窓ガラスの向こう側には、背の高い淡いグリーンの木々と、その隙間から頭を覗かせる(たぶん)大きな建物の姿が見えた。
プシュー、と狭い隙間を空気の通る音がして、がこんがこんと身体に鈍い震動を響かせながら列車はゆっくりとスピードを落とした。それから最後に一度、大きくゴトンと身体が揺れて、一際大きな噴出音が耳に届く。ピンポンパンポンと、場違いな電子音が鳴ったのは、丁度そのときだった。


『―――― プツンッ…はいはーい!皆さん聞こえますかー?』


「…なに、このテンションの高い声」
「さあ。この列車の車掌かなにかじゃないのかな」


『ただいまーこの電車はみんなの学校がある駅に到着しましたーもうすぐドアが開きますので、みんなは荷物を持って素早く外に出てくださいね!ちゃんとホームで美人の先生が待機してますからねー』
『先生!!もう少し真面目に放送してください!』
『あら、いいじゃないのーやっぱり第一印象が大切でしょ』
『香取先生は次のボーナスカット希望…』
『あっ!ごめんなさい冗談です!!と、とにかく、新入生のみなさんは電車を降りて待っててくださいね!…ブチッ』


やや高い女の人の声と、その声を"香取先生"と呼んでいた男の人の声。ある種の漫才みたいなやりとりだったけれど…やっぱり先生って言うくらいなんだから、先生なんだろうな。先生の定義が私の知ってるものと違ってなければ、私たちあの人たちの授業をうけるのか…ちょっと、心配だ。

「なんだったんだろうね…今の放送」
「…とりあえず、降りろってことを言いたかったんだろうね」
「そ、そうだね」

どうやら今の放送が随分とお気に召したらしく、隣ではしゃぎまくっている(というか笑い転げてる)誠二のことは放っておいて、私と竹巳は自分の荷物を引き寄せはじめる(竹巳はついでに誠二の荷物の用意までしてた)
と、いっても。私の荷物は何故か座席の網棚の上。さっき誠二が私の隣に座るとき、何も云わずに上に乗せてしまったのだ。私の断りなしに。ああ、なんて哀れで可哀想な私の荷物。もうちょっと、誠二には"気遣い"ってものを学んでもらいたい。

「よっ、と」

背伸びをして、ずいぶんと奥に押し込まれたバッグに手を伸ばす。「年相応の女子の身長しかない私でも、届く範囲で乗っけてくれよ誠二」とか「むしろ勝手に私の荷物をどかしてんじゃない!」とか、そんな悪態を頭の片隅でつきながら、必死で手を伸ばすけれど、指は荷物まであと数センチ、というところで空を撫ぜるばかり。う…腕が、つる…

、だいじょ」

竹巳が言いかけた、瞬間だった。 ぬっと、私の後ろから色素の薄いすらりとした長い腕が伸びてきたのは。

「え…」

その腕は、いとも簡単に私の荷物を掴んでこちら側に引き寄せる。そして、私の頭の上を越えて、鞄はその腕の主の手元に吸い込まれた。

「あ…」
「うわ、めちゃくちゃ重てぇな、この荷物。いったい、何入れたらここまで重くできんだ?」

……………。
………………あれ?
いま、一瞬私の耳がおかしくなったんだろうか。それとも、本気で「重い」って言われた?何をいれたらここまで重くなるんだ、と言われたのですか、私は?

「あの…それ」
「お前、女のくせに力あんのな」
「…はいぃ?」

私の荷物をとってくれた人――真っ黒な髪の毛の年上らしき人――は、「ほれ」と一声つけて私に鞄を放った。まさか投げられると思ってもいなかったからちょっと驚いたけれど、なんとかそれを受け取って一息。この荷物…そんなに重いのかな。私には、普通だと思うんだけど…

そ れ に し て も !

「なんなんですか、その言い草は!!」

女のくせになんて言うのは失礼だし、その上内容が内容だ。女の子相手に力が強いとか、禁句も禁句、超失言!いくら私が守ってあげたくなるよーな可愛い女の子じゃないからって、傷つくものは傷つくのだ!!

「言葉のまんまだろ?その荷物もって来れんだから、よっぽどの馬鹿力なんだな、と感心してやったんだよ」
「それは感心じゃなくて馬鹿にしてるんでしょう!っていうか、女子相手にその発言!!失礼だとか思わないんですか!?」
「事実言っただけだからな」
「それ以前に私は馬鹿力じゃありません!!」

力の限りに叫んでも、目の前の失礼な人は表情ひとつ変えないで、なにやらニヤニヤ楽しそうに私の反応を窺っていた。その態度が更にムカつく!なんていうか俺様?年上なんだろうけど絶対に敬いたくないタイプの年上!むしろ、先輩なんて呼びたくないタイプナンバー1!

