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01 冬の日のある出来事 事実は小説より奇なり。 昔の人の格言とはよくできたものだと、は思わず感心した。 小説や漫画のように新聞配達のアルバイトをする学生がいたり、定時制の高校に通う近所のガキ大将がいたり、幼いころに両親を失った兄妹がいたりすることは知っているし、ドラマのように一目惚れでスピード結婚に至った夫婦が異国の島国で結婚式を挙げることがあることも知っていた。だから、自分が想像できるたいていのことは現実になり得るのだと、頭のどこかではわかっているつもりだった。 けれど、こんなことまで現実になるとは、考えてもみなかった。 「………………わたし、迷子?」 眼を開けたら、閉じる前とは違う場所。 キャリーバッグ片手に立ちすくむは、乾いた草の匂いの中、もう一度周囲を見渡して小さく首を傾げた。 * * * (お兄ちゃん、遅いな) もう何度眼をやったかわからない腕時計から、視線をあげる。 空港行きのバス停前で待ちぼうけすること、早三十分。待ち合わせの時間はずいぶんと前に過ぎ去り、ついでに当初乗る予定だったバスも十数分前に出発してしまった。 もともと初めての海外旅行ということもあり、かなり余裕をもってバスの時間は予定していたが、次のバスに乗れないと、ちょっと面白くないことになりそうだ。意味もなく、キャリーバッグを前後に揺らし、もう一度腕時計に視線を落とす。 たち兄妹は、今日から五日間、人生初の海外旅行に出立する。といっても、目的は観光ではなく、彼らの育ての親である伯父の結婚式に出席するためだった。たちの唯一の肉親である伯父は、彼らが幼いころから長いこと独身を貫き、二人のことを見守ってくれていた。しかし、半年前に出逢ったの通う高校の教師に一目惚れし、ドラマのような大恋愛を経て、結婚することとなった。 伯父には幼いころから本当にお世話になってきた。自称放任主義のため、同じ家で暮らしたり、常に一緒にいてくれる訳ではなかったが、定期的にたちの家を訪ねてくれたり、相談事の連絡をすれば、必ず時間を設けてくれる義に厚い人だった。 そんな人の結婚式に出席するのだ。絶対に遅刻することなんてできないし、ましてや海外旅行に行くようなお金のないたちのため、伯父と未来の伯母がわざわざ用意してくれた飛行機のチケットを無碍にすることもできない。 「わかってるのかな、お兄ちゃん」 出立の当日にも関わらず、ギリギリまでアルバイトに出勤している真面目な兄の事だ。五日間の連休をもらう以上、引き継ぎにも時間がかかるかもしれない、とは言っていた。が、それにしても少し遅すぎるのではないだろうか。 もしかして、途中でなにかあったのかな。 コートのポケットに入れた携帯電話を取り出し液晶画面を確認するが、特に連絡は入っていない。念のため、本日四度目となる居場所を問うメールを送信したの口からは、長い溜め息が再度こぼれた。 「……あ」 閉じた携帯から顔をあげた視界に、明るい金色と黒づくめの小さな人影が映る。兄だ。肩に背負った旅行鞄を揺らし、大股で駆けてくる兄、の姿に、今度は安堵の息がの口をついた。 右手を小さく挙げれば、兄は空いている手を大きく振った。この距離でよく見えるものだと、思わず感心してしまう。バスの姿はまだ見えない。どうやら、予定通りとはいかないまでも、なんとか飛行機の時間には間に合いそうだ。ほっとした気持ちで道の端からバス停の傍に足を進め、短い列に並ぶ。 そして、もう一度兄の方へと視線を向けると、先ほどまでとは違う様子のの姿が見えた。さっきよりもスピードを上げたが、右手を横に振っている。なんだろう。まだバスが来る時間ではないはずなのに。近づくにつれてはっきりしてくるの表情は、険しい。眉を吊り上げ、大きな口を開けて何かを話している、否、叫んでいるらしい。 「……ろっ、逃げろ!!!」 の声に重なるように、周囲から複数の絶叫があがる。そして、同時に聞こえてくる甲高いブレーキ音。自分の周りを流れる時間がとても遅く感じた。スローモーションの中、首を回したの目の前に飛び込んできたのは、大きな鉄の塊。 あ、ぶつかる。 視界の片隅に、必死な形相で手を伸ばす兄の姿が映る。けれど、その手を掴むことも、足を動かすこともできなかった。 せめて、と予期される衝撃に備えてはかたくきつく瞼を閉じる。 ( もし、あのとき手を伸ばすことができていたのなら、未来は変わっていたのかな ) |