「リボーンくん!」
私が探し人を見つけたのは、体育祭の開会式が始まる間近になってだった。
さすが体育祭当日というべきか、教室に荷物を置いた学生たちはみんなこぞってグラウンドに向っているらしく、広い学校内は不気味なほどに静まり返っている。静寂にも似た冷たい空気が蔓延った校内をひたすらに歩き回って、ようやく彼を見つけたのは秋風の通り抜ける屋上で。あれ、確か一番最初に確かめに来たときはいなかったはずなのにな、と密かに自分の運のなさを嘆いてみたり。
でも、体育祭が始まる前にリボーンくんに逢えたんだから、いいよね。
見つけただけですでに目的を達したような満足感を抱いてしまいながら、私はフェンス際のリボーンくんに近寄った。
「か。どーした?」
「リボーンくんに、お願いがあって来たの」
「オレに?なんだ、言ってみろ」
風に少しだけ浮いたソフトハットを小さな手で押さえ、リボーンくんは私を見上げる。
彼の真っ黒で大きな瞳には、ぼさぼさの髪の毛で今にも泣きそうな酷い顔をした、中学生の女の子が映っていた。あ、本当に変な顔してる。
「押切くんのこと、襲わないでほしいの」
告げると、リボーンくんは右眉をぴくりと僅かに動かした。見逃してしまいそうなくらい、本当に些細な反応だったけれど、彼は私の言葉に間違いなく心当たりを抱いている。その証拠に、リボーンくんは鋭さの増した瞳で「詳しく話せ」と先を促した。
あの月夜の窓辺で、リボーンくんは私の話を聞いてくれたから、彼は私がこの世界のこれからを知っている理由を知っている。だから、今日の体育祭で起こることを、できるだけかいつまんでリボーンくんに説明した。あの日のように、リボーンくんは静かに相槌を打って、私の話を聞いてくれた。
今日のこれからと私の望みを伝え終えると、リボーンくんは表情の読めない顔をふと横に動かす。釣られるように彼の視線の先へと目をやれば、そこには沢山の人で埋まったグラウンドがあった。もうすぐ、体育祭がはじまる。もうツナは、京子ちゃんにハチマキをもらったのかな。獄寺くんと笹川くんが喧嘩するのは、いったいいつごろなんだろう。押切くんが襲われたのは、それよりも前?それとも、同じくらいだったのかな。
心の中を、なにかもやもやとしたものが現われては溜まっていく。この気持ちは、いったいどこから来ているんだろう。自分のことなのにどうしたってわからなくて、気付けば私の指はフェンスをきつく握っていた。
「。ひとつ、聞いてもいいか?」
「…うん」
手の平にくっきりと残ってしまったフェンスの痕が気になった。けれど、それ以上に苦しいほどに真剣な、リボーンくんの声に体が震えた。
「おまえは、その押切ってヤツのことが好きなのか?」
「え…そうじゃ、ないけど。どうしてそんな」
「今のおまえの話じゃ、今日怪我をするのはその押切ってヤツだけじゃねーんだろ。C組総大将も、殴られるみてぇじゃねーか。そっちの方は止めなくていいのか?」
「それは…」
瞬間、体温計がなくてもわかるくらい急激に、自分の体温が下がっていくのがわかった。
忘れていた、わけじゃない。今朝、ツナと話したときに思い出していたし、今リボーンくんにだって話していたのだから。ただ、無意識のうちに省いてしまっていただけで。名前までは覚えていないけれど、C組の総大将も獄寺くんと笹川くんに殴られてダウンしてしまうはずだ。それを止めようと思うのなら、彼らの傍にいなければならない、はずだ。
順番で、こっちの方が先だったから押切くんを優先したんだろうか。けれど、私は最初からC組の総大将のことを考えてもいなかったのだから、それは理由になんてなりっこない。
だとすれば、私が押切くんを知らぬ間に優先していた訳は、
「う、そ…」
砂漠みたいに嗄れた声が、自分の喉から溢れていた。自分の思考が、信じられなかった。
ただ、自分の知り合いだからという理由で、クラスメイトだからという訳で押切くんを優先していたこと、だけにじゃない。もっと、根源の部分で私は、なにをしようとしていた?
