「お母さんっ!!!」

私の大声に驚いたらしく、優雅に昼時の紅茶(匂いからしてきっとアールグレイだ)を飲んでたお母さんは、思わず手にもったカップを落としかけた。実際にはソーサーとぶつかることはなかったけれど、落としていたら大変だ。なにせあれは、お父さんとお母さんの結婚記念に学友さんに揃いで貰ったという、超絶お気に入りのカップなはずだ。

「まぁまぁ…そんな大声を出してどうしたの?」

お母さんはカップをテーブルの上のソーサーに静かに置いて、こちらを向く。
三歩、お母さんにゆっくり近づいて、息を呑みこみ聞いてみた。

「私って……お母さんの、子供だよね」
「まぁ…!ちゃんは、私がお母さんじゃいやなの?それとも、似てない、って誰かに言われたの?」
「いいから答えて!!」

頭にスポーツタオルを被ってる私の姿は、さぞお母さんの眼には滑稽に映っているのだろう。「この子はいったいどこでこんな趣味を覚えたんだ」とか真剣に悩んでいそうでちょっと嫌だ。なんといっても、私の母親なのである。
いきなり怒鳴り声を上げた私に驚いたのか、お母さんは目をパチクリと瞬かせた。それから、頬に手を当てて宥めるように穏やかな声音で言った。

ちゃんは、ちゃんとお母さんがお腹を痛めて産んだ、お母さんの子よ?お父さんとお母さんが愛し合って、生まれたのがちゃん。だから、心配することなんてないのよ?」
「じゃ、じゃあ…お母さん、お父さんって猫だったの!?」
「………………ねこ?」

まったくもって話の掴めていないらしいお母さんは、首を傾げて私の言葉をそのまま返す。まあ、ある意味当然と言えば当然の反応だ。
このままじゃ絶対に埒があかない。意を決して、私は被っていたスポーツタオルを剥ぎ取った。

「 ―――― っ!?」
「これっ!!私、いったいどーしちゃったの!?」

指差したのは、もともと肌色で丸っこい耳があったはずの場所に生えてる、焦げ茶色い猫の耳。ふわふわの毛とちょっと尖がった先っぽ。しかも自分の意志でひくひく動かせると来た。

ちゃん、それ…………何かのコスプレ?」
「ち、っがーうっ!!いきなり帰り道で生えてきたの!!ひっぱっても取れないのーーっ!!!」

両手を使って上に引っ張ってみても、元々耳のあった場所にくっ付いてるそれは痛いだけで全然取れる気配がしない。もう完全に、この耳は私の一部になっちゃってるんだなーと実感したのもこの痛みがあったからだ。
お母さんはそんな私をじっと見てから、ふうと息をついて私に向かいのソファに座るように促した。
ほんとは座ってお茶なんか飲んでる場合じゃないんだけど、お母さんがあんまり落ち着いてるもんだから、渋々腰をおろして紅茶を一口含む。ちなみにお母さんの飲みかけだ。
お母さんは、私が紅茶のカップを置いたのを見計らって、「落ち着いて聞くのよ」と何度か念を押してから喋りだした。


「今まで…言えなかったのだけど。ちゃんのお父さんは『ベアリエント』っていう生き物で、人間じゃないの」
「べ、『ベアリエント』…?お、お母さんっ、そんな冗談はいいから」
「冗談じゃないわ。もちろん、人間じゃないっていっても、姿は人間なのよ?ただ、世の中にはそうした生き物もいるのよ。わかるかしら、ちゃん」


お母さんの言葉を要約するとこんな感じだ。
ひとつ。この世の中には、私たち(今は私も違うのか)人間のほかに、『ベアリエント』と呼ばれる人間とは違う生き物がいる。
ひとつ。その生き物たちの外見はほとんど人間と変わらなくて、遺伝もあるけどそれと同じくらい特別変異でも生まれるものらしい。
ひとつ。だから、お父さんが『ベアリエント』なのが原因の全て、って言うわけじゃないんだけど…きっと私もその『ベアリエント』なんだと。ちなみに『ベアリエント』には沢山種類がいて、お父さんは猫耳なんかはえなかったそうだ。



―――――― なんて、こんな話信じられるわけがない!


「お母さん!!私は本気で困ってるんだよ!?こんなんじゃ、中学校だっていけないし、外にだって出れないんだよっ!!」
「だから、お母さんだって本気で言ってるのよ?」
「じゃあ、私が本当にその『ベアリエント』だって言うわけ!?私は人間じゃないって、そういうの!?」
「哀しいことだけど……そうなっちゃうわねぇ」


 む か !


