうとした直前、私たちふたりの間に竹巳の体がすっと割り込んだ。


「はい、そこまで」


まるで近所の悪ガキ同士が喧嘩してるのを仲裁する、お兄さんみたいだと思った。

も光宏も、もう少し仲良くしなよ。幼馴染なんだろ?」
「…竹巳、何時の間に光宏と仲良しに」
「ああ、俺たち寮で部屋割りがいっしょだったんだ。それで昨日の夜、の話から盛り上がってそうこうしてるうちに結構気が合って…って感じだけど」

なるほど納得。確かに竹巳って、光宏が好みそうなタイプだわ。無駄にうるさくなくて、かといって自分を過剰に評価するわけでもなくて。寮もおんなじだし、たとえ部屋が一緒じゃなくたって、すぐにこうして仲良くなったような気がする。
でも、ちょっとだけ悔しいな。
竹巳の言うとおり、私と光宏とは小さい頃から一緒に育った幼馴染って奴で。どういう人と仲良くなって、どういう人が嫌いなのか、とかそういうのまで何となく判るくらい親しい仲なわけで。
この学校の中で、私が一番光宏のこと知ってるはずなのに、隣に立ってるのは私じゃない。
ああ、なんで。こんな喧嘩ごしになっちゃってるんだっけ。
ぐるぐる廻る頭の中、必死になって考えた。でも、やっぱりこの喧嘩ごし、解ける気だけはしなかった。

「光宏っ、おまえも謝りたいなら素直に謝ればいいだろ。昨日の意気込みはどうしたんだよ」

竹巳の耳打ちする声が、何故か聞こえてきてしまったから。それが合図になって。私の、上がり下がりが激しい感情メーターが、思いっきり速いスピードで突き抜けるくらい駆け上がっていった。


「私、まだ光宏のことゆるしたわけじゃないからね!」


今この廊下で話している人の中で、一番大きい声だったと思う。
話から半ば遠ざかっていた翼さんたちも、驚いたみたいに目をパチクリさせていた。
でも一番驚いてたのは ―――――――― たぶん、私だ。

「あの時光宏が言ったこと、私忘れてないんだから!」
「おまえっ…た 確かにあの時は俺が悪かったけど、だけど」
「あのあと何にも言ってことなかったくせに、今更なんて虫が良すぎるよ!」
「あの後はが幾ら連絡したって出てこなかったんだろっ」
「この耳で出て行けるわけないじゃん!それに電話でだって謝るくらい出来たでしょ!?」
「それは、電話じゃまずいと思ったから、出て来いって言ったんだろ…ッ」

不意に小さくなった光宏の声が、ものすごく久しぶりに聞いた本当の声だと思った。これ以上は、何をしたって私のマイナスにしかならないって解ってるのに。今の光宏を、もう許してるって解ってるのに。
言葉はやけに嘘吐きで、止めることが難しい。

「光宏なんかっ ――――――― 」

『だいっきらい』
口からその言葉が零れる前に、うしろから私の口を抑えてくれる人が居た。
恵人さん、だった。

「…行こうか」

それは、さっきと、おんなじ言葉だった。
真っ赤に思えた目の前の光景が、一瞬でオールグリーンに早変わり。これこそ、ほんとうに魔法だよ。
口からゆっくり離れた手は、そのまま私の手の平をゆるく包んで心地がよかった。近くで、ほっと息を吐く音が聞こえた。きっと竹巳だ。ごめんね、竹巳。迷惑ばっかりかけっぱなしで。

恵人さんに引かれたまま、大広間のほうに進もうとした時、光宏が小さな声で言った。

「もうすぐ…満月だぞ、四月の」
「………」
「約束、だから」

それだけ呟いて、光宏はすたすたと一度もこっちを振り返らずに先を進んだ。そのうしろを、竹巳が申し訳なさそうに追いかけていった。誠二が、ほんの少し淋しそうにちぇっと零したのが耳についた。


その日の夕食は、当然のことながらあんまりおいしく感じられなくて、心配してくれた翼さんと柾輝くんが「無理するなよ」って横で二、三度励ましてくれたけれど、ほんとは全然味なんかしなかった。逆隣に座っていた恵人さんは、何も言わなかったけれど、隣に座っていてくれるだけで、なんだかすごく落ち着けた気がした。
何時になるか解らないけど、近いうちに絶対、ふたりに謝らなくちゃ。今度は、私から。
恵人さんのまわりの空気は、私に自然とそう思わせるのに充分すぎるくらいのものだった。


レッド・グリーン・グリーン
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