「はー……」
ぼすん。仰向けに倒れこんだベッドは、大きな音を鳴らせて柔らかな感触で私を抱きとめてくれた。
家の扉を開けた正面にある階段をのぼった二階の、左奥。そこが、""の部屋だった。
ツナのお宅で夕食をたらふく(そりゃもう、お腹パンパンになるくらいのご馳走だった)戴いたあとで、真っ直ぐ隣に戻ってすぐに、私は家の中を探検してみた。二階建ての一般的な住居は、一階の広いリビングキッチンと水回り、和室に物置と、二階の六畳強の洋間四部屋によって構成された、一間暮らしに慣れ親しんだ私にはかなり広く感じるもので、逆にこれだけの部屋数がありながらどの部屋も空っぽに近いことがやけに淋しさを増長させていた。
最低限、家具が置かれていたのは、私がはじめに寝ていたリビングキッチンと、ここ ――""の部屋―― だけだ。それも細々したものは一切なく、ただベットやタンス、机だけ。
これでも、何もなかった他の部屋に比べたら、きっとマシなんだろうな。
最初から用意されていた布団の上で転がって、生活の匂いがまったくしない部屋を見渡してそう思った。
ふんわりと沈む弾力に、ツンとすました収納剤のかおりが鼻の奥をくすぐる。
明日、晴れていたらこの子も干さなくちゃ。真新しい布団に頬を埋めたまま、またひとつ増えた明日の予定を頭の中に書き記す。
朝一番で、現状の確認。
それから、さっき奈々さんに教えてもらったスーパーに当座の食料を買出しに。お金は、部屋でみつけたお財布にけっこう入ってたし、残額がかなりある通帳も発見したから問題ない。
家に戻ったら、まだ残ってるオリーブオイルとパスタを持ってご近所さんに挨拶に行って、帰ってきたら家の中を本格的に片付けて。
布団を干して、食器を洗って、生活に必要なものを書き出して、また買出しに行って。
「…ああ、そうだ」
それから、手紙を書かなくちゃ。
夕方、確認したファックスには相手方の番号が書かれていなかった。だから、連絡を取るならば荷物に貼り付けてあった住所しかない。
届く先はおそらくこの世界の""の両親の元。
何を書くべきだろうか。少なくとも、私が彼らの娘でないということだけは、伝えておくべきなんだろうか。たとえ信じてもらえなかったとしても。
「普通は信じない…よね」
とりあえず、私が報告を受ける側だったとしたら間違いなく信じない。自分の娘はついに夢想趣味に走ったか、とか別の意味で悩みそうだ。
でも、それでも伝えなくてはいけない。きっと、私にはもういない、ふたりにだけは。
それはたぶん""のためでもあるし、家とかお金とか色々お世話になる""の両親のためでもあるけれど、一番は間違いなく ――――――― 私自身のために。
ツナの家で、ご馳走になった奈々さんの手料理はすごく美味しかった。
ツナやリボーンくん、ビアンキさんにランボくんのいる食卓は賑やかで、ほんの短い夕食の時間が楽しくて仕方なかった。
「困ったことがあったらなんでも言ってね」と、微笑んでくれた奈々さんの優しさが嬉しかった。
最初から最後まで、優し過ぎるツナの笑顔をみているだけで倖せだった。
だけど、それとおんなじだけ、淋しかった。
嬉しいと、倖せだと感じた全てのものが、私が受け取ってはいけないものだってわかっていたから、どうしても本音で笑うことなんて、出来るはずがなかった。
ツナを困らせないためにツナには決して言えないけれど、ひとりで抱え込んでいるなんてとてもできそうにない嘘が、私にはやっぱり重たすぎたのだ。なんたって、私はどこにでもいるような極々普通の二十四歳社会人で、ツナみたいに特別な血筋の生まれなわけでもなければ、リボーンくんたちみたいに特殊な環境に身を置いてきたわけでもない。
だから、誰かに知ってもらいたいって思うのは、別に特殊な感情ではないと思う。
誰でもいい、から。誰かに、荷物を分けたいと望んでしまうこの弱い気持ちが、悪いことではないと信じたい。
もちろん、密かにイタリアにいるという""の両親が、今のこの状況をどうにかする方法を知っているんじゃないかとか、そんな浅はかな期待を抱いている、というのも事実で(だって、ツナのお隣さんの""の両親がボンゴレ本拠地のあるイタリアにいるなんて、ちょっと出来過ぎてるだろう)
最悪、私のことは罵られても構わないから、ここにいるのが""だけどなんだってことを、知ってもらえたなら、たったそれだけできっと私は救われる。
「なんて…それも難しいよね」
天井を見上げたまま考えていたことが、どれも自分に都合良すぎるものばかりだったことに気付いて、さすがに自嘲が零れた。
でも、まだ一番私にとって都合のいい結末を、考えてないだけマシだったりするのかな。
目を閉じて、意識を放って、目が覚めたら目の前でがいつもみたいに笑ってる。
そんな結末だけを、願っていないだけまだ、現状を受け入れられているんだって、
「…思いたいなぁ」
呟いた口から、大した間を空けずに欠伸が出た。
