scappare







です。よろしくお願いします」


なんて、本当に当たり障りなさ過ぎる自己紹介をしたのも、すでに数時間前のこと。
二学期最初の日、ということもあってか、今日の学校は始業式と事務連絡のような学活に掃除だけであっという間に終わってしまった。
私が案内された二年B組はどうやらなんの騒動もないような穏やかなクラスらしく、休憩時間の質問攻めはあったけれどそれ以外にドタバタがあるということもなくて、かくいう転入生の私も自然とクラスに溶け込むことができた。…中学生といて違和感がない、っていうのも少し淋しいけど、浮いちゃうよりはいいよね。

「ねえ、さん。よかったらこのあと、遊びにいかない?並盛案内するよ!」

ホームルームも終わって、大分疎らになった教室。席が隣ということで一番親切にしてくれる田中さんの提案に、そういうのもいいかなーなんて忘れかけていた中学生生活がほんのり懐かしく頭を過ぎる。そういえば、中学の時の私って、気がついたらずっとと遊んでたっけ。…あれ?というよりもむしろ、他の友達の顔がうまく思いだせないような。そんなに友達が少なかったわけじゃ、ないはずなのに。
並盛を案内してくれる、という田中さんのお誘いはやっぱり魅力的だったし、同年代の女の子の友達も必要だよねと勝手に理由付けして、「よろしく」と返事を返そうとしたその瞬間。

それは、起こった。


『に…二年B組、さん。し、し、至急、大至急!!おおおお応接室まで来てください!繰り返します、二年B組…』


とりあえず、ちょっと噛み過ぎなんじゃないかな、放送委員。
きっとそう思ったのは、私だけじゃなかったはずだ。




『気をつけてね、さん!並中の風紀委員ってほんっっっっとに…!』
『あ、ありがとう。でも、多分書類の不備とか、風紀規則の説明とか…事務的な呼び出しだと思うから、そんなに心配しないで。それより、また今度時間があったら誘ってね』
『う、うん…またね、さん!』


「…なんか、最近現実逃避率が増してる気がする」

視線の先には、応接室と書かれた白いプレート。目の前にあるドアは朝から何度か開けている他の教室のそれと同じもののはずなのに、かもし出す雰囲気には天と地ほどの差があった。関係者以外立ち入り禁止。って書かれているわけでもないのに、中々入りがたい雰囲気が自然と溢れ出ているというか…いや、たぶんこの感じって、ドアが放っているんじゃなくて、私が勝手にそうみているだけなんだとは思うけど。
出来ることなら今からでも全速力で引き返して田中さんを追いかけたいな、なんて思わないわけじゃないけれど、そんなことをしたらどうなるかなんて、想像するまでもないし。それに、もしかしたら本当にただの事務的な呼び出しなのかもしれない。むしろそうであれ!中にいるのは草壁くん!
うん、なんかこれならがんばれそう。中にいるのは草壁くん理由は事務的なもの…と何度も何度も言い聞かせ、意を決して恐怖のドアをノックした。

「誰」
「二年B組、です」
「入って」
「…失礼します」

声が、聞こえたときに、もうダメだってわかっていたけれど。それでもささやかな願いがやっぱり捨て切れなかったのだ。だから、恐る恐る開けたドアの向こう、校長先生が座っていそうな木製の立派なデスク越しに見えてしまった"彼"に、自分の体温が急激に下がっていくのがわかった。

雲雀 恭弥。

並盛最強にして最凶、並中風紀委員の委員長にして不良の頂点に立つ孤高の少年(だったよね)
そして、ついひと月ほど前に、なんの因果か出逢ってしまったばかりの彼が、そこにいた。

「遅かったね。てっきり、逃げたのかと思ったよ」
「応接室の場所がわからなかったので、ちょっと迷ったんです。転入したてなので大目に見てください」
「ふぅん。まあ、いいけどね」

いや、全然よくないから、それ!
内心思いっきり突っ込んでしまったのは、雲雀恭弥の「逃げたのかと」という言葉に対してだった。逃げたって…その可能性を考慮にいれていながら放送で呼び出しのか、この子。そりゃ、学生を呼び出す方法で放送っていうのはメジャーなのかもしれないけれど、並中において呼び出し先が応接室っていうのはそれだけで噂の元なはずだ。イコール放送で名前をだされた時点で、私に一切の逃げ場なし。…だから聞かなかったふりをしないでちゃんと来たって言うのに!
そんな私の文句を知ってか知らずか、雲雀恭弥はその端整な口元を少し持ち上げた。本当に微かにではあるけれど、笑ったように見える表情。気のせい、と言ってしまえばそれまでだけれど、綺麗な少年のそんな仕草は私の視線を食いつけるには充分過ぎて、怖さも忘れて私は雲雀恭弥に見入ってしまう。
しばらく続いた無言のあとで、雲雀恭弥は「それ」とソファーの前の机を指差した。