「…未来を、変えようと」
八月の初め。倒れていた入江くんを前に私はなにを考えた?私はこの世界では部外者で、知っていること自体がイレギュラーで、不可解で。だからこそ、私は思ったはずだ。
未来を変えようなんて、絶対に考えちゃいけないんだ、って。
「私、なんてこと考えて…」
「ちげーぞ、」
無自覚のうちに震えていた身体が、リボーンくんの言葉にビクンと揺れる。いつの間にか、リボーンくんは再び私に視線を戻していて、どこまでも続いていそうな闇が私を捉える。もう一度、リボーンくんは念を押すように否定の意を口にして、数歩私に近づいた。
「おまえはそれを気に病む必要はねーんだ。それは…おまえの"強み"なんだからな」
「私の…"強み"?」
「そうだぞ。それが、おまえだけの武器だ」
リボーンくんの声は頭の中のもやもやした何かを突き抜けるくらいにはっきりと届いて、私の心は余計にぐるぐると絡まりあっていた。
知っていること。未来を変えられること。それをリボーンくんは私の武器だと言った。だけどこれは、""の記憶ではなく、リボーンのコミックを読んでいた二十四歳の私の記憶だ。いつかは、この世界から消えるはずの私の記憶が、一体どんな場所で武器になるというのか。
「…よく、わかりません」
「今はそれでいいんだ。前も言ったが、おまえは特に難しく考えずに、おまえが思うとおりに行動してればそれで問題ねーからな」
「それこそ、わからないよ」
「簡単に言えば、おまえが身近な人間を助けようと思って、お前の知ってる未来を変えようとしたって良いってことだ」
「っ!」
そう言って、リボーンくんはソフトハットで瞳を隠して口元だけで薄っすらと笑った。
「それからな、」
「…なに?」
「いい忘れてたが、オレはその押切ってやつを襲うつもりなんてなかったぞ」
「え…?」
「オレがしなくとも、どーせ獄寺たちが何かしらやるだろうと思ってたからな。おまえの記憶では、オレが押切を襲ってんのか?」
「それは…はっきりはわからない、けど」
言われてみれば、コミックでもリボーンくんは「押切くんが襲われたところを目撃した」と現われただけで、リボーンくんが押切くんを襲ったというシーンは一切描かれていなかったような気がする。ということは、リボーンくんは別の誰かにたまたま襲われていた押切くんの名前を利用しただけってこと?でも、それならいったい誰が押切くんを襲ったの?
「じゃあ、誰が…」
「罪な女だな、」
「えっ?」
「なんでもねーぞ。とにかく、オレは押切ってやつには何もしねーぞ。おまえに頼まれたことだしな」
「あ、ありがとう」
ニヤリ、髪を優しく攫っていく風の中で、リボーンくんは満足気に笑っていた。
滑り込みで開会式に参加した私を、クラスメイトは冗談交じりに温かく受け入れてくれた。B組は本当にみんないい子たちばっかりだ。もちろん、その中には少しだけぎこちなく笑った押切くんの姿もあって、彼の元気な様子に安堵の思いばかりがつのった。
リボーンくんは押切くんを襲うつもりは最初からなかったといったけれど、コミックの中の彼がどうであったのかは私にはわからない。ちょっと失礼な話かもしれないが、今日という日に押切くんを襲って得する人も、押切くんをあっさり襲えてしまうくらいに強い人も彼以外には思いつけないというのが本音だったりもするのだ。
だから私は、とにかくリボーンくんに約束を取り付けることができたことで、もう彼は安心なのだと決め付けていた。
あとはC組の総大将をどうにかしないと、と考えながらも熱気に溢れたクラスメイトから抜け出すことができなくて、まずいツナのピョンピョン始まっちゃったよーと無常にも過ぎていく時間に微かな焦燥感を抱いていただけで。
「大変だ!B組総大将の押切が襲われたらしいぞ!!」
本当の危機感なんて、私には欠片も届いてはいなかった。