「人の幼馴染に手、あげるなよな」

つまらなそうに息を零しながら、光宏は頭の上に星を浮かべる鳴海に言った。
そんな光宏を見ていた私は、何かを確かめるようにただ、バカみたいにそいつの名前を口にしていた。

「…みつひろ」

何度瞬きしてみなおしたって、光宏は光宏だった。
私の見間違いとか幻想とかでもなく、どこからどうみたって奴は私のよく知る日生光宏。幼馴染で悪友で、小学校六年間に加えて中学二年間の計八年も何故かクラスがずっと一緒で、私に猫耳が生えた日に喧嘩して以来まったく逢ってなかったひと。
…………なんで、光宏がここにいるの?


「で、」


微妙に気を失っているんじゃないかな、って雰囲気の鳴海って人から目を外した光宏はそのまま顔だけを動かして私の方を向いた。
さっきまで顔に貼り付けてあった微笑みはもうどこかに消えてて、光宏は、虫の居所が悪そうな怒りの表情を浮かべていた。

「なぁんで、がここにいんだよ」
「そっ、それはこっちの台詞だよッ。なんで光宏がこんなとこにいるのさ!」
「なんでって、そんなの決まってんだろ?俺はここにいる連中と同じだからここにいるんだよ」

ここで「俺がベアリエントだから」って言わないあたりに、光宏の性格が出てると思った。誰かに付けられてしまった名前を光宏は受け入れてない。その気持ちが、どうしてか理解できるような気がしたんだ。理由なんてちっともわからなかったけど。
それにしても、私はどうしていきなりこんな怒られ口調で光宏に物を言われなきゃいけないんだろう?私…別に光宏に怒られるようなことしてないし。ちょっと、知らない人を投げ飛ばしたりはしたけどさ。

「わっ、私だって同じだよ!!そうでなきゃ来るわけないじゃん!」
がベアリエント?おまえ、それ本気で言ってるのか?
 おまえは人間だろ!!ここはおまえが来るようなとこじゃないんだよ!」
「私だって来たくて来たわけじゃない!こんなもの生えなかったら、みんなと一緒の中学に通ってたよ!!」

光宏の台詞はまるで私に「おまえはここにくる資格なんてない」って言ってるみたいで無性に腹がたってしまって。無意識のうちに、私はそう叫んで頭の帽子を思い切り剥ぎ取っていた。
外した帽子の内側から現れたのは、やっぱり変わらない猫の耳で。それを見た光宏は一瞬目を大きく開いて、次の瞬間には苦虫を噛み潰したような、なんとも言いがたい表情を私に見せた。

「…っ。、おまえ本気で…!」
「これでも…まだ、光宏は私が人間だって言うの?まだ、帰れって言うの?そんなの…っ、もう私は無理だよ!光宏なら平気かもしれないけど、私には…無理だよ!」

帰れるものなら、今だってまだ帰りたいと思ってるよ?
叫んだ言葉は近いくせにすごく遠くて、私は思わず下唇を噛んでいた。不意に肩に手を置かれて横を向いたら、竹巳がいつのまにか私の隣に立っていて。目の前の光宏は口惜しそうに下を向いたまま、何も私に言わなかった。


 パン パンッ!


「はい、そこまで!」

部屋の中に、いきなりそんな渇いた音が響き渡った。
それまで私や光宏やさっきの騒ぎの中心二人に集っていた周囲の人たちの視線は一瞬のうちにその声の元に集中して、視線の先にいた西園寺先生はそれに臆する素振りも見せないでまた柔らかく微笑む。
やっぱり…あの人は凄い人みたいだ、うん。

「みんな、元気があるのはは素敵なことだけれど今は一応入学式ですからね?鳴海くんも日生くんも山口くんもさんも、もう少しだけ大人しくしていてちょうだい」

…大人しくって、私たちは檻の中の猛獣かなにかですか。

「別に、間違ってないと思うよ。だって、俺が止めたの聞かないで突っ走ってったし」
「あっ、あれは…だって止めなきゃって思って」

竹巳の視線がものすごく痛いです(なんで!)
そういえば、さっきの二人は鳴海くんと山口くんっていうんだ。鳴海って方が光宏に飛ばされたほうだから、受身取ったほうが山口くん。…あのふたりには、できるだけ近づかないようにしておこう。なんか恨まれていそうだし、今みたいに殴られそうになるのは流石にごめんだ。自業自得かもしれないけど。