「なんなのその溜息混じりの発言はっ!!そんなの今まで十四年間生きてきたけど、一度だって聞いたことないし見たこともないよ!!」
「だって数が凄く少ないんだもの。それに…『ベアリエント』は人間とほとんど変わらないから。ちゃんみたいな種族以外はね」
「っ!」
「ごめんね、ちゃん…本当は、お母さんもちゃんだけは、人間に産んであげたかったの。でも、駄目だったみたい。恨むなら、お父さんじゃなくてお母さんを恨んで。お父さんは、なんにも悪くないから」

そう言って、突然お母さんの頬を一筋の涙が伝う。というか、この話の展開でどうして泣かれなきゃいけないのかさっぱりだ。だけど…だけど、

「お母さんが泣いちゃうってことは……本当に本当なん、だ」
「夢みたいかもしれないけど、本当なの」

お母さんは、今まで私に本気で嘘をついたことがない。嘘自体は時々吐くけれど、それは本人冗談混じりにだし、こんな真剣な話で嘘を言うような人間でもないはずだ。
俯いて、ぎゅっとキュロットの裾を握った。
わけがわからない。いきなり、自分は人間じゃないって言われて。
そうしたら、私の人生ってどうなるの?学校は?就職は?結婚は?
お父さんみたいに人間と変わらない外見ならいいのだろうけど、私みたいなのはもう隠れて暮らすしかないのだろうか。そんなのは、絶対いやだけど。

「私…もう中学校にも行けないの?」
「そうね。中学校はちょっと無理ね。でも学校にはいけるわよ」
「………え?」

泣いた烏がもう笑った、ってのはこのことか。
目をうるうるさせてたはずのお母さんが、いきなり笑みを浮かべて「うふふ」と笑いながら言った。

「『ベアリエント』にはね、人間には知られていない学校があるの。だからちゃんもきっとそこに通うことになると思うわ」
「人間に、知られてない学校?」
「そう」
「………って、そんな学校どうやって見つけろって言うの!!旅でもして見つけて来いっていうわけ!?そんなの私の一生かけたって見つかるわけないでしょーーーっ!!!」
「大丈夫よ。きっと、もう手紙が届いてるはずだから」


 くいくい


お母さんは笑顔のまま玄関の方を指差す。
それは…私に行ってこいって意思表示、なんだよね。暫らくお母さんのその仕草を凝視していた私だったけど、途中ですっごく無駄に思えて溜め息混じりにソファーから立ち上がる。
もう一度、床に落ちてるスポーツタオルを頭に羽織って玄関へ。いきなりドア開けたら隣のおばさんが、なんてことになったら大変だ。

「郵便なんて…いまの時間来るわけないじゃん」

門の隣についてる郵便受けを覗き込んでも、案の定何も入ってない。あたり前だ。今日は日曜日だし、郵便やさんがくるわけない。来たとしても、この辺は大抵午前中で配達が終わるはずだから、こんな昼も過ぎた時刻に手紙なんてくるわけがない。
無駄足のことをお母さんに文句言ってやろうと思って家の方を振りかえ―――――ろうとした瞬間。

それは、私の前で立ち止まった。


「…………きみは、猫?」


それは、口に白い封筒らしき物体をくわえた真っ黒な猫。
明らかに彼(彼女?)は私のほうを見て早く取れと瞳で訴えている。この場で猫の瞳の訴えを理解してる私もどうかと思うが、なんとなく意思の疎通が出来た気がしたのだ。何せ、私も猫耳だし。

「私宛、なのね…ご苦労様」

しゃがみこんで猫の口元に手をやると、猫は口をあけて私の手にそれを落す。
まだ次の仕事がまってるのか、彼(彼女?)は一声鳴くこともしないですぐさま塀を飛び越えて向こう側へと去っていった。…猫ってあんなにジャンプ力あったんだ。
猫を見送ったあと、私は今しがた受け取った手紙に目をやった。
裏表。ひっくり返しても宛名はなし。受け取っておいてなんだが、これ、私宛でいいんだろうか。
ちょっとだけ躊躇ってから、金色の蝋で止められた封筒を徐に開封する。中には、三枚の紙が入っていた。
そして、その一枚目。




様 ―――― ベアリエント専用学校日本校入学案内』




「………………………………」





こうして、私の人間としての平穏な人生は終わりを告げたのだった。


やってきた猫便屋さん
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