( 私の世界は、温もりと優しさと平穏と、 )



忍術学園に入学してから、まもなく四年。正確には三年と十一ヶ月。何かがあったというには平凡で、何もなかったかと言えばそうでもない一年が、今年も終わろうとしていた。


「「な、な、な、な、な、なんだとぉぉぉぉぉぉ!!!!」」


この学園にとっては人の叫び声など日常茶飯事で、もともと周囲の喧騒に敏感な方ではなかったけれど、この四年間で余計に鈍感になった気がする。いけいけどんどーん、という唯我独尊な先輩の掛け声とそれに引っ張られる友人の悲鳴だったり、あっちだー!こっちだー!、という自信満々に我が道を行く後輩の暴走する声とそれを追いかける足音だったり。みんな、毎日楽しそうだ。
今日も一年最後の授業日にも関わらず、相も変わらない音で溢れている。この声はきっと同級生の三木ヱ門と滝夜叉丸のものだろう。あの二人はお互いに自分の得意分野を極めようとしているから、似ている分だけ衝突も多い。ろ組の教室にい組の滝夜叉丸がわざわざ来ているなんて、珍しい気もするけれど、顔を合わせた二人が言い合いになるのもいつものことだ。今日は何がきっかけだったんだろう。ぼんやり、教室の窓から鐘楼の方へと視線を向けて考えてみる。今日のお昼ご飯、なにかなあ。

「おい、!これはどういうことだ!!」
「お前というやつは…!」
「あれ、私に用だったの?」

一瞬のうちに目と鼻の先まで詰め寄ってきた二つの気配に、視線を教室の中へと戻す。目前には、予想通りの整った顔が並んでいた。こういうところは、息が合うんだよねえ、この二人。本当は仲がいいんじゃないかと、密かに思っているのは内緒だ。
迫る二人の手には、仲良く一枚の紙が握られていた。ついさっき、私が二人に渡したものだ。わざわざ周知するものでもないけれど、どうだった?と問われれば見せることもやぶさかではないもの。端的に言えば、私の忍たま三年生時の成績表である。そう言えば、滝夜叉丸がろ組にやってきたのも、あれが理由だったんだっけ。
三年最後のホームルームが終わってからすぐ、ろ組を訪ねてきた滝夜叉丸はどこか不機嫌だった。珍しいね、と左手を挙げて声をかけると、普段なら自信に満ち溢れた笑みを返してくれるのに、今日に限って眉を吊り上げたまま私と三木ヱ門の席に近寄ってきた。そして、第一声が「成績表を見せろ」だったわけだ。
滝夜叉丸と三木ヱ門は、それぞれの努力の度合いに比例するように二人とも成績優秀だ。私たちの学年の成績トップは、大抵の場合二人のどちらかだった。ちなみに、だった、と過去形で語るのには理由がある。その理由は、二人が持つ私の成績表を見れば、明らかだった。

「お前が学年一位だとぉぉぉッ!!」
「なぜ、がこんな成績をとっているんだぁぁぁ!!!」
「いやいや二人とも、私に対して結構失礼だから、それ」

とは言ってみたものの、普段の私の成績を知っている二人にしてみれば、今回の私の成績は寝耳に水、まさに青天の霹靂なのだろう。
私が通う忍術学園の成績表は、いくつかの科目ごとに評価が記載される。たとえば座学の歴史、忍術、算術とか、実技の投具、火器、体術、変姿とか。そして、総合した成績が学年で最も良かった者の成績表には、一の数字が付記される。私はその成績表を何度も見たことがあった。もちろん、自分のものではなく、滝夜叉丸と三木ヱ門の成績表で、の話だ。ちなみに私の日ごろの成績は、中の中。可もなく不可もなく、落第はしないけれど優秀ともいえない、というのが私の立ち位置だった。そして、これも最早過去形でしか語れないのだろう。
なにせ、二人の持つ私の成績表には、左隅にしっかりと朱色の墨で一の数字が記述されているのだから。

「取れちゃったねー、首席。いやぁ、よかったよかった」
「軽い!軽すぎるぞ、!!お前は事の重大さをわかっているのか!?」
「お前はこの実技も座学も常にトップクラス、戦輪を使わせれば学園一の平滝夜叉丸を差し置いて、学年首席になったのだぞ!」
「でも、滝夜叉丸だって三木ヱ門に首席を取られることもあるし」
「私は忍術学園のアイドルにして、石火矢をはじめとした過激な武器を扱わせれば学園一の田村三木ヱ門だ!私が首席を取ることは当然のことだ!!」

はて、これまた珍しいものだ。いつもであれば、滝夜叉丸が自分のことを学園一と言い始めれば、三木ヱ門も同じように言い出して、二人が言い争うことが常なのに、今日は一致団結している。協力した結果、私に詰め寄られるのも困るけれど、今日はこれから雨でも降るんだろうか。洗濯物、早く取り込んだ方がいいのかな。
目が血走った表情で私に詰め寄るのを止めない二人を、両手の平でどーどーと制する。あ、これって馬にする動作だったっけ?案の定、というべきか、二人はまったく落ち着く様子を見せない。そんなに私の成績が良いことが意外なのだろうか。思わず、首を傾げて尋ねてしまった。

