sogno Due







それは、間違いなく夢だった。

でこぼこした舗装されていない道を、ゆっくりと走る自転車の荷台。私は大きな背中に寄りかかるようにして座っている。
風が頬を通り抜けてゆく。自転車の車輪が道端の石を踏んで、がたんと揺れた。けれど、その感触は一切なく、右手が触れているはずの、の背中にも温もりはなかった。


「怪我、痛む?」


ペダルをこぐの声が、空気に乗って耳に届いた。
そうだ。私はこの日、怪我をしていた。詳しいことは覚えていない。ただ、誰か他の人のかわりに、傷ついたとは思っているようだった。単調な声音の端々が、わかりにくいけれど間違いなく尖っていて、私はどうしようもなく嬉しくなった。

「ほんとに、バカだよね」
「どうしてそんなふうに言うのかな」
「誰かを庇って自分が怪我してたら、意味、ないだろ」
「そうかな」
「そうだよ」

私の左足では、靴下の代わりに白い包帯が綺麗な螺旋を描いていた。痛みはない。軽い捻挫だったはずだ。全治二週間。保健室に付き添ってくれたは、先生からそれを聞いたとき隣であからさまな溜め息を吐いていた。ひどいよね。もうちょっと、労わってくれたっていいのに。

「…が、誰かを助けられる人間になりたいって思ってることは知ってる」
「そんな傲慢なことは思ってないよ」
「似たようなものだろ」
「でも、誰かが怪我をせずに済んだなら、悪いことじゃないよ」
「それでが怪我してたら、結果は変わってない」

がこん。自転車が大きな窪みをこえて、大きく揺れる。
荷台に座った私からはの顔をみることはできない。見えるのは、学生服の背中だけ。
ねえ、。今あなたは、どんな顔をしているの?
怒ってる?困ってる?それとも、哀しんでる?
私に対する苛立ちを隠さないに応えられる言葉が見つけられなくて、私はの後姿をぎゅっと握った。

「…もしも」
「え?」
「もしも目の前に何人も怪我人がいたら、は今日みたいな無茶をしないのかな」
「…それは、わからないよ」
「ひとりを助けて大勢を見捨てるのか?」
「わからない。きっと、その時になってみないと、わからないよ」

の言った場面を頭に浮かべてみても、そこで動いている自分はどうしたって見つからなくて、私はそんな曖昧な返答を返すことしかできなかった。
でも、きっと。

「…ひとりが、だったら迷わないかな」
「えっ?」
「ううん。なんでもないよ」

今だけは、向かい風に感謝しないとね。その日の私は、確かそんなことを考えていたはずだ。
どうして今更、あんな日のことを思い出すんだろう。夢に見ているんだろう。ズキリ。感覚のないはずの世界で、頭が疼く。まるで考えてはいけないとでもいうように。私の思いを ――――― 何もかも否定するように。


「…あのさ」
「なに?」


しばらく続いた沈黙のあとで、ぽつりと零れたの声。男性にしては少し高めの、よく通る音だった。まるで鳥がうたうみたい。その声が、とても好きだった。
深く大きく息を吸い込んだ音に続いて、は彼らしい抑揚の少ない声で囁いた。


「無茶するなら、僕がいるところでにしなよ。…たのむから」


たのむから。
繰り返したの言葉は、哀しいくらいに少しずつぼやけていって。泣いているわけでもないのに、目の前の背中がだんだんと見えなくなっていく。

ズキリ。頭が鈍く啼きだした最後の瞬間。

振り向いたの顔は、逆光に照らされて滲んでいった。



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※夢、2。