Ipertermia







「………。」

真昼の暑さがようやくおさまりはじめた、昼下がり。近所のスーパーのビニール袋を片手に帰路に着くと、家の前に人が落ちていた。

「………あ、そっか。入江くんの話って、今日だったんだ」

コミックで読んでいただけだから正確な日にちは知らなかったけれど、このくらいの年の子で眼鏡をかけていて、今の時期にここに倒れている可能性があるのは、たぶん入江正一くんくらいだったはずだ。
ランボくんを連れてきてくれた、ちょっと臆病だけど親切な男の子。
私の中の入江くん像はそんな感じで、変な言い方かもしれないけれど、REBORNの中では珍しく"普通の男の子"に入る子なのではないかと思う。証拠、と言えるかどうかはわからないけれど、すぐ傍らに牛の刻印が押された箱も落ちてるし。

「…仕方、ないか」

またひとつ、物語の登場人物に関わることがちょっとだけ不安だったけれど、入江くんは一話だけの出演で、これ以降のお話にかかわりのある子じゃなかったはずだし。なにより、子どもをこんな炎天下の道端に放っておくなんてできるわけもない。
ひとまず買ってきたばかりのスーパーの袋とボヴィーノの箱を玄関に置いて、倒れている入江くんの横に膝をつく。口元に手を近づければ、感じる規則正しい呼吸の気配。見たところ痙攣も起こっていないし、触れた頬からはきちんと人の温かさが感じられた。よかった、熱中症にはかかってないみたい。
気を失ったまま、小さく「だ、弾丸が…」とうなされている入江くんに、不謹慎だとわかっていながら零れてしまいそうになった笑みを隠して、それからできるだけ揺らさないように気をつけながら彼の体を背負った。




「う…っ、銃弾が…」

これで、四十七回目。入江くんが呻き声をあげた回数だ。
ソファーに寝かした入江くんは、夢見が非常に悪いらしく先ほどから何度も「銃弾」とか「頬が」とか「お母さん」という言葉を口にしていた。途中、額においたタオルを変えたり、お水をかえにいったり離れていた時もあったから正確な数字ではないけれど、少なくとも四十七回以下ということはないだろう。

「そうだよねぇ」

入江くんが、今見ているであろう夢を想像して、溢れ出たのは納得の意味を持った嘆息だった。
家に飛んできたランボくんに、突然渡された密輸品。尋ねた家には水着姿で日光浴をしている美人さんに、流暢に喋りながら銃をうつ赤ん坊がいて、手榴弾による爆発まで起こってしまう始末。最後には、確かツナの頬が膨らむ光景まで見ていたはずだ。
全て覚えているわけじゃないから、もっと色々あったかもしれないけれど、おそらく普通に生活している日本人の中学生だったら、その中の二つ三つに遭遇しただけで逃げたくなるに決まってる。少なくとも、私は逃げる。ましてや、それが全部重なってしまったら、気を失ったってトラウマになったって仕方がないというものだ。

「…止めて、あげられたら。よかったのかな」

ぽつり、口から飛び出た言葉に、私は無言で首を振っていた。
なにを言っているんだろう。なにを、考えてしまったんだろう。今、私はなんてことを、願ってしまったんだろう。
知っているから?日にちまではわからなくとも、入江くんがこうなってしまう未来を知っていたから、避けられたかもしれないなんて。未来を、変えられたかもしれないなんて。
なんて、傲慢な。そんなこと、許されるわけない。
だって、私はこの世界では部外者で、知っていること自体がイレギュラーなことなんだ。理由なんて必要ない。それを笠に着て何かを変えようなんてこと、絶対に考えちゃいけないんだ。そうに、決まっている。

「そっか…そうなんだ」

知ってることが、こんなに辛いなんて、考えたことなかった。
今日のこの日まで、コミックのストーリーがそのままでてくることがなかったからかな。コミックの世界だって、私が十三巻まで読んできてしまっている世界だってわかってたくせに。都合よく、忘れていたんだ。


「う゛…、うん…?」
「!!」
「あ、れ…?ここ、は」
「…よかった。目、覚めたんだね」


掠れた呻きを最後にゆっくりを目を開けた入江くんに、さっきまでの気持ちを隠して慌てて笑顔をつくった。
入江くんはと言えば、寝ぼけているみたいに数度瞬きを繰り返してから数拍おいて、思いっきり起き上がる。ガバリ、効果音がつきそうなくらいの勢いだった。って、そんなに冷静に見てちゃだめでしょ、私!

「ちょっと、ダメだよ!倒れていたんだから、いきなり起きあがったりしちゃ」
「だ、だって早く!早く逃げないと…!」
「逃げるって…ここには、あなたを追ってるものなんてないよ?」
「だって爆発が…あ、あれ?」

起き上がったと思ったらすぐさま走りだしそうになった入江くんを必死で抑えて、とにかくソファーに座らせる。途中でようやく落ち着いてきたらしく、両肩を押さえ込んで座らせていた私の腕にかかる力がストンと消え去った。ああ、もう大丈夫かな。とにかく、安心させてあげなくちゃと思って、できる限りの笑顔を浮かべて入江くんと視線をあわせた。入江くんは、またも数回目を瞬かせて、私のことをまじまじと見返してきた。

「あの…あなたは」
「私は。家の前に倒れていたあなたを勝手だったかもしれないけど運ばせてもらいました」
「僕、倒れて…!」

そこまで口にすると、入江くんは再び思いっきり立ち上がって勢い良く頭を下げた。ああ、もう!だからいきなり起きあがったりしちゃダメなのに!

