( ねえ、先輩。あなたはとてもとても似ているんです )



忍術学園に入学してからというもの、おれには新しい出逢いがたくさんあった。
乱太郎やしんべヱ、一年は組のみんなに、土井先生、山田先生。一年い組にろ組の同級生に先生たち、食堂のおばちゃん、学園長先生にヘムヘム。くの一教室の連中、それから委員会の先輩たち。
アルバイト以外での人との接点なんて、あまり持ってこなかったおれにとって、級友や委員会の先輩たちとの会話はちょっとくすぐったくて、まだ少し慣れない。乱太郎なんかはおれのことを「きりちゃんは逞しいねー」なんて笑って言うけど、そんなふうにみる人間ばかりじゃないってことを、おれは知っている。だからおれは未だに、どこにでもいるご近所の子どもみたいにアホなことで笑える、は組のみんなといると、胸のあたりがぐるぐるして言葉が上手く喋れなくなるときがあるし、委員会に出て、先輩に仕事を教えてもらっていると、大声で叫んで逃げてしまいたくなる衝動に駆られることがある。

あの人に出逢ったのは、そんなことに戸惑っていた、ある日の委員会活動の日だった。



「よーし、それじゃあ今日は、本棚の整理をしよう」

放課後の図書室には、委員長の中在家先輩を除く四人の図書委員が集まっていた。
今日で数回目となる図書委員会の活動は、大体が本の整理だったり、掃除だったり、虫食い本の修理だったりに充てられている。ああ、あとは日々のカウンター当番だ。ひとつひとつはそんなに大変な仕事じゃないけど、それなりに量もある本を整理したり、掃除するのには意外に時間がかかるもんだ。今日は内職、できそうにないか。にこにこと笑っている不破先輩の方を向きながら、おれは残りの仕事のことを思い浮かべた。

「まだ一年生は慣れてないだろうから、きり丸は久作と一緒に、怪士丸は僕と一緒に作業しようか。じゃあ、久作たちはあっち側の棚から頼むよ」
「わかりました!きり丸、ぼけっとしてないでいくぞ」
「へーい」
「それじゃあ、僕たちはこっちから始めようか」
「は、はい…」

棚の整理といっても、ただ本を揃えるだけの作業じゃない。ちゃんと所定の棚に戻っているか、本が破損していないかとか確認しながら進めていく。おれや、同じ一年の怪士丸はまだ本の分類に慣れていないから、わからないことは先輩に確認しながら作業を進めていく、というわけだ。
今日は能勢先輩とペアかー適当にやると、バレたときに怒られそうだなあ。そんなことを考えながら、前を進む能勢先輩の後を一歩追いかけた、時だった。

「ねえ、きみ。新しい図書委員?」
「う、わぁぁああ!!!!」
「え、なに?そんなに驚くところ?」

ぽん、と音も気配もなく、肩に置かれた手の感触に、おれは腹の底から思いっきり叫び声をあげていた。というか、ついさっきまでこの図書室にはおれたち図書委員四人しかいなかったはずだ。それから今までの間に、図書室の扉が開く音もしなかった。そんな状況でいきなり背中から声をかけられたら、驚くのが普通なはずだ。うん、そうに決まってる。

「な、なんだ!?きり丸、なにが…って、!君かぁ」
「お邪魔してます、不破先輩。能勢も、久しぶり」
「どうも、お久しぶりです、先輩」

振り返った先で、きょとんとした顔をしていたその人は、棚の陰からおれの声に反応して現れた先輩二人に、変わらない調子で声をかける。茄子紺色の忍装束を着ているってことは、この人は四年生だ。四年生の忍たまと言って思い浮かぶのは、あまり印象のよくない先輩ばかりで、おれは思わず目の前の先輩から一歩身体を引いてしまった。

「まったく…図書室に入るときは、ちゃんと音と気配をさせてくれって、何度言ったらわかるのかな」
「でも、図書室ではお静かに、が約束事でしょう?今日はたまたま驚かれましたけど、カウンターに人がいるときは驚かれませんよ」
「そりゃあ、扉が見えているからね。それで、今日はどうしたの?」
「春休みに借りていた本の返却と、新しいのを借りに来ました」
「いつもありがとう。あ、そういえば、中在家先輩が用に幾つか本を取り置いていたっけ。ちょっと見てくるから、ここにいて。久作、返却は頼んだよ」