「それでは注意も終わったことだし、次は寮分けに入ります」

西園寺先生がそういうと、先生の後方に立っていた茶色の髪の女性が、先生に両手でやっと抱えられるくらいの大きさの箱を手渡した。西園寺先生はそれを器用に片手で受け取ると、足元に置いた。高さはちょうど、先生の膝あたり。遠目からでもわかるくらい、西園寺先生は一般的な女性よりも背が高いから、箱も随分と大きいみたいだ。
…あれ?ちょっと待って、この展開ってまさか。
今から寮分けをするって時に、あんな箱が登場するってことはもしかしなくてもあれですか?

思わぬ箱の登場に、周囲は一気にざわついた。
そのどよめきを楽しむように微笑んで、西園寺先生は言った。


「寮分けは ――――――― くじ引きで行います」


ああ、やっぱりそうですよね。寮分けです、って言われてあんな箱が出てきたら、選択肢はそれだけですよね。

「この箱の中には、"緑""赤""黄"の三色の紙が入っています。"緑"を引いたら佐保姫寮、"赤"を引いたら鳴神寮、"黄"を引いたら白帝寮。一応、それぞれが均等になるように入ってはいるけれど多少の人数の違いは覚悟してちょうだいね。
 それでは、二年生から呼ばれたものは前へ」

名前を呼ばれた誰かが先生のいる壇上に向かっている間も、周囲のざわめきもなにもかも、頭の中に入ってこなかった。
ああ…なんでなんでなんで!よりにもよってくじ引きなんてもので、寮という学校生活をおくる上で非常に重要な事項を決めなければならないの!

「どうしたの、?」
「……どおしよう、竹巳ぃ。私、くじ運めちゃくちゃ悪いんだよ!小学校の席替えで八回連続ばっちりアリーナ引き当てちゃった経験あるし」
「アリーナ?ああ、一番前ってこと?」
「そう!うわあ…このままだと、絶対私最悪な寮になる!絶対、さっき投げちゃった人とか三上さんとかと同じ寮になるんだぁあぁーッ!!」
「ふーん…つまり、おまえは俺様と同じ寮になりたくない、ってわけか?」
「うひゃ!?みみみみみみみみかみさん!?」

なななななななんでこの人がこんなところに!?ついさっきまで確かに誠二と渋沢さんと前にいたよね、うん絶対いたよ!しゅ、瞬間移動?いや、まさかそんな荒唐無稽なことまではさすがに…

「おまえがアレだけ騒いでりゃ、声のひとつもかけたくなるっての。渋沢の野郎はもう行っちまったからな」

そう言って、三上さんはにやりと笑う。首を動かして見渡してみれば、三上さんが言ったとおり渋沢さんの姿はどこにもない。まさか、と思ってテーブルの方に視線を動かしてみる。
………いた。ちょうど三つならんでる、縦長のテーブルの一番左側に渋沢さんは腰掛けていた。えっと…あそこは、何寮の席なんだろう。

「あいつは佐保姫。おまえ、ちっとは聞いてろよな」
「うっ、三上さんには聞いてないですよ」
「ほほう。俺様の優しさを理解できないってか?」
「ぐっ」
「次、三上亮くん!」

あ。

「もう俺か…
 ま、せいぜい俺様と同じ寮になれるよう、祈っとくんだな」

嫌味な笑い方をしながら、三上さんはしっかりとした足取りで箱のほうへ進んでいく。
いつのまにか、箱は高さのある台の上に乗せられていたらしく、三上さんはほんの少し腰をかがめるだけで簡単に箱に手を入れることが出来た。確かに箱だけの高さだったら、渋沢さんとか背の高い人は取るの大変そうだよね。
箱の中を探るように何度も腕を動かして、三上さんは一枚の紙を引き抜く。

「黄色ね。じゃあ、三上くんは白帝寮の席に行ってちょうだい」
「はい」

そして、三上さんは一番右端のテーブルに着席した。
黄色は白帝…白帝だけは駄目だ…!他のふたつのどっちかにならなきゃ!

