ばたばた。
卸したての布団を庭に干して手の平で何度か叩いて。一通りの作業を終えたときには薄っすら額に浮かんでしまっていた汗を、首にかけたタオルで拭った。なんだかどこぞの工事現場の人みたい。燦々と容赦なく照りつける真夏の太陽に目を細めながら、そんなことを考えた。
時刻はすでに十一時過ぎ。買い物、挨拶回りを終えてからはじめた洗濯にもようやく一区切りがついて、口からは自然と溜め息が零れる。…普通だ、私。なんでこんなに普通に平日の主婦みたいなことやっているんだろう。
今朝、目が覚めた時。もう一度洗面所で自分の顔を確認してもやっぱりなにひとつ変わってないことに気付かされて。結局私には、それをそのまま受け入れることしかできなかった。もう一回昨日みたいに取り乱してみてもよかったかもしれない。また、最初からひとつずつ確認してもよかったかもしれない。けれど、鏡に映った中学二年生の自分をじっと見つめているうちに、昨日の出来事のひとつひとつがはっきり頭の裏側に浮かび上がってきて、私は、自分がリボーンくんに伝えた言葉を思いだした。
ツナの迷惑にならない範囲で""のふりをする。
実際には私のその宣言に対して、リボーンくんは真逆とも取れる言葉を返してきたのだけれど、それでも私の決意はやっぱり変わらない。取り乱すことはもう十分したし、私の存在を知ってくれる人もいてくれる。そしたらもう、あとは後ろばっかり振り返らないで、できることからやるしかない。昨日、眠りにつくまでに布団の中で何度も何度も考えて、言い聞かせていたことだ。
「できることが引越しの後片付けから、っていうのがちょっと…切ないんだけどね」
「なんか言った、?」
「ううん、なんでもない」
サンダルを脱いでリビングの大きな窓から家の中に戻ると、ツナがダンボール箱の中身をひとつずつテーブルの上に広げていた。
「それより、ツナ。ほんとによかったの?荷物の整理…手伝ってもらっちゃって」
「当たり前だろ。どーせ夏休みで暇だったしさ」
僅かに眉の間に皺を寄せてそれだけ言うと、再びツナはタオルで包まれた食器類に手を伸ばす。
不機嫌なのは、ツナが訪ねてきてくれてからもう四回もおんなじことを聞いてしまったからかもしれない。でも、何度だって聞きたくなるよ。だって、昨日が七月二十八日だったから、今日は七月二十九日。夏休みの真っ最中で、外は暑くて天気も良い。元気な盛りの中学生だったら、遊びに行きたいって思うのが普通だって私は思う。それなのに、ツナは嫌な顔なんかひとつだってしないで、当たり前だって私の片付けを手伝ってくれる。正確には私じゃなくて"こちらの世界の"の、だけど。
そんな小さな気遣いが、嬉しいんだけどちょっとばかり申し訳ない。でも、やっぱり嬉しいな、なんて思ってしまうから性質も悪い。
どことなく危なっかしい手付きではあるけれど、それでもひとつひとつ丁寧に荷物を扱ってくれていることが伝わってくる真剣な仕草に、何があるわけでもないのに口元が綻んだ。
「…?」
「あ、ごめん。なんか、やっぱりツナって優しいなーって思ったら、つい」
「なっ、なに言ってんだよ!!」
ちらと視線をあげたツナに見つかって怒られてしまったから、これ以上照れられてしまわないうちに逃げてしまおう。やっぱり、まだ引き締まらない顔のまま洗濯かごを抱えて廊下に出る。
ピンポーン
「え?」
洗面所に向かうはずだった足が、ぴたりと止まる。それから、思わず振り返ってリビングにツナが居ることを確認してしまった。この家を訪ねてくる人なんて、ツナとその家族くらいしか思いつかなかったからだ。
でも、もちろんツナはリビングのテーブル近くに座っていて、私のことを見上げている。じゃあいったい、誰だろう。もしかして、奈々さんだったり?あまり数の多くない選択肢を頭の中で反芻しながら、それでもやっぱり違和感を拭いきれないまま玄関へ向かった。
「はい、どちらさまで、す」
思い返してみれば、私は昨日と今日ツナが訪ねてきたときも、相手を確認することなくドアを開けていた。折角ドアスコープがついてるのに、防犯意識レベルが低すぎる。…あれ?でも私、もしかして前からずっとこうだったっけ。そういえば、何度も何度もに注意されていた気がする。あー全然成長してないなあ。ドアの向こう側に居た、不機嫌と爽やかを体現したような二人組から逃避しながら、そんなことを考えた。
「ーお客さん、誰…って、獄寺くんに山本!?」
「10代目!おはようございますっ!!」
「よお、ツナ」
ああ、やっぱり見間違いとか勘違いじゃなかったんだ。可能ならそのどちらかで、これから先もできるだけ接触しないで暮らしていけたらなー、とか思ったりもしていたんだけど。でも""がツナの幼馴染である以上は最初から無理だったんだよね。唐突に現れたとても中学一年生には見えない二人 ―― 獄寺隼人と山本武 ―― と関わらずに、過ごすなんて。
「どーしたんだよ、二人とも!」
「いやな、昨日の補習のプリント、一緒にやれねーかなと思ってツナん家行ったらさ」
「10代目のお母様に10代目がこの家にいらっしゃるとお聞きしたんです!」
「あ…そうだったんだ」
それだけ聞くと、リビングから飛び出してきたツナは不安げな表情で私を見た。
