「ふああぁ…」

太陽が、ほんの少し西に傾きだしていた。
大きな欠伸をした口からは春の気持ちのいい空気が肺一杯に染み込んできて、居心地は悪くない。むしろ、かなりいいほうだ。
背中に感じるふわふわの原っぱは柔らかくて寝心地満点だし、すぐ傍にある大きな木が十分すぎるくらいの日陰を作ってくれているおかげで、肌にじりじりと射してくる痛みもない。かといって、日が当たらなくて寒いわけでもなくて、ぽかぽかとした暖かい空気が周囲を漂っているのが目に見えるようにわかった。

お昼ご飯を取り終えた私は、学校の庭にある木の陰で、ひと時の休息タイムを満喫していた。
庭、というのにはやや語弊があるかもしれない。やっぱり学校なんだから、校庭のすみっことか、中庭っていうべきかな。うーん…とすると、中庭の方かな。校庭って感じではないし。雰囲気としては、中学校の裏庭と似ているところがあるかもしれない。規模はあまりにも違いすぎるけど。うん、なんかちょっと懐かしい。
今ごろ、翼さんや柾輝くん、誠二たちは学校内を散策しているはずだ。回っていないところを、全部みるとはりきってたから(主に誠二だったけど、密かに翼さんも乗り気だった)この広い学校の全部を一日で把握するのはかなり大変そうだけど、その方が二人のやる気を刺激していいのかもしれないなあ。お付き合いする柾輝くんには、とりあえず同情だけしておこう。
朝食のあと、午前中に西園寺先生に率いられて廻った教室は、この学校のほんのごく一部だと先生は言っていた。何百年も前から建っているこの学校には、まだまだ知られていない教室も沢山あって、先生たちも実は総て把握しているわけではないそうだ。とりあえず、よく使う教室、ということで図書室や更衣室、各教科の教室などの場所と立ち入り禁止の区域だけをしっかりと教えられた。覚えられたかは、別問題だけど。

西園寺先生が話してくれた学校についてのお話は、生活に直接関わることばかりだった。
月曜日から金曜日までどういう時間配分で授業があるかとか、朝昼夕のご飯の時間だとか。これからのために必要なことだから、必死に聞いてメモもとった。しかも説明された量もなんだかんだいって多かったし。でも、なんていうか…私が知りたいと思ってた、ベアリエントについてのことはほとんど話にはでなかった。
たぶん、普通は知っていてあたり前のことだから、ってこともあるんだと思う。けど、やっぱり私は知らないから。いろいろ知りたいことがあったけれど、結局先生にはなにも聞けず終いだったわけで。
配られた紙に書いてあったことも、やっぱり学校生活の時間割とか地図とかだけで、知っておきたいと思うことは全然手に入らなくって。明日からはじまる授業でいろいろ学べばいい、ってわかってはいるけど、それでももやもやする何かがあって。
「一緒に行こうよ」って、誠二に誘われたのを断ったのは、興味がなかったからじゃなかった。こんな気持ちで、笑える自信なんて、欠片もなかったから。

「前向きに…がんばんなきゃ」
「あ」
「え?」


 ボトッ


…なんだろう。今の鈍い音と「あ」って声とこのお腹の上に感じる微かな重みは。
わけのわからないまま、恐る恐る頭だけを動かしてお腹の方に視線を向けてみた。


「と、とり…?」


お腹からそれが落ちないように手で支えてから、頭だけじゃなくて上半身ごと起き上がる。それから、もう一度まじまじと手の中のそれを見てみたそれは ――――― やっぱり鳥だった。しかもまだ飛べそうにない小さな雛鳥。小学生のとき、図鑑とか好きだった光宏と違って私はあんまり詳しくないから種類まではわからないけど、さすがに上から落ちてくることが趣味な鳥、なんてものは存在しないだろう。

「ってことは、」

立ち上がって、恐る恐る木に近寄る。
上から落ちてきたってことは、やっぱりこの木から、ってことだよね。ちょうどさっき、私のお腹があったあたり。その場所で、上を見上げた。

「え…?」
「あ」

 ドサッ

はらはらと、まだ淡い色の緑の葉がそれと一緒に舞い落ちる。聞こえた声は、さっきこの鳥が落ちてきたときと同じもの。喋った台詞までまったく同じ。

「え、えっと」

木の上から降ってきたその人は、ゆったりとした動作で、こちらを振り返る。

「あ」

その人は、どこかでみたことのある色の髪と、ぼうっとした面影が特徴的なやさしい顔をした男の子だった。
しかも、喋った言葉はまたもや「あ」。
男の子は、頭に数枚の木の葉をつけたまま、数歩こっちに近づいてきた。

「…それ」
「えっ。あ、この子のこと?」

手の平に乗ったままの彼(もしくは彼女)を持ち上げると、彼はこくんと小さく頷く。

「えっと…この子、きみのお友達?」
「…ううん」
「あ。じゃあもしかして、きみはこの子を巣に戻そうと思ってこの木に登ってた、とか?」
「…(こくん)」
「途中で落しちゃったんだ。それで、私のお腹の上に落ちてきたんだね。えっと…きみはもう一回上に登るの?」
「(こくん)」

