旅する子どもの帰郷から 2



さて、今頃我家はどうなっているんだろう。

茶州州都を発って約一月。無事に貴陽に到着した流珠は、市場から一本逸れた裏道を歩きながらそんなことを考えていた。

旅に出てから早七年。
所々減増したところがあるものの、"九年前の姿"から大きな変化が見られない町並みを懐かしいと感じてしまうほど、時間はしっかり流れていたらしい。出立の日、まだ八つだった自分もすでに十五。一人前ではないが大人と言っても可笑しくない年頃だ。そしてこの年月は、確実に家族にも及んでいることだろう。

(姉さんも…十六歳か)

そろそろ"いき遅れ"の称号を与えられかねない姉の年齢を考え、流珠は何もないところで笑ってしまう。「」の記憶通りなら、確か十七歳になっても結婚の"け"の字すら見えないはずだ。我が姉ながら、なかなかどうして。

(あーでも、「結婚」はしてるのか)

二月足らずの契約婚ではあるけれど、おそらくあれも結婚は結婚なのだろう。
そういえば、今は秀麗たちの時間でどのあたりに位置するのだろう。家に向かう足を動かしながら考える。
流珠が貴陽に入る頃には、早咲きの桜がすでに花開きはじめていた。「」が覚えている秀麗と"ある"人物の出逢いは桜の花が咲き乱れる頃。できれば姉が長期の賃仕事に出た後で帰宅したいと思っていただけに、この時間差は流珠にとって重要だった。

(「流珠」がいたら…仕事請けないかもしれないもんなぁ)

単に姉の平穏を願うなら、仕事を請けない、という選択肢を選ばせるべきなのかもしれない、と考えたこともある。が、結局流珠は、姉の"平穏"よりも姉の"望み"を叶えてやりたいと思った。そのために、姉が泣くことになったとしても。

(わりかし、ぼくも結構ひどいのかも)

今更ながらに自分の性格の悪さを再認識した流珠の視界に、懐かしい(しかし崩れも激しい)邸の門が見えた。思わず駆け出したくなるようなはやる気持ちを制して、けれどスキップでも踏みながら。流珠は七年ぶりに我が家の門をくぐった。

否、くぐろうとした。


「オイ!そこのお前!!」


敵意むき出しの怒声に、歩みを止められたりしなければ。

おそらく自分に向けられたであろう声のした方を振り返ってみれば、年のころ十六、七を思われる少年が息を切らして立っていた。表通りから裏通りに道を移動したあとも、せっこら後をついて来ていた気配はどうやらこの少年のものだったらしい。どうりで人気の少ない道を選んでも仕掛けてこなかったはずだ。

「お前、この家になんの用だッ!」
「用、って言うか…」

なるほど、この少年はぼくのことを邵可邸の不法侵入者とでも思っているのか。
 かなり失礼な見識ではあったが、流珠は納得した。確か、誰かの気配をはっきりと感じだしたのは紅南区に入って暫くしてから。見知らぬ人物が知人宅へと向かっているのに気付いて、親切心から様子を伺っていたのだろう。

(…良い人だなー姉さんの友達かな)

考えてみれば、歳も姉と同じくらいだ。
そこで漸く流珠は、彼がいったい誰なのか、ある可能性に思い当たった。

「もしかして…三太さん?」
「な、なんで俺の名、しかも幼名を知って」
「やっぱり!うわー三太さん、随分おっきくなったんだね。
 ぼく、流珠ですよ。紅流珠。いつも姉がお世話になってます」
「りゅ、流珠…?ッ!?お前、秀麗の弟の流珠なのか!?」
「はい、その流珠です」

頭のてっぺんから足の先までよくよく見てみれば、小さい頃姉と共に遊んでくれた彼の面影がいたる所にある。勝気な瞳なんか、あの頃とまったく変わっていない。

(そういえば、三太さんとはもう八年以上逢ってなかったのか)

件の大飢饉の折、確か彼は貴陽を離れていたはずだ。流珠が貴陽を発ったときにはまだ戻ってきていなかったから、おそらくそれくらいにはなるだろう。
懐かしい。素直にそう思い、次なる言葉を口にしようとした流珠は、喉を追い越して反射的に後退しかけた足に気付く。
風を切る微かな音が耳に届く。しかし、流珠は踏みとどまった。

次の瞬間、左頬に殴られた衝撃が走っても。口の端に鉄錆の冷たい味が広がっても。流珠はその場を一歩も動かなかった。

「…ッ」
「ッの、大バカ野郎!!」
「大バカ、って」
「あいつが、秀麗がどんだけお前のこと心配してたか…!お前、解かってんのか!?なんにも言わずにいきなり出て行ったとかいって、しかも怪我も治んないうちにだと!?あんときのあいつの状況、知らなかったわけじゃねーだろ!!」
「………ごめん、三太さん」

拳骨で殴られた頬がじんじん痛む。背中を刺された二度の痛みより、ずっと痛いと感じてしまうのだから人間の体の仕組みは不思議だと流珠は不謹慎にも考えてしまった。けれど、同時に思う。おそらく自分なんかより何倍も、殴った三太の方が痛がっている、と。
在り来たりで、あまりに理想論過ぎる考え方でも、それが正しければいいと流珠は思う。なにせ、流珠は知っていたのだから。自分の怪我のことも、七年前の国の状況も、秀麗の気持ちも。すべてを知っていながら、流珠は旅に出たのだから。

「…ごめん、なさい」
「お、俺に謝っても…意味ねぇだろッ!くそっ、とっとと秀麗に逢って、安心させてやれよ。って、引き止めたのは俺だけどな!」
「うん…そうするよ。三太さんも、心配してくれてありがとう」
「俺は別に」
「ぼくのことじゃないよ。姉さんのこと、だよ」
「ッ!」

わかり易すぎる三太の顔が、酸に反応するリトマス紙のように一瞬で赤くなる。
なるほど、三太は顔も平均並で商家の三男坊ではあるが、下町で暮らす秀麗の婿候補としてはかなりのお買い得商品らしい。姉のいき遅れに密かな罪悪感を感じていた流珠は心のメモにしっかりと書き込んだ。

「く、くだらないこと言ってる暇があんなら、とっとと行け!!」
「うん。姉さん達と話をしたら、三太さんのところにも顔出しに行くよ。そしたらこれまでの姉さんの話、ちゃんと聞かせてね」
「お前が秀麗に絞られたあとでな!」

ぷいっと背を向けてしまった走り出してしまった幼友達の背を見送り、再び流珠は門と向きあう。
頬の痛みとあいまって、さっきよりも明確に浮かんでくる姉たちの顔。笑っていたり、泣いていたりと様々だけれど、きっと久々に見る彼らの顔は間違いなく怒っているのだろうと予測できても、流珠の気持ちは止まらない。

「さて。こってり絞られますか」

満面の笑みが浮かんだ顔のまま、流珠は一歩門を越える。
七年ぶりの我が家の匂いは、あの日と変わらず流珠を優しく迎えてくれた。



  
  ※三太は流珠を男だと認識しているので殴ります。
   それはもう、手加減無しに思いっきり。後先は考えません(笑)