「荷物とってもらったことは感謝します、ありがとうございました!でも、それとこれとは話が違います!前言撤回してください!!」
「お前、そんな叫んでて疲れねぇ?」
「叫ばせてるのは誰ですかっ!!」
「三上っ!いい加減にしないか!」

突如加わってきた静止の声に、三上と呼ばれた失礼な人があからさまな音をたてて舌打ちをする。
声がした方向に顔を向けると、こっちの車両に移ってきた四人の最後のひとりがいた。さっきまで失礼な人と一緒に隣のボックスに座ってた人だ。おそらく私よりもひとつ上の人なんだろう。そう感じたのは、単に身長が高かったからだけではなく、私のことを見て微笑んだ顔が無性に大人びて見えたからだ。むしろ、ひとつしか違わないのかと疑いたい。

「うるせぇよ、渋沢。別に俺が何してよーと俺の勝手だろ」
「だからと言って彼女に迷惑をかけていいというわけではないだろう」
「からかいがいのある奴で遊ぶのは俺の趣味なんだよ」
「そんな悪趣味は棄ててしまえ!」
「ちょっとも落ち着いて」
ちゃんちゃん見てみてー!人がぞろぞろ降りてくよー」

失礼な人を宥める先輩に、まだ怒りがおさまってない(あれだけ好き勝手言われて簡単に引き下がれるか!)私を宥めようと肩を叩いてくる竹巳に、まったく関係なしにはしゃいでる誠二。
私に言えた台詞じゃないけど、なんでこんな状況になってるんだ、この車両。とりあえず、私だけのせいじゃない!ってことは主張しておくけどね!

「とにかく、三上。お前はその性格を少しは改めるように心がけろ」
「んなの俺の勝手だろ。渋沢にとやかく言われるいわれはねぇよ」
「三上!」

一方的に渋沢と呼ばれた人が、三上と呼ばれる失礼な男のことを抑えようとしているこの光景。
なんか、ついさっきみた場面に似てるような…

「あっ!竹巳と誠二に似てるんだ」

ぱっと豆電球でも光るように思い浮かんだ場面が、思わず口をついて飛び出した。
瞬間、三上って人の顔が、ぴくりと引き攣る。あれ…私、もしかしなくとも、地雷踏んだ?

「あぁん?お前、今俺と藤代が似てるとか言いやがったのか?」
「えっ、いや、なんていうか…おふたりのやり取りが竹巳と誠二に似てるかなー、って。べつに貴方と誠二が似てるって言ったわけじゃなくって。いや、ちょっとはそう思わなかったこともないんだけど…っていうか、自分で反応してるってことは自覚症状があるんじゃないんですかっ」
「ほほう…俺と藤代が似てる、ねぇ。この俺様と藤代が…」
「いや、まぁ…あの」

恐い怖い強いこわい!!!!!
つーか真面目に怖いよ、お兄さん!そんなブラックオーラ纏わないで、もうちょっと穏便にものごと運びましょうよ!私、まだまだ成長途上のお子様だから、そんな顔ですごまれたら絶対トラウマに残りますって!!
どこかに逃げようと試みるけれど、ここは狭い列車の中なわけで。一歩後に下がった瞬間に足が椅子の縁にあたってしまう。怖いから近づいてくるなと思って手を伸ばしても、そんなものは単なる威嚇にもならないわけで。すっと、目の前の失礼な男の長い腕が荷物じゃなくて今度は私に向かって伸びてくる―――――――

「この口が、俺様と藤代を似てるとかなんとか言いやがったのかー?」
「ふわっ!ひゃひゃひふぇ!!ひはひーー!!(うわっ!放して!!痛いーー!!)」
「あぁ?なんか言いたいことがあんならはっきり言いやがれ、はっきり」
「ふひふぇふーーー!!!(むりですーーー!!!)」
「三上っ!」

渋沢さんの声に反応して頬を抓られていた、というか引っ張られてた彼の手が渋々だけどようやく放される。ううぅ…めちゃくちゃ痛い…絶対今、ほっぺたが赤くなってること間違いなしだ。
両手で頬に触ったら、少しだけど手のひらでも解かるくらいに温度が上がっていた。ああ、なんだか本気で泣けてきそうだ。

、大丈夫?」
「竹巳ぃ…私のほっぺた、もうダメかもしれない…うぅ…」
「赤くなってるだけだよ。ほら、荷物持ってしゃんとして」

言われると同時に、足元に落ちてる(正確には落とした)荷物を笑顔で竹巳に渡された。
竹巳の後で私の頬を赤くさせた張本人は渋沢さんにめちゃくちゃ怒鳴られていて(でも本人は全然気にしてないみたいだけだ)誠二はまだ窓に張り付いて外を見ている。
あれ?そういえばさっき誠二が「人がぞろぞろ降りてく」とかなんとか…言ってたような…ふとそんなことを思い出して、私は竹巳の表情を窺った。竹巳の顔はにこやかに微笑みつつも、眼が異常なまでに据わっている。これはもしや…怒っている、表情なのでしょうか。

「三上先輩、渋沢先輩」

トーンの低い、きっぱりとした尖ったナイフみたいな声。はっきり言って、さっきの失礼な人の八倍は怖い。むしろ直接的実力行使に出られるより、精神的にぐさぐさくるよ、竹巳さん。

「仲がよろしいのは大変よく解りましたから、そろそろ表に出ませんか?それとも、もう一度この列車で郷にお帰りになられるつもりなのでしたら、止めませんからとりあえず静かにしていて下さいね。迷惑ですから」

学校生活を楽しく過ごすための鉄則、その1。
竹巳のことだけは、絶対に怒らせないようにしておこう。少なくとも、私の前では。


学校生活を楽しく過ごすための鉄則、その1
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