( 赤銅色の瞳越しに観る世界は、どこか作り物めいていた )



私、ことには五人の親がいる。

まず、私の産みの親である両親。父親と母親の顔はあまり覚えていないけれど、私にはとても優しくて、良い両親だったと思う。覚えていないくせに、思う、なんていうのはおかしいかもしれないが、時折夢に見る母は、いつだって私のことを愛している、と言ってくれるのだから、悪い親ではなかったのだろう。
二人のことではっきりと覚えているのは、母親の作ってくれたいなり寿しの味と、瞳の色だけだった。母はハーフだかクオーターだかだったらしく、両瞳の色が非常に濃い赤銅色をしていた。遠目には黒に近いけれど、光を受けるときらきらと金属のように輝く瞳が、きっと私は好きだったのだろう。母の顔は思い出せないくせに、その瞳だけが色を放って宙に浮かぶさまを、幾度となく夢に見る。ちなみに、母から受け継いだらしく、私の右眼も同じく赤銅色に染まっている。黒い左眼と並ぶとあまり目立たないが、密かにこの右眼は私の自慢だ。

私が両親のことをほとんど覚えてないのには、理由がある。とても単純な話ではあるが、私が四つか五つの時に、両親が亡くなったのである。
それから、途方にくれた私は気が付くと、ひとりの男性に拾われ、育てられるようになっていた。彼が、私の三人目の親である。
男は小さな村の住職で、私から見れば祖父のような年齢の人物だった。彼に拾われるまでの経緯は、正直なところまったく覚えていない。気が付いたらどこかの森の中にいて、呆然としていたら、和尚様が現れたのだ。
後から聞かされた話だが、和尚様は初め私を見つけた時、神隠しにあった子どもか、天狗の落とし児かと思ったそうだ。当時の私は両親を亡くしたことに打ちひしがれていたのか、自分の名前以外の言葉を発することもできず、全てのことに受動的だったのだという。瞳は薄暗く濁っていて、ぴくりとも動かない表情は能面のようだったと、和尚様は言った。
正直、その話を聞かされたとき、私はどうして和尚様がそんな子どもを拾う気になったのかがわからなかった。だって、得体のしれない、笑いも泣きもしない子どもなんて、気持ち悪いだけじゃないか、と。勢いに任せて尋ねると、和尚様は柔和なお顔を更に緩めて、私に言った。

「お前にも、いつかわかる日がくるだろう」

そう言って、節くれだった手の平で、和尚様は私の頭を撫でてくれた。
和尚様に拾われた私は、和尚様が管理するお寺で雑用をしたり、和尚様の副業を手伝ったりしながら、歳を重ねていった。お寺て雑用をしているうちに、近所の人とも親しくなって、私はなかば和尚様の孫娘として認識されるようになっていった。和尚様もそれを否定することをしなかったから、私も心の中では和尚様のことをお父さん、と呼んでいた。私にとって、和尚様は生きる道を示してくれたひとだ。顔を忘れてしまった父親ももちろん愛しているけれど、今亡きあの人を悼むことはあっても、和尚様と比べることはできない。それくら、私にとって和尚様は大切な人なのだ。

和尚様は何も持っていなかった私に、たくさんのものを与えてくれた。その中のひとつが、私の四人目と五人目の親である、おじじ様とおばば様だ。
おじじ様は竜王丸というお名前で、昔は忍者としてとても優秀だったのだという。その奥さんのおばば様も、もとはくの一という女の忍者だったそうだ。和尚様の紹介でお二人と知り合った私は、それからしばらく、お二人の下で暮らした。詳しい理由はわからなかったが、どうやら当時、和尚様は副業の関係でしばらくお寺を離れなければならなかったらしい。その間、まだ幼かった私を知り合いの二人に預け、同時に簡単な護身術を学ばせてほしい、と頼んでくださったそうだ。
おじじ様は、普段は夜に見ると叫んでしまいそうになる個性的な顔をしていたが、私にとても優しくて、手習いや体術、それから森の中での野草の探し方や獲物の取り方、他人の仕草の読み方を教えてくれた。おばば様は怒ると怖いけれど、栄養価の高い料理の作り方や、薙刀の扱いを指導してくれた。そして、月のない夜に眠れなくて泣いていた私の布団に一緒に入って、私が眠りにつくまで昔話をしてくれた。
和尚様が戻られてから、私は村のお寺に帰ったけれど、年に数度は必ずおじじ様とおばば様のところを訪ねさせてもらっている。私は、血のつながった祖父母の存在をまったくしらない。だから、きっと祖父母がいたら、きっと二人のように温かな存在なのだろう、と思っている。二人も、いつも私を嬉しそうに迎えてくれるから、きっと私はいつまでも甘えてしまう。本当に、良い人たちばかりだ。

そうそう、無表情で能面のようだった私も、お寺の雑用をし始めるころには、きちんと人並みに笑ったり、泣いたりするようになっていた。
当時の私のすぐ傍らには、いつもあるひとりの男の子が居た。私よりひとつ年上の彼は、和尚様に拾われた直後、ずっと縁側に座って、ただただ宙を見ていた私を見かねて、声をかけてくれたのだ。とはいっても、私はそれにすぐ反応することができなくて、彼は何日も何日も私の下に通ってくれた。
どうして、この人はこんなに私に構うんだろう。
ぼんやりした頭でそう思った言葉が、きっと声に出ていたんだろう。一瞬、ひどく驚いた顔をして、それから無邪気な満面の笑みを浮かべた少年は、溌剌とした嬉しそうな声で、言った。


「そんなの、お前と友達になりたいからに決まってんだろ。俺の名前は食満留三郎。お前は?」


それから私は、私に表情を取り戻してくれた彼のことを「留兄」と呼んで、彼は私を「」と呼んで、周囲から仲の良い兄妹のようだと称されるくらい、一緒に過ごした。
だから、ちょっとした事情で私が忍術学園に「忍たま」として通うようになったあの日、紫色の忍び装束を身に纏った私を見た留兄の顔は、それからしばらく思い出すだけで笑えるくらいに、面白いものだった。

忍術学園に入学した私は、留兄を「留先輩」と呼ぶようになったり、女である性別をなんとなく隠したりしながら、これまでと変わらずに生きている。
あまり深く考えない性格の所為か、くじ引きで一年の時に決まってからずっとろ組の学級委員長を務めているのに、「ろ組の昼行灯」なんて呼ばれたりもするけれど、本気で嫌になるようなこともないし、とりあえずは平和なんだと思う。出来うるならば、こんな毎日がこれからも続けばいい。そんな不可能なことを頭の片隅で祈りながら、今日もまた。



( けれど、そんな世界で私は、生きている )

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