はい、という能勢先輩の声を背中に受けて、不破先輩が薄暗い図書室の奥へと消えていく。奥、といってもそう広い部屋な訳ではないのだから、部屋の隅に寄せている棚に並んでいない本の確認しに行っているだけだろう。
よろしくお願いします、と丁寧な口調で能勢先輩に数冊の本を手渡した先輩を、おれはまじまじと見つめる。さっきはあまりにも驚いて、顔もまともに見れなかったけれど、もう一度しっかりと認識した先輩は、四年生とは思えないくらいに幼くて、中性的な顔立ちをしていた。じっくりと横顔を観察しても、特徴らしい特徴が見いだせない。でも、女装したら化粧映えしそうだし、似合いそうだなあ。それが、おれが先輩に抱いた第一印象だ。

「ああ、丁度いいや。きり丸、怪士丸、お前たち二人でこの本の返却をやってみろよ」

ふと思い立ったように顔を上げた能勢先輩が、四年生の先輩から受け取ったばかりの本を返却机に置いて、立ち上がる。丁度いいや、って練習っすか?すでに何回か行ったこともあるし、大して難しいわけでもない作業だ。今更先輩の前でやってみせる必要もない気がするけれど、そんなことを口にしたら能勢先輩に怒鳴られることが目に見えている。怪士丸と視線を交わしたおれは、仕方なく、へーへーと返事をして机の前に座った。とたん、能勢先輩になぜか思い切り殴られた。

「ってぇ!?なにするんですか、先輩!」
「お前がやる気のない返事をするからだ!!」
「わーってますよ、やりますって。えっと、貸出カード貸出カード、っと」

げんこつをもらった頭が痛い。左手で撫でながら、返却された本の貸出カードを探していたら、ふふふ、と小さな笑い声が図書室に零れ落ちた。あ、こんな笑い方する先輩もいるんだ。無理に抑えたわけでもないのに、控えめに溢れ出る声は、不思議と耳に心地良くて、おれはつられるように顔を上げる。紫を纏った先輩は、微かに色の違う両眼を弛めて、ひっそりと微笑っていた。

「図書委員の一年生はいい子みたいで、よかったね。能勢先輩」
「か、からかわないでください!」
「からかってないよ。ほんの少し前まで一年生だった能勢が、先輩って呼ばれているのが新鮮だって思ってるだけ」
「そういうのをからかってる、って言うんですよ!」
「そうだっけ?」
「まったく…先輩は、学年トップになっても相変わらずですね」
「っひえ、が、学年トップ、なんですか…?」

怪士丸が尋ねると、先輩は勿体ぶることなく「うん、そうみたい」と頷く。とても見えない。それがおれの感想だ。ちなみに、後で怪士丸に聞いたところ、怪士丸も似たような感想を抱いたらしい。

「といっても、三年生の最後だけなんだけどね。うちの学年は二大トップがいるから、次は難しいかなあ」
「平先輩と田村先輩ですか?……あのお二人より、先輩の方が勉強しているように見えますけど」
「そんなことないよ。ただ、私の方が図書室に入り浸っている時間が長いから、そう感じるんじゃないかな。
 そうそう、二人に挨拶しないといけないよね。私は四年ろ組の。よく図書室にお邪魔すると思うから、よろしくね、図書委員さん」
「一年の二ノ坪怪士丸です。よ、よろしくお願いします……」
「同じく一年のきり丸です。お願いしまーす」
「ああ、ろ組とは組の子たちだね。ってことは斜堂先生と土井先生の組か。今年の一年も個性豊かそうだねぇ」

さらりと返された先輩の言葉に、おれたちは三人揃って顔を見合わせてしまった。あれ、おれたち今、自分の組を名乗ってなかったよな。丸い目を更に大きくした能勢先輩も同じように考えているらしく、じっと先輩を見上げて、恐る恐る口を開く。

「あの…先輩。なんでこいつらの組、知ってるんですか?」
「ああ。この間、事務の吉野先生の手伝いで出席簿の写しを作ったから。さすがに二度三度と名前を書いたら、誰がどの組かくらい、覚えるよ」
「先輩……またそんな手伝いしてたんですか」
「そんな、なんてひどい言い方だなあ。学級委員長として、至極当たり前の行動だと思うけど」
先輩は、よくよく聞くと先生の手伝いばかりしているじゃないですか」
「他のこともしてるよ?本読んだり、散歩したり、昼寝したり」
「先輩っ、この間図書委員会を手伝ってくれるって言ったの、忘れてるんですか!?」
「まあまあ。そのへんにしておいてあげなよ、久作」

