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とりあえず、私は今、いったい誰に対して文句を言ったらいいだろう。

朝、出かける時に道を教えてくれた奈々さん?いやいや、奈々さんはすごく親切丁寧に地図まで書いてくれて、挙句の果てには一緒に行こうか、とまで言ってくれたぐらいに優しい人だ。こんな未来を予知していたなんてあるわけない。
じゃあ、お店でお釣りを用意するのに手間取っていた店員さん?でも、あれはレジの小銭がなくなって、他の売り場までとりにいっていたからだし。むしろあんなに走ってもらって、申し訳なかったくらいだからこちらも違う。
それなら、

「オイ、何とか言ったらどーなんだよ!」

それなら、やっぱり問題は「ようやく並盛での生活にも慣れてきたから、そろそろ制服を買いにいこうかな」ってわざわざ今日という日を選んで、商店街から少し離れたショッピングモールまで来てみちゃったり、「ちょっと散歩でもして土地勘を養っておこうかな」なんて下手なことを考えて、行きとは違う帰り道を選んでしまった、私にあるんだろうか。

「黙ってんじゃねーよ、クソガキ」

曲がり角の向こう側で起こっているであろう事態を想像して、手に持った紙袋の紐をきつく握り締める。買ったばかりの制服と、ちょっと目についてしまったハンカチが入った紙袋。夏冬両方にワイシャツとかまで入っているから結構重たくて、指の関節に食い込む痛みが妙にはっきり頭に響いている。あ、また私ってば現実逃避してる?
曲がり角の向こう側。声の数と内容を聞いていれば、覗かなくたってわかる。団体様が、個人を、囲っている図。あーもう。私ってばどうしてこういう現場に居合わせちゃうかな!

「ヘヘッ、今なら泣いて土下座でもすりゃ、許してやらないこともないぜ」
「ビビッて声もでねーか?ギャハハ!ザマーネェな!!」

ああ、本当に、いったいどうしたらいいんだろう。大きな声に反射的に足を止めてしまってからもう数分はたつけれど、私と彼ら以外の誰かが現れる気配はまったくない。昼間の住宅街って、こんなものなのだろうか。
お世辞にも綺麗とは言い難い言葉遣いの人達とは反対に、囲まれているであろう子の言葉は一切聞こえてこなかった。当たり前だ。声の数だけ数えても、七、八人はいそうな集団に囲まれて気丈に振舞うなんて、なかなか出来ることじゃない。
いや、違う。そんなこと、考えている時じゃない。

(……私って、最低だ)

客観的なふりをして、色々考えてるようにみせかけて。そのくせ足を止めただけで何にもしていない自分を、気がつけば心だけが責めていた。
助けなきゃ、囲まれてる子を。
そう、思ってるはずなのに、紙袋を提げた手も、止まったままの足もまったく動こうとはしてくれなくて。どうしようもないくらいに、弱い自分が嫌になる。
だって怖いよ。男の子何人も相手に、女の子(しかも今は中学二年生!)が勝てると思う?そりゃ、お父さんに護身術を習わされていたから、普通の女の子よりは立ち回れる自信はある。だけど、それでも複数人相手に対抗できるかなんてわからない。何より、私がこっちの世界であんまり目立ったりしたら、戻ってきた""に迷惑がかかってしまうかもしれないし。厄介ごとにはできる限りかかわらないように。普通の女の子として、普通に過ごしていた方が良いに決まってる。


「テメーにやられたダチの分、思い知れ!!」


さっきまでとは、勢いの違う声。
あ、だめだ。殴られちゃう。
そう、思ったときにはもう遅くて、バコンと低い音がして紙袋が地面に落ちていた。

やっぱり、ダメだ。放っておくなんて、できっこない。

「そこの人たち、なにしてるんですか?」
「誰だ!!」

できるだけ平静を装って、今まさに通りかかったふうに作って声をかけると、「柄が悪いんです」と札でもつけていそうなくらい典型的な格好をした(あ、でもこれって偏見かも)数人の男の子たちが一斉にこちらを向いた。
一、二…十一人。想像していたよりもちょっと多かった数の視線に、びくんと体が震える。
でも、大丈夫。
根拠もなんにもない言葉を頭で何度も唱えて、とにかく何か言わないと、と思って口をひらいた、瞬間だった。


「なんだ、彼らの仲間じゃなかったんだ」


聞こえたのは、よく通る少し高めの男の子の声。ボーイソプラノ、よりは低い。謡うような綺麗な音と、バキッという鈍い音。それから、ギャアと続いた誰かの悲鳴…って、あれ?ちょっと待って。今、囲んでる男の子たちは全員私のほうを向いていたよね。それに今の悲鳴、さっき「思い知れ」って怒鳴っていたのと同じ音に聞こえたけど。
それって、もしかして ――――― 私は、いらなかったってこと?