「あ、ありがとうございます!ぼ、ぼくのこと、看病してくれてたんですよね!」
「一応、そうなるのかな。でも、お礼なんていいから、とにかく座って?」
「でも」
「今、飲み物持ってくるから、ちゃんと座ってそれを飲んでください。そうしないと、看病どころか悪化させることになっちゃう」
「あ…す、すみません」

ようやく理性が感情に追いついてきたらしい。入江くんは、さっきの私の言葉を体現するように、ゆっくりとソファーに腰をおろしてくれた。
キッチンから塩を少し溶かしたお水を持ってきて渡すと、入江くんはお礼の後でそれを確かめるように、一口、また一口と喉に流す。思ったよりも弱っていないみたいで、よかった。そう思った素直な気持ちを表したくて、水を飲む入江くんの頭を手のひらで数回撫でてみた。あ、柔らかい。ちょっと癖があるけれど、想像よりも軽い感触が妙に気持ちよかった。

「あの…!」
「あっ、ごめんね。なんだか、ほっとしちゃって」
「…ごめんなさい。僕が倒れたりしていたから、ご迷惑を」
「ううん、そんなことない。身体に大事がなかったなら、それに勝ることはないし。
 …それにね。こんな言い方変かも知れないけど、ちょっと、心当たりがあるし」
「そんなこと…って、ええっ!!?
「えっと…あなたが気を失っている間にうなされてた内容から察するに、ランボくんとかが原因、なんだよね。うち、お隣さん、だから。」

ポン。入江くんが手を打った音がそんなふうに聞こえた。それから、入江くんはほんの少しだけソファーの背の方に体重をかける。理由はすぐにわかった。私が、彼をここまで追いつめてしまったあの子たちの知り合いだからだ。原因の知り合いは原因、とまでは言わなくても、類は友を呼ぶ、という言葉が存在するような世の中だし。お隣さん、という理由で彼が私を敬遠してしまっても、仕方がないんだ。…ちょっと、淋しくないとは、言わないけど。
けれど、数秒の間私のことを困惑した眼で見ていた入江くんは、その視線を手に持っていたコップに移すと、小さな声で囁いた。

「入江、正一…です」
「え?」
「僕の名前。入江正一、って言います」
「入江…くん?」
「看病してもらったのに、さっきから変な態度ばっかりで、ほんとにすみませんでした。でも、僕…ほんとに、ほんっっとに怖くて…!」

手元のコップに視線を落としたまま、ひびが入ってしまうんじゃないかってくらいに強くそれを握って。
うん、知ってるよ。入江くんが、すごく怖い思いをしたの。ちゃんと、わかってる。
この思い、どうやって伝えたらいいんだろう。考えたけれど、上手い言葉が見つからなくて、結局私は入江くんの頭にもう一度手を伸ばしていた。

「あ……」

大丈夫。ちゃんと、わかってるよ。
優しい君のこと。お母さんとお姉さんに押し付けられてだったけれど、それでも何度も何度も、ランボくんを届けてくれようとがんばってくれたこと。
知ってても、知ってるって言えないことが辛いけれど、口に出さなくても伝わればいいなって、ちょっとでも安心してもらえたらいいなって思って、撫でた彼の髪の毛はすごく柔らかくて温かかった。
本当はね、変えてあげられなくてごめんって、謝りたかったのは私の方なの。
そんな思いも全部込めて何回も何回も手のひらを動かし続けていたら、ぽとりと入江くんの瞳から雫が落ちていた。




「送っていかなくて、本当に大丈夫?」

玄関先、壊れた眼鏡をかけた入江くんに尋ねると、ほんの少し頬を赤く染めた入江くんが「はい」と大きく頷いた。

「そこまで、さんに迷惑かけられないですから」
「迷惑なんて…」
「というか、これ以上は情けなさ過ぎるというか…」
「え?」
「いえ!なんでもないです!!」

少し叫ぶような声でそういうと、入江くんは空いている方の手を大きく横に振った。
入江くんのもう一方の手には、彼がツナの家に返すために持ってきたはずの箱が収まっている。私が返しておこうかと提案したけれど、結局入江くんは持って帰るという道を選択した。あんなに嫌がっていたはずなのに。理由は、私にはわからなかったけれど、入江くんには入江くんの、考えがあるのかもしれない。

「あ、あの!」
「ん?どうしたの?」

箱に向いていた視線をあげ、私よりも少しだけ視点の低い入江くんと目をあわせる。
入江くんは、一度喉を上下させて、掠れるような声で言った。

「ま、また、逢えますか…っ!?」
「私…と?」
「は、はい!」

きらきらと輝いていたのは入江くんの瞳で、同じくらい嬉しさでときめいてしまっていたのは私の心で。予想だにしていなかった入江くんの言葉に、涙腺が緩んでしまいそうなくらいに嬉しかった。だって、入江くんは私の中で"普通の男の子"に位置する子で、REBORNの物語には大きく関係しない ――― 未来を変えてしまうとか、そういうことを考えずに付き合える ――― 人物だったから。

「もちろん。入江くんさえよかったら、いつだって逢えるよ」

いつか戻ってくる""のことを考えたら、いけないことだったのかもしれないけれど、弱虫な私は悩みもせずにそう返していた。
""のじゃない、私の、友達。ツナとの関係を考えないで付き合えるかもしれない、過去を考えないで話せるかもしれない数少ない人。

「私からもお願い。入江くんがよかったら、また、お話しようね」

自分でもわかるくらいの満面の笑顔を浮かべたら、入江くんもすごく嬉しそうに笑ってくれた。うん、わかるよ。怖いこと、共有できる相手って大切だよね。だから私も嬉しくて、別れ際がちょっぴり寂しかった。

そうしてその日から、私と入江くんの奇妙な友人関係が幕を開けたのだった。



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※熱中症。主人公はコミック13巻までしか読んでません。
 なので、未来編での正ちゃん大活躍はまったく知らないのです。残念!