何かを待ってる、そんな表情にツナの言いたいことがなんとなくわかってしまう。できることなら、学校でもどこでも目立ってしまいそうな二人とは、あまり関わらずに過ごせたらと思っていた。物語の主軸にも関わりたくなかった。何度だって言っちゃうけど、本当に目立たず平凡に生活していきたかったのだ。私は、物語の一端なんて、担えるような器じゃないのだから。…ツナと関わってる時点で不可能かもとは、思ってたけどね。
「なんだ、ツナの友達だったんだ。知らない人だったから、びっくりしちゃったよ」
安心してほしくて笑ったら、ツナは小さく息を吐く。瞳にこもった感情が、少しだけれど穏やかになったような気がして、私も妙にほっとした。
けれど、落ち着いたのも束の間。すぐ傍らで拡声器ごしぐらいに大きな声が鳴った。
「てめえ、10代目になに馴れ馴れしくしてやがる!」
「ちょ、獄寺くん!落ち着いて!!」
一歩、近づいてきた獄寺隼人くんの動きに合わせて、ツナが私を庇うように間に入る。
突き刺さりそうな眼差しは、昨日の夜に見た彼女のそれと良く似た色。鋭く尖ってはいるけれど、なぜかそこに冷たさはなかった。それから、昨日のような恐怖心も。…ダイナマイト、突きつけられてない所為かな。
積極的に関わりたいわけではないけれど、出逢ってしまった以上は険悪になるわけにはいかない。いつか戻ってきた""が幼馴染の友達に嫌われてたら、きっと淋しいと思うから。
悩んだのは一瞬で、行動までは数拍。小さいけれど、頼りになるツナの背中越しに、彼の名前を呼んでみた。
「獄寺くんって言うんだね。私は。昨日こっちに引っ越してきたんだ。ツナの幼馴染、やってます」
「そう!そうなんだよ、獄寺くん!はオレの幼馴染で、イタリアから昨日戻ってきたばっかりなんだ!!」
「へー。イタリアって言ったら、獄寺とおんなじだなー」
「10代目の…幼馴染、ですか…」
私という存在がなんなのかを理解した所為か、毛を逆立てた猫みたいだった獄寺隼人くんの態度が瞬間的に軟化する。…これが日常茶飯事だったら、確かにツナの毎日は大変そうだ。
「獄寺くんに、山本くん…でいいのかな?よろしくね」
「ああ、よろしくな!オレは山本武ってんだ」
「…獄寺隼人、だ」
挨拶をすれば、ふたりとも(片や渋々ではあったけど)ちゃんと返事を返してくれた。にぱっと効果音でもつきそうなくらいに笑った山本くんは、左手を差し出して握手までしてくれる。
とりあえず、これで自己紹介は済んだけど…これからどうしたらいいんだろう。あがってもらうべきか、それともと思案していた頭が、不意にほんの数分前の山本くんの台詞を思い起こさせる。
今は、夏休みの真っ最中。確かに、コミックでもそんなことを言っていたはずだ。
「…ちょっと、ツナ。もしかして、宿題があったの?」
「え…!あ、それは」
「あったんだね。ダメだよ、ツナ。片付けなんかよりそっちの方がツナにとっては大事なんだから、早めに終わらせないとあとで大変だよ」
詰め寄るとツナは居心地悪そうに顔を逸らしたけれど、それを簡単に許してしまうわけにはいかない。正確には覚えていないけれど、確か夏休みの補習の宿題の中には「出来なかったら落第」とか言う内容のものだってあったはずだ。
""はそこまで知らない。だから、直接的な単語を出すわけにはいかない。でも、言ってる言葉に間違いはないと思う。けれど、不思議なことにツナの横顔は、申し訳なさそうな反面、どこか嬉しそうに私の言葉を聞いていた。…なんで?
「…ツナ、片付けはいいから、二人と一緒にプリント終わらせた方がいいよ」
「そんな!だって、食器だって結構な数あったよ!?」
「大丈夫だよ。別に一日で終わらせなきゃいけないわけでもないし。食器より、ツナの宿題の方が大切だよ」
「ちゃんと片付け終わったら、やるから!ていうかオレ、終わったらに教えてもらおうと思ってたんだよ!!」
「私…に?」
予想していなかった言葉に、口から零れた言葉はどことなく間が抜けていた。けれど、そんなことよりもすぐ傍で睨みを利かせてくる視線の方が何倍も気になった。…そうだよね、獄寺くんはツナの手伝いに来たんだから、それを盗られたりしたら絶対に嬉しくなんかないよね。お姉さんとおんなじで、一度盲目になったらそれが解けるなんてなさそうな人だ。少なくとも、私の印象ではそうだった。だから、ここでツナの言葉に素直に頷くわけないはいかない。たとえ、彼の言葉が素直に嬉しかったとしても。
「手伝ってくれる、って気持ちだけで私は十分だよ。帰ってきた早々、ツナに迷惑かけたくないから…」
「なんだ、。まだ引越しの片付け終わってないのか」
割り込んできた声は、朗らかに爽やかをかけて2乗したような明るいもの。振り返ると、春の太陽みたいに笑った山本くんと目が合った。
「だったらオレらも手伝うぜ!二人より、四人でやった方が早いだろ?プリントもその後でやれば十分終わるだろ」
「え…?」
まさか、嘘でしょ。出逢ってすぐ、二言三言しか交わしてないような人間相手に、そんなこと言えちゃうなんて。コミックを読んで好きだと思っていた山本くんは、本当にどこまですごいんだ。
認識するには遅すぎる認識をしたときには、当然ながらもう遅い。きらきらと瞳を輝かすツナと、「な!」と当たり前のように笑う山本くんを前にして私(と不本意そうな獄寺くん)が、否なんて言えるわけもなかった。