「トシくん!テメェ、卑怯だぞ!!」
「君が隠れていたのはわかっていたから、まとめて咬み殺そうと思って待っていたんだけど…」
「無視してんじゃネェ!!」
「ただのお節介か。まったく、時間を損した気分だよ」
「クソ…ッ!テメェら、ヤるぞ!!」

いやちょっと、全然話がかみ合ってないんですけど!
背の高い集団が壁になっているせいで未だに姿形も見えない囲まれている子に向かって、囲んでいた側が一気に襲いかかる。止めなくちゃ。そう思ったはずの思考回路は、すぐに命令を"逃げなくちゃ"に変えていた。
そっか、私。完全に失念してた。
ここは並盛で、ツナやリボーンくんや獄寺くんに山本くんまでいるような世界なんだから、コミックに出ていた他の人たちだって、当たり前にいるに決まっていたんだ。

さらさらの黒い髪。切れ長の瞳。白いワイシャツ。鈍色に光るトンファー。
足元に十一の動かない少年たちを従えて、彼は私を見ている。

だから、彼と遭遇する危険性だって、普通にあったはずなんだ。


「さて…次は、君の番だね」


夏の太陽の光を浴びて、赤く淀んだ液体の付いたトンファーが光った気がした。でも、こんなときに限って私の頭はまたも現実逃避をはじめていて、ああやっぱりコミックの通り「咬み殺す」とか言うんだなとか、絵でみるよりもずっと綺麗な男の子だなとか、トンファーで叩かれた子たちの手当てをしないととか、そんなことばかり考えていた。
一歩、雲雀恭弥が近づくたびに、つんと鼻の奥をさす特有のにおいが近づく。嗅ぎ慣れる、ことなんてない独特なかおり。
でも、私はいたよ。このにおいが充満した場所に。
そこで、私は


「ちょっと待って」


考えるよりも先に口から飛び出していた言葉。ちょっと待ってって、私ってば何様だろう。案の定と言うべきか、止められた側の雲雀恭弥もどこか間の抜けたきょとんとした顔をしていた。
でも、思い出したの。このかおり。充満した場所で、私がなにを考えていたのか。なにをしていたのか。どうして私は、薬剤師なんて仕事を選んだのかを。

「…何?いまさら命乞い?」
「ううん、違うの。逃げたりしないから、ほんの少しだけ、時間をちょうだい」

それだけ言って、私は彼の返事も待たずに自分がさっきまで立っていた曲がり角に戻った。予想通りそこに落ちたままになっていた紙袋を拾って、今度は雲雀恭弥の横を通り抜ける。
向かったのは、雲雀恭弥に"咬み殺された"少年たちのもと。一番近くに倒れた子の傍らに膝をついて、怪我の具合を確認する。…やっぱり、トンファーで殴られているだけあって、打撲が多いようだった。あ、でもこっちは骨にヒビがはいっちゃってるかも。中にはごっそり皮膚が捲れてしまっている子とかもいて、どう見たって軽傷とは言い難い状態だった。

「…何、してるの」
「なにって、見てわかるでしょ。応急処置してるの」

応急処置といっても、今の私は救急箱も持っていなければ、包帯のひとつももっていない。仕方がないから買ったばかりのワイシャツを引き裂いて、包帯のかわりに出血の多い場所にきつく巻いた。本当は折れている骨に添え木でも出来ればいいんだけど、支えになりそうなものがないので後回しだ。
買ったばかりのワイシャツ五枚を全部使いきって、ようやく全員の手当てに一段落がつく。幸い、命に別状のありそうな子はいなかったから、病院に行って適切な処置をしてもらえれば、一月もたたないうちに退院できるだろう。

「そうだ…病院!ねえ、雲雀恭弥。携帯持っていたら、病院に連絡して」
「なんで僕が」
「負傷者の側にいる人間の義務でしょ。私じゃ止血くらいしかできないの。早く、ちゃんとした手当てをしてもらわないと」

もう一度「お願い」と彼を見やると、渋々そうではあったが雲雀恭弥は携帯電話を取り出してどこかへ短い電話をかけてくれた。もしかしたら、風紀委員にかもしれないけれど、それならば風紀の誰かがちゃんと救急車を呼んでくれるだろう。…それくらいには人並みの良心があると信じよう。

「ねえ、終わったの?」
「あ、うん。今の私にできることは」
「そう。じゃあ、もう再開してもいいね」
「あ…」

忘 れ て た !
え、ちょっと私ってばおかしくない?さすがに応急処置にばっかり気をとられてたからといって、こんな大事なこと忘れるものだっけ。
今更ながらに、逃げたりしないなんて言った自分をバカだと呪った。
だって、どう考えたって雲雀恭弥は、私のことも咬み殺すつもりだ。
頭の中でいろんな思いがぐるぐるまわる。さっき、思いっきりダッシュしていたら逃げられたのかな。雲雀恭弥に咬み殺される。なんで手当てなんて優先したんだっけ、あ、これはダメだ。だって、怪我してる人を放っておくなんて無理な相談だし。雲雀恭弥に咬み殺される。ていうか私、ついさっき普通に話しかけちゃったよね並盛の秩序に、ワオちょっとすごい勇気じゃない。雲雀恭弥に咬み殺される。雲雀恭弥に、咬み殺されちゃう!