ああ、なるほど。図書室の奥から戻ってきた不破先輩に頭を小突かれ、口を噤んだ能勢先輩の姿に、すとんと落ちるように納得した。
この人は、きっと先輩が「好き」なんだ。
先輩が現れてからの能勢先輩は、不破先輩や中在家先輩に対する様子とはちょっと違う。必要以上におれたちに先輩らしく振舞っているというか、必死に落ち着いているように見せようとしているというか。とにかく、先輩に対して何かを見せたい、という感情が思いっきり伝わってくる。
だけど、この人と能勢先輩の間にどんな接点があるんだろう。図書室を良く使う先輩と図書委員?それくらいしか、おれには思い浮かばない。けれど、それだけとは思えない何かを、能勢先輩が先輩に抱いてるんだってことだけは、おれにもわかった。
どこか不満げに口をとがらせる能勢先輩を、先輩はしばらく無表情で見つめた後、ああ、と何かに気づいたように声を上げて、突然ぱっと花が咲いたような笑みを浮かべた。そして、能勢先輩の頭をぽんぽん、と手の平で二度撫でる。

「能勢は私を待ってくれていたんだ。相変わらず優しいね、能勢は」
「なっ…!そ、そんなこと」
「大丈夫だよ。ちゃんと約束は守るし、中在家先輩にもお伝えしてあるから。次の虫食い文書の解読のときに、お邪魔するつもりだよ」
「お、おれは別に…そういうつもりじゃあ」
「そうなの?私は能勢が待ってくれていたと思って、嬉しかったんだけどな」
「う、ぐ………」

言葉を詰まらせる能勢先輩の隣で、不破先輩までなんだか微笑ましくにこにこ笑っていた。
あれ、なんでだろう。未だ、能勢先輩の頭を撫でる先輩のふわふわした横顔と、何かに堪えるみたいな能勢先輩の赤ら顔を見て、頭の中に疑問が溢れる。先輩の前に立つ能勢先輩は、不思議と「二年生の後輩」に見えた。不破先輩の前でも、中在家先輩の前でも、能勢先輩は能勢先輩なのに、今この瞬間の能勢先輩は、おれたちの先輩じゃなくて、「先輩の後輩」だったんだ。

が手伝いに来てくれるの、楽しみだね。ああ、それからこっちが中在家先輩からの取り置き本だよ」
「ありがとうございます、不破先輩。へえ、今回も面白そうですね。それじゃあん、これの貸出は、二ノ坪に頼もうかな。お願いできる?」
「は、はいぃぃっ」
「うん、よろしくね」

能勢先輩に向けた表情を少しだけ薄めて、先輩は怪士丸に受け取ったばかりの本を渡す。第一印象からはとても結びつかない先輩の姿に、おれは妙な既知感を覚えた。なんだ、これ。おれが先輩に逢ったのは初めてで、おれと先輩との間に、接点なんてない。欠片も、ないはずなのに。
手渡された本を受け取った怪士丸は、貸出カウンターに座ると、慣れない手つきで先輩の貸出カードに書名と日付を書き写す。数冊分の作業を終えると、ほっと息をついて、怪士丸が先輩に顔を向けた。それにつられて、おれも先輩の顔を見上げる。

「貸出手続き、ありがとう、二ノ坪。きり丸も、返却ありがとね」

そのとき、その瞬間、正面からまっすぐに見据えた先輩の空気に、おれはようやく理解した。満面には程遠いけれど、瞼を少しだけ伏せて、頬をゆるめた僅かなほほ笑み。まるで、降ってきたような微笑に、おれは胸の奥の方がぎゅっと細くなるくらいに、見覚えがあった。
それは、この学園に来て、おれがやっと手にしたもの。ずっとずっと欲しがってたくせに、望んでいるなんて口が裂けても言えなくて、与えられたって素直に喜べもせず、生意気なことしか返せない。その度に、おれの手の中からまた消えてしまうんじゃないかって怖くなって、恐る恐る手を伸ばして、まだそこに居てくれることに、安堵する。
あれ、なんだこれ。眼の奥が熱い。気が付いたら、おれは必死になって手の平を握りこんで、泣くのを堪えるみたいに奥歯を噛みしめていた。誰にもバレないように、密かに、隠して。
けれど、きっとこの人は、おれが先輩に誰を重ねているのか、何を躊躇っているのか、わかったんだろう。去り際、おれと怪士丸の頭をくしゃりと一撫でして、またね、と言って手を振った。
その手の平はどうしようもないくらいに温かくて、やっぱりおれは、今すぐ背中を追いかけたくなる衝動を必死になって抑えることしかできなかった。



( 仕方ないな、といつだって笑っておれを受け止めてくれる、あの人に )

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