「私の成績が良いことは、そんなに不思議かな」
「…普段のお前は、常に中の中、どっちつかずの成績だろう」
「まぁ、確かにそうかな。でも、ほら。首席とはいっても、火器の成績は三木ヱ門の方がいいし、投具の扱いも滝夜叉丸の方が上だよ。それに、私は変装の成績もあまり良くないからね」
「だが、どの成績も普段とは比較できないほどに上がっているではないか!まあ、私が火器の扱いが上手いのは当然のことだが」
「うんうん、そうだよね。ま、今回は頑張ってみたから、その結果かな」

笑って頬を掻くと、二人はようやく落ち着いたのか、それとも諦めたのか、唸りつつではあったけれども、身体を引いてくれた。二人とも、自分で主張することはないけれど、常に努力している人だ。だから私が頑張った、ってことを二人なりに認めてくれようとしているんだと思う。なんだかんだと、二人は私に甘いくらいに優しいのだ。

「おやまあ、まだこんなところに居たの」
「喜八郎。忍たま三年生もお疲れさまー」
「うん、お疲れ。それより、お昼に行かないの?」
「あ、行く行く。今日のお昼、何かな」
「まったく、お前たちは…どうしてそんなに呆けているのだ。私を差し置いて学年トップになったにも関わらず、そんな風だから、ろ組の昼行灯などと呼ばれるんだぞ」
「ふうん、、成績良かったんだ。珍しいね」
「あはは、君たちは揃って私に失礼だね。まぁ、事実だから仕方ないけど」

三木ヱ門と滝夜叉丸から成績表を受け取っている最中に、ろ組の教室にやってきたのは、滝夜叉丸と同じい組の喜八郎だ。相も変わらず端正な顔に無表情を浮かべて、のんびりした調子で滝夜叉丸の隣に並んだ。右手に踏鋤を持っているあたりも相変わらずだ。
窓際の席に腰を下ろしたままの私を見下ろす喜八郎の大きな瞳に促されるように、どっこいしょ、と立ち上がる。じじくさい、と喜八郎が呟いた言葉は無視することにした。

「じゃあ、三年生最後のお昼ご飯を食べに行こっか。三木ヱ門と滝夜叉丸も一緒にどう?」
「ふっ、まあ、がどうしても私と食事をしたいと言うのであれば、同席してやろう」
「相変わらず、滝夜叉丸は面倒くさいなー」
「正直なのは滝夜叉丸の美徳だよ、喜八郎。三木ヱ門も良いよね」

顔を見て尋ねれば、三木ヱ門もそっぽを向きつつではあったけれど、同室のよしみだ、と言って快諾してくれる。やっぱり二人は、私に優しい。もちろん、喜八郎も同じ。三木ヱ門に滝夜叉丸、それに喜八郎が私を構ってくれるお陰で、私の学園生活はとても平穏で、賑やかだ。
立ち上がった足を一歩前へと進めようとした刹那、再び三年ろ組に微かな気配が一つ近づいてくる。足を止め、入り口の方を四人揃って見つると、松葉色の忍び装束のよく見知った人物が現れた。

「三年ろ組のはいるか」
「留先輩!」

名前を呼んだ私に気付いて、留先輩は、よう、と右手を挙げる。そんな彼に、私は先ほど滝夜叉丸と三木ヱ門に貸していた成績表を持って、三歩で距離を詰める。あまりの勢いで近寄りすぎたせいか、留先輩は一瞬ぎょっと瞳を丸くしたけれど、突きつけた用紙をまじまじと見つめて、小さく驚愕の声を漏らした。

「お、お前…本当に取ったのか、学年首席」
「はい!そういう約束でしたからね。留先輩も約束、守ってくれますよね?」
「……ッ!ああ、もちろんだ。しかし、頑張ったじゃないか」
「そりゃ、雨狐のいなり寿しのためですから!帰り、絶対に寄ってくださいね」

途端、ピシリと何かが固まったような、空気に亀裂が入ったような音が聞こえた、気がした。同時に背中の方から感じるおどろおどろしい二つの空気。軽く、殺気を向けられている気がするのは、気のせいだろうか。
恐らく、二人の様子を真正面から見ているのであろう留先輩の顔が、案の定、引き攣っている。これは、まずい。振り返りたくないけれど、振り返らなければもっとひどいことになることは、この四年間で嫌というほど学んでしまったのだ。


「な、なにかな、三木ヱ門。そんな怖い顔、綺麗な顔が台無しだよ」
「……食満先輩との約束、というのはどういうことかな」
「滝夜叉丸も、そんな笑顔は似合わないと思うなっ」
「「!!!!」」
「うわぁっ、ごめんなさい!!」

その後、般若の如き表情で、どす黒いオーラを纏った二人に、夏休みにした留先輩との約束、すなわち学年首席を取ることができたら次の帰省時に「雨狐」のいなり寿しを買ってもらう、という交換条件のことを洗いざらいに喋ることとなった。しかも、教室に正座で、だ。
動機は確かに不純だったけれど、努力をしたことに代わりはないと思うのだが、二人からすれば、だったら常に努力をしろ!とのことらしい。口答えをすると、説教の時間が長くなるから、それ以上は口を開かないことに決めた。やっぱり、二人は仲良しだと思ってしまうのは、間違いじゃないと思うのだ。

普段は喧嘩ばかりだけれど、時おり同じ方向を向いて私を叱る三木ヱ門と滝夜叉丸、それからマイペースに気が付くと傍に居る喜八郎に、幼馴染の留先輩。学園の先輩や後輩、同級生たち。
これが、私の至極ありふれた、けれど彩りに満ちた日常である。



( それから、少しの嘘で彩られている )

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