それと同時に、ガタンと小さな物音がすぐ近くで鳴った気がして飛び起きる。
部屋の中を見渡せば、電気のついていない室内で唯一天然の光が差し込んでいる開いた窓辺に小さな影が腰掛けていた。ちなみに、私には窓を開けた憶えは一切ない。ここで「不法侵入!」とでも叫んでみたら、小さなヒットマンは私に拳銃でも向けてくるんだろうか。
「おどろかねぇみたいだな」
「これでもかなり驚いてるんだけど。他に色々ありすぎて、ちょっと感覚が麻痺しちゃってるみたい」
黒いスーツに橙があしらわれた同色の帽子。
小さな体からは想像もつかないようなニヒルな笑みを浮かべて、リボーンくんはそこにいた。
「オレのこと、知ってたな」
それは問いかけというよりも、確認に近い確信を秘めた言葉だった。だから、躊躇うことなく私は頷く。彼に嘘をついても、きっと無駄だってわかっていたから。
リボーンくんはソフトハットのツバに指をかけて、表情を隠すと下を向いたまま「そうか」と無感動に呟いた。そんな仕草が少しだけ哀しそうにみえたのは、きっと私の気のせいだ。
「ねえ、リボーンくん」
「なんだ」
「私のこと、話してもいいかな?」
尋ねると、表情の見えないままにリボーンくんは首を縦に振った。
「あのね、リボーンくん。私、本当はツナの幼馴染じゃないみたい」
その言葉をはじめに、できるだけゆっくり、言葉を選んで私は話した。
二十四歳の私と、この世界で生きているらしい"中学二年生の"のこと。
私がリボーンくんたちを知っている理由も、""を演じようと思った訳も全部。
話しているうちに、段々と自分に言い聞かせているような気がしてきて、余計に説明は細かく長くなっていったけれど、リボーンくんは最初から最後まで、ずっとその場で聞いていてくれた。時には相槌を打って。言葉を捜す沈黙も、何も言わずに待っていてくれた。
だから、不意に気付いてしまった。
もしかしたらリボーンくんは、このためにここに来てくれているのかもしれない、って。
それこそ、私に都合の良い勝手な思いこみなのかも知れないけれど。もしかしたら、私に話をさせるために(私が私に説明できるように)ここに来てくれたのかも知れない。
だから私が最後に「信じられないよね」と言葉を区切ったそのときに、リボーンくんが吐いた溜め息が、「仕方ないな」って言ってくれているように聞こえて、私はまたも泣きたくなってしまった。いい歳して、今日はほんとに弱気すぎる。
私の涙が頬に流れるより先に、リボーンくんはやっと聞き取れるくらいの小さなこえで言った。
「…なるほどな。お前にはそう…されてるわけか」
「え…?」
意味深な言葉に反射的に反応を返すと、リボーンくんはソフトハットを押し上げてクリンとした大きな瞳で私を見た。真っ直ぐすぎるほどに真剣な視線は、私の声を詰まらせるには十分で、思わず何もやましい気持ちがあるわけでもないのに息を呑んでしまう。
「はこれからどうするつもりだ」
「そう…だなぁ。さっきも言ったけど、やっぱりツナの迷惑にならない範囲で""のふりをしようかなって、思ってる」
「"ふり"、か。わかった。それなら、おまえの両親にはオレの方から連絡しといてやるぞ。おまえが思ってるとおり、オレ達に無関係なわけじゃないからな」
「そうしてもらえると、嬉しい。…やっぱり、いきなり赤の他人から手紙を貰ったら、彼女のご両親も困るだろうし」
私の言葉に、リボーンくんはさっきとはまったくニュアンスの違う長い溜め息を吐く。今度の溜め息は「何言ってんだ、こいつは」って聞こえた(気がした)
さっきの私の発言の中に、何かリボーンくんを呆れさせるようなことがあったんだろうか。二度、三度と瞬きをしてリボーンくんの反応を待っていたら、今度は舌打ちまでされてしまった。
「あ、あの…私、何か変なこと、言った?」
「おまえがそー思うなら言ったのかもな。だけど、今はオレからは言えねーんだ」
「え、ちょ…それって、どういう」
「悪いな、。まあ、おまえは特に考えずに、おまえらしく行動してれば問題はねーと思うぞ」
「私、らしく?」
「そうだぞ。それからな、」
窓辺でくるりと踵を返し、リボーンくんは私に背を向ける。
この光景を、私は知っている気がした。月明り、小さな誰かの背中、シルエット。
それから、何が共通しているわけでもないのに小さなリボーンくんの姿に、夕刻見たツナの姿が重なった。お帰り、と言ってくれた彼のためにできること。それが、"私らしく"あることだと、リボーンくんは言うのだろうか。""らしくではなくて?ぐるりぐるり、頭は今にもショートしかけだ。
けれどリボーンくんには、私の頭を休ませるつもりなんて更々ないらしく、背を向けた姿のままで闇夜に向かって言った。
「一番信じてねーのは、おまえの方だぞ、」
彼の去った暗い部屋で、私の頭の中には彼の言葉だけが延々と響いていた。
一番信じていないのは ―――――――― 私、なのだろうか。