降ってきた男の子は、とても口数の少ない静かな子だった。私が喋らなかったら、意思の疎通も難しそうなくらいの寡黙さ。だけど、なんだろう。不思議とそれがイヤじゃない。
両手の上で大人しくしている子に少しだけ視線を向ける。きっと、この子もわかってるんだろう。目の前にいるこの人が、自分をおうちに戻してくれる存在なんだって。

「…ねえ、私も一緒に登ってもいい?ほら、この子が降ってきたのも何かの縁だし。木登り、得意だから」
「(ふるふるふる)」
「…だめ?」

ほんの少しの勇気を搾り出して、尋ねた理由はなんだったろう。羨ましかったのかな。それとも、何もせずにいられなかったとかかな。
自分でもよくわからなかったけど、きっと私は結構沈んだ顔をしてしまったんだろう。間髪いれずに私の提案を却下した少年は、ほんの少しの間の後でぽつりと言った。

「木、危ない…から」
「あ…そっか。心配、かけちゃうのもだめだよね。この子のこと、お願いします」
「…うん」
「よかった。あ、というか最初からそのつもりだたんだよね。私が引き止めちゃったんだ」
「……そんなこと、ない」
「…ありがとう。また、引き止めたら駄目だよね。えっと、気をつけて、ね。鳥さん、よろしくお願いします」
「(こくん)」

大きく頷いてくれた彼は、鳥さんをそっと受け取って軽い足取りで木を登りだした。
木が登り易いのか、彼が得意なのか、片手を鳥さんで埋めておきながらも、彼はするすると木の上のほうまで登っていく。そして、ちょうど私の真上あたりの枝まであっという間に到達してしまった。
幹と違って、どんどん細くなっていく枝の分かれ目、中央あたりに鳥さんの巣はあった。
彼は枝の耐久力なんて気にもしていないように、さっきと変わらないスピードで、軽々と巣の傍までたどり着く。手の中にいた鳥は、彼が巣の傍に寄せてやると嬉しそうにぴょんと跳ねて仲間たちのところにもどっていった。下にいる私からは、巣の中の鳥さんの様子を見ることは出来なかったけれど、それを見守る彼の顔が柔らかく笑っていたのを見て、それだけで安心した。あの鳥さんは、無事に兄弟たちのところに戻れたみたいだ。
ほっと小さく息をついて、もう一度枝を見上げる。登っていた彼が、丁度飛び降りようとしている真っ最中だった。

 ドサッ

「……うん」

自分がついさっきまでいた枝を仰いで、彼は満足そうにそう呟く。みているこっちまで、なんだかほっとするような瞬間だった。

「私なんかがいうのも変だけど…ありがとう!」
「……
「え、あ、うん。私、、鳴神寮の一年生。
 だけど、きみは…?どうして、私のこと知ってるの?」
「若菜恵人。鳴神二年。…恵人で、いい」
「同じ寮…っていうか先輩ッ!?ご、ごめんなさい!気付かなくって、普通にタメ口で」
「…別に、いい」
「でも、私そうやって言われたら本当に遠慮なしになっちゃうし、先輩だし…気を、つけます」
「…ほんとに、いいのに」

ぼそりと小さな恵人さんの声が聞こえた気がしたけれど、すぐにそんなことなかったみたいにこちらに顔を向けてくれたから、構わず「よろしくお願いします」と口にした。
手を差し出すと、恵人さんはほんの少しだけ間を空けて、ゆっくりと私と握手をしてくれる。
口元に、そっと浮かべられた笑顔のし損ないみたいな笑い顔が暖かくて、さっき寝転がってたときと同じくらい居心地がいい。今朝あった、若菜結人って人とは似つかない、倖せな気分がそこには溢れてた。

………。
………………あれ…?

「若菜、恵人…さん?」
「…(こくん)」
「もしかして…恵人さんっ、今朝の」

ぱくぱく、今度は私が酸素の足りない金魚になってしまったみたいだった。
あぁ、今更になって。あの時の彼の気持ちがわかるなんて!口に出す言葉に困るって、こんなときのことをいうんだ、きっと。
私の様子を、首を傾げて不思議そうに眺める恵人さんは、ふと何かに気付いたように手をポンと叩いて、変わらない呆っとした面持ちで言った。

「今朝は…弟が、ごめん」
「おっ、おとうと…!じゃあ、若菜結人っていうのは」
「俺の…おとうと」
「!!!」
「結人、悪気たぶん、ないから」

言われて初めて、恵人さんを見た時に感じた「どこかでみたことがある」っていう気持ちを思い出す。
そうだ。恵人さんの髪の色とか、顔立ちとか、今朝見たあいつにそっくりだったんだ。
雰囲気こそ思いっきり違えど、構成してるパーツとかが一瞥して「似てるなー」って思うくらい近似してる。というか、どうして私気付かなかったんだろうっていうのが本音なくらいだ。

「…ごめん」

弟、若菜結人に代わって、私にそう言う恵人さんを見て、恵人さんが謝ることじゃ全然ない、と思ったのと同時に私はものすごいことを考えてしまっていた。
若菜結人ってば…どうして、もう少しだけでも恵人さんに似なかったんだろう…!もちろん、性格面で。
当然、こんなこと奴にも恵人さんにも、言えたことではないけれど。


※「若菜恵人」くんは「シャルル」様からお借りしていますオリキャラです。


それは空から舞い降りて
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