「あれ?逃げないんだ」
「うう…だって、自分で逃げたりしないって言っちゃってるし」
「ああ、なんだ。あれ、本気だったんだね。逃げるための方便だと思ってたよ」

まあ、だからと言って逃がすつもりはないけどね。
ちょっと方向を変えて聞いたら、なんだか口説かれてるみたいでグラっと来ちゃいそうな台詞なはずなのに、雲雀恭弥に言われているというだけで恐怖しか産まれてこない。
ごめんね、""。あなたが戻ってきたときに大変なことにならないように暮らそうって思っていたのに、失敗しちゃった。厄介ごとにはかかわらないで、平凡に生活していればよかったね。やっぱり文句は、私に言うしかないみたい。
なぜかもう、これ以上逃げようとしたって意味なんかないような気がして、仕方がないから腹を括った。
雲雀恭弥の前に立ち上がろうと思った時、ふと買ってきたばかりの(なのにもうボロボロな)紙袋が目に付いた。ああ、そういえばワイシャツと制服のほかに、もうひとつ買っておいたものがあったっけ。別に、特に意味があったわけではなかったけれど、紙袋から新品のそれを取り出して、貼ってあったシールを外して雲雀恭弥に差し出した。

「…なに、これ」
「ハンカチ。新品なので、綺麗です」
「そんなの見ればわかるよ。こんなもの僕にみせて、どういうつもり」

私の手の上に乗ったままの淡い鶯色のハンカチを、雲雀恭弥は訝しげに見つめていた。確かに、わけがわからない。私にだって、特に深い意味があったわけじゃないのだ。ただ、私が咬み殺された後で、あのボロボロの紙袋が道端に落ちていることを想像したら、このハンカチが勿体ないと思っただけで。
制服の方は、運がよければ交番に届けて貰えるかも知れないし、箱にはいってるから多少雨とか降っても大丈夫だけど、ハンカチの方は私が「袋は要りません」って言ってしまったから、雨が降ったり誰かに踏まれたりしたらそれだけで使えなくなってしまうかもしれない。いや、私だったら洗って使うけど。
折角買ったんだから、そんなの勿体ない。私じゃなくてもいいから、誰かに使ってもらえたらいいのに。
そう、思ってしまったから。

「…私が咬み殺されたあと、私の血がそれに残ってるのを想像すると、ちょっと気分が悪いので拭くのに使ってください。ってことじゃ、ダメですか?」
「咬み殺されること前提なんだ」
「まあ…そう、かな」

そりゃ、咬み殺されない選択肢があるならそれに越したことはないですけどね!でも、そんなこと口が裂けたって言えなくて、あまりの居た堪れなさに雲雀恭弥から顔を逸らしてしまった。
あ。こういう時ってもしかして、視線を先に外した方が負けなんだっけ。小説とかでよく聞くシチュエーションが頭に浮かんで、やっぱり私ってダメだなぁ、と再確認してしまう。

一度顔を逸らしてしまったらもう、雲雀恭弥の方を向くなんて勇気は全然なくて、中途半端に民家の壁を見つめていた。ねえ、咬み殺されるまであと何秒?咬み殺されるときって、痛いのかな。そりゃ、彼らみたいになるんだから、痛くないわけないよね。確実に、近づいているはずの瞬間に心臓がドキドキしていた。痛いことなんて好きじゃない。できることなら避けたいけど、もう腹を括ってしまったし。
やるんだったら早くして!って恐怖と必死に闘っていたら、不意に手の平の感触が変わった。ハンカチが、攫われたのだ。

「え……?」
「気が変わった。別に、君は群れてるわけじゃないし…これで、見逃してあげるよ」
「は、」

じゃあね。そう言って、背を向けた雲雀恭弥の手には、確かに私がさっき買ったばかりの鶯色のハンカチが握られていて、当然のことだけど私の手の上にはもうなにも乗っていなかった。
ふたつ先の角に彼の背中が消えるまで見送ったとたん、すとんと私はその場に座りこんでしまった。もしかして、これが腰が抜ける、ってやつかな。がんばって、立とうと力をいれるけれど、どうにも上手くいかない。しばらくは、このまま動けなさそうだ。

「でも…助かった、んだよね」

ついさっきまで自分が置かれていた状況を思い出して、素直に長い長い安堵の息がこぼれた。あ、今になってから震えてきちゃった。
何が彼の琴線に触れたのかはわからなかったけれど(もしかして鶯色、好きなのかな)とにかく、助かったのだ。私は、咬み殺されずにすんだんだ。

「よ、よかったー」

遠くの方から、近づいてくるサイレンの音が聞こえる。どうやら雲雀恭弥は、ちゃんと救急車を呼んでくれたらしい。おそらく事情の説明を求められるだろうが、雲雀恭弥の名前を出せばどうにかなるだろう。
なんで見逃してくれたんだろうとか、もう一回逢っちゃったらどうしようとか色んな思いが頭に浮かんだ。けれどそんな中、やっぱり現実逃避が好きらしい私の頭は、また新しいワイシャツ、買いに行かなきゃなぁ、なんてことを真剣に考えていた。



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※ヒバリ。やっときちんと出せました…!