「君の転入手続きの書類。書き直して」
「え、と…何か、不備でもありましたか?」
「そういうわけじゃないよ。ただ、今度から書類の形式を変えることにしたんだ。新しい用紙が出来たのが先月でね」
「ああ…」

なるほど。
と、あっさり納得できたわけではなかったけれど、明らかにおかしいと思える部分があったわけでもなくて。とりあえず、提出していた書類に不備はなかったけれど、保存する書類の形式が変わるから、そちらの形式でもう一度書き直してくれ、ってこと…なんだろう。

(よ、よかった…本当に事務的呼び出しだった!)

わかりました、とこちらも事務的に返事をして書類に向かいつつ、雲雀恭弥に見えないように心の中でガッツポーズをつくる。草壁くんじゃなかったのは残念だったけれど、これなら咬み殺される心配もないし。それに…どうやら彼は、ひと月も前に一度だけ逢った私のことなんて、綺麗さっぱり忘れているように見えた。もし覚えていたのならば、第一声でその話題が来るはずだ。きっと雲雀恭弥にしてみたら、私なんて群れている大多数の中の一でしかないのだろう。

カリカリと書類を記入する私のボールペンの音が、静かな応接室に響いていた。最後の一文字を書き終えて、上から下まで見直して間違いがないことを確認する。…うん、大丈夫そう。
出来上がったばかりの新しい書類と古いものをあわせて持ち、立ち上がる。向かうのは、数歩歩いた先にいる雲雀恭弥のところ。てっきり自分の仕事をしているのかと思っていた彼は、組んだ両手の平であごの辺りを支えたまた、こちらをじぃっと窺っていた。もしかして、私が書類を書いている間中、ずっとそうだったんだろうか。妙な話かもしれないけれど、その図を想像すると恐怖よりも先に恥かしさが頬に走る。だって、この綺麗な少年の、あの切れ長な瞳で見られていたなんて…!私、変な顔したりしてなかったよね。なんて場違いなことを真剣に考えてしまった。

「終わったの?」
「あ、はい。これで大丈夫、ですか」
「見せて」

書類を手渡すと、雲雀恭弥は大して興味もなさそうにざっと視線を動かした。小さいけれど、それでもはっきり通る声が「うん」と頷いたことで、ふっと肩に乗っていた重みが軽くなる。ああ、私。やっぱり緊張してたんだ。当然だよね。だって、あの風紀委員に呼び出されて、それがただの事務的な内容だったとしても雲雀恭弥と応接室に二人きりな状況で、平常心でなんていられるわけない。必死に虚勢を張ってはいても、私なんてただの二十四歳の社会人なんだから。
よかったこれで帰れるよね。心の中が安堵の感情でいっぱいになって、顔にまでそれが漏れてしまっていたんだろう。


「変な顔」


そんな言葉に、遠のいたはずの現実が超高速で戻ってくる。
ハッとして瞬いた眼が捉えたのは、手に持っていたはずの紙を無造作に手放した雲雀恭弥の無表情。あ、なんかちょっとだけ、に似てるな。ひらひら、床に落ちる書類を眺めながら(って、それ私が書いたばっかりの!)考えていた。

椅子の軋む耳に痛い音がして、雲雀恭弥が立ち上がる。ゆっくりと歩く彼の背筋はぴんと伸びていて、歩く姿は百合の花、なんて喩えが似合いそうだなーなんて、ばれたら即座に咬み殺されそうなことを思ったり。あと数歩。雲雀恭弥と私の距離が、手の長さよりも短くなった。

「君に、」
「ごめんなさいこのあと用事があるので失礼します!」

気がつけば、無謀にも雲雀恭弥の言葉を遮って、私は脱兎のごとく駆け出していた。

だから、そのあとで雲雀恭弥がどんな表情をしていたかなんて知らない。
床に落としたばかりの書類を拾って、

「…変なの」

と彼が笑っていたことなんて、知る由もなかった。



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※逃げる。オリキャラ田中さん登場。