「赤。では、若菜くんは鳴神寮へ。
 二年生は…これで終わりみたいね。では、一年生に入ります。最初は…」

ふと気が付くと、いつのまにか寮ごとにわけられたテーブルは半分近くが埋まっていた。佐保姫、鳴神、白帝。全部同じ人数、というわけではないけれどそれぞれにそこそこの人数が座ってる。全体的に男の子が多い気がしないでもないけど、ちゃんと各寮にひとりずつは女の子がいるみたいだ。佐保姫には二年生にふたりいるし、白帝にはさっきちょうど一年の女子が入ったようだ。あ、また入った。鳴神にも…うん、ちゃんといる。茶髪で小柄で、すごく可愛い顔したちょっときつそうな女の子。これならどこの寮にはいっても女の子ひとり、ってことにはならなくてよさそうだ。

。誠二は、鳴神だって」
「え、ほんと?じゃぁ、竹巳も鳴神目指してよ。そしたら私もがんばって鳴神引くから!絶対に、白帝だけは引いちゃ駄目だよっ!」
「そんなこと言われても、なあ」
「次!笠井竹巳くん」
「あ、俺だ」

名前を呼ばれた竹巳は、私に軽く手をふって早足で箱の方へ向かう。残された私はといえば、両手の平を合わせて必死にお祈りだ。
竹巳がんばって鳴神だよ。赤い紙を引き当てて!

「あいつ、おまえの知り合いか?」
「えっ?あ、光宏か。いったい、誰かと思った。あいつって、竹巳のこと?」
「笠井竹巳、って今呼ばれて行ったやつ」
「知りあいっていうか友達だよ。電車の中で知り合っていろいろ教えてもらってるの」
「ふぅん」

まだ機嫌がなおってないのか、光宏は眉間に皺を寄せたままの表情で私のことを見てくる。気が付けば、私たちの周りには、もう誰もいなくなっていた。
ああ、そっか。私と、光宏で最後なんだ。
壇上で竹巳が引いたくじは、赤い紙ではなくて黄色の紙だった。三上さんと同じ、白帝寮。
三上さんと同じ寮になるのはやだけど、やっぱり竹巳と同じ方が安心だし。できたら白帝寮になりたいな、と思う。知ってる人がいるって、やっぱり重要だ。鳴神にだって誠二はいるけど…なんとなく、竹巳の方が安心できそうだしね(ごめん、誠二!)

「次、さん」
「はっ、はい!」

竹巳が席につく直前、西園寺先生の声が私の名前を呼んだ。
一応、光宏にバイバイと手を振って、ほんの少し駆け足で先生の方へと向かう。
間近で見る西園寺先生は遠めからみる以上に美人で、思わず自分の顔が火照っているのを実感した。こんな綺麗な人と並ぶなんて、ちょっと恥かしい感じがしちゃうのってなんでだろう。

「じゃぁ、引いてもらえるかしら?」
「はいっ」

箱は、想像以上に大きかった。
台の上に乗っていると、ちょうど私の胸のあたりまで高さがある。少し背伸びをして、私は頭がすっぽりはいりそうな大きさの穴に手を入れた。中は、暗くてどうなってるのかよく見えなかったけれど、箱の中へ入れた手は、意外にも簡単に底に触れた。思ったよりも中は狭いみたいだ。でも、これで外観と同じだけの空間が中に広がっていたら、私絶対くじひけなかったな。
私の順番が最後から二番目っていうのが原因なのか、箱に入っているはずの紙はなかなか見つからなかった。腕の角度を変えて、何度も箱の中をかき混ぜる。四隅の一角に手が触れたとき、カサッと渇いた音が耳にした。
あった、これだ。
親指と人差し指でしっかりと紙の感触を確かめて、私は思い切り箱から手を抜き出した。


「…………え?」


思わず、目が点になってしまった気がした。
どうなっているのと聞きたくて、すぐ隣にいる西園寺先生に助けを求めようと横を向くと、先生も驚きで目を見開いて口元を手で塞いでいた。もうすでにくじを引き終わって席についているほかの人たちも、みんながみんな、私の指の先に注目している。

「あ、あの…これって」

緑だったら佐保姫寮。赤だったら鳴神寮。黄色だったら白帝寮。
箱の中に入っているのはその三色のはずで、その三色以外は入っていないはずで。
それなのに――――――――


「青って……どこ?」


箱から抜き出した私の親指と人差し指は、これでもかと言うほどにしっかりと、澄んだ空色の紙を握っていた。


くじ引きミラクル
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