rincontrare







 ピンポーン


「は、はーい!」

返事をしたあとで、居留守を使うっていう選択肢もあったなとほんの少しだけ後悔した。
だけど、後悔したすぐあとで、反射的にでも返事が出来て良かったと思った。
今ここで、家に引きこもって何もかもなかったことだと思いこむのは簡単かもしれないけれど、目の前にあるものを否定してもきっと何も変わらない。
なんて、格好良いことを考えたのは頭の中のほんの小さなスペースで。本当は、誰かにただ、触れたかったんだと思う。

それがたとえ、私の知っている人でなくても。
たとえば、いつもこっそりと不器用に慰めてくれた、でなくても。

握り潰したままだったファックス用紙をトレーに戻して、立ち上がる。いつのまに座りこんでいたんだろう。自分の行動にも気付けないなんて、私はよっぽど、参っているみたいだ。

電話台から目と鼻の先にある玄関の扉は、茶色い木製の造りをしていた。小さい頃に住んでいた山形の家のドアと少しだけ似ている。
なんとも言えない懐かしさを感じながら、置いてあったサンダルを履いてドアノブに手を伸ばす。ひんやり、冷たいはずの取っ手は妙に温かくて、何故だか私はほっとしていた。
鍵はかかっていない。ドアノブを回せば、引っ掛かりなく留め金が枠を外れる音がした。

ドアの向こうには、想像どおりの彼がいた。


「あ…あの」
「…沢田、ツナ…ヨシ?」
「っ!そ、そうだよ!なんだよ、その反応!一年半くらいで忘れるなよな!!」


違うよ。一年半じゃない。私と貴方は初対面だよ。
口から飛び出しかかった言葉を必死に飲み込んで、自分と大して目線の変わらない彼を見た。柔らかな色をした髪が、目にとまる。そういえば、の髪もこんな色をしていた。黒髪だらけの日本人の中でやけに浮いていて、小さい頃はよくからかわれていたっけ。

「……?」
「ごめん、ツナ。忘れてなんかないよ。ただ、思ったより大きくなっててびっくりしただけ」

不思議なくらいにするりと言葉が出てきたことに、びっくりした。
嘘を吐くことに躊躇いがなかったわけじゃない。だけど、こんな私の物言いに沢田綱吉くんが安心してくれたことが(ということは、この家に住む""は彼のことを"ツナ"と呼んでいたんだろうか)彼を傷つけずにいられたことが、嬉しかった。
私は彼のことを知らない。
だけど、彼は私のことをこの家に住む、一年半ぶりに再会する幼馴染の""だと信じて疑わないから。
言えるわけ、なかった。
私は、違うって。あなたの望んでいる少女は、私なんかじゃないんだって。
そう、私に思わせてしまうくらいに目の前の少年は、倖せそうに笑っていたから。

「…でも、ツナだって最初呆けてたよ」
「そっ、それは…がなかなか出てこなかったから」
「あー実はちょっと寝ちゃってて。やっぱり、帰ってきたばっかりで疲れてたみたい」
「え、じゃあ片付け全然済んでないの?夕飯の準備とかは?」
「うん。まだダンボール箱のまま。夕飯もどうしようかなって」

そう言うと、沢田綱吉くんは誰が見ても解かるくらいに頬を緩めて、息を吐いた。

「母さんがを夕飯に誘ってこい、って」
「奈々、さんが?」
「うん。母さんもが帰ってきて嬉しいんだよ。なのに、昼間顔見せに来なかったろ?片付けが大変なんじゃないかって、心配してたんだ」
「そ、だったんだ…」

素で優しい人って、きっとこういう人のことをいうんだろう。コミックの中、紙の上で動く彼を見ていたときから思っていた。頭もあまり良くなくて、運動神経も鈍い。運も良い方とはきっと言えないだろうし、頼まれたら断れない性格の所為で(確かマフィアのボスの中で一位だったはずだ)損ばかりしてるんだろう。
だけど、沢田綱吉と言う人は、きっとそんなこと本当は気にも止めていないんだろうなって思った。口では沢山文句を言って、平凡な毎日を望んだりしているけれど、結局彼は最終的に自分で困難な道を選びとっていたから。

心の底から本気で""を心配して、本気で嬉しいと思ってくれている彼を、謀っていることが哀しかった。
どこまでも普通で、だけど世界で一、二を争うくらい優しい人に嘘を吐いている自分が無性に汚いもののように思えた。

?」と黙ったままの私を気にして、沢田綱吉くんは心配そうに彼の幼馴染の名前を呼ぶ。ここにはいない、私じゃない女の子の名前。痛い。その事実が、信じられない鋭さで胸に突き刺さる。夢とも現実とも取れない世界にひとり放り出されたこととか、の携帯番号に知らない人が出たことよりもずっと、衝撃を受けている自分に気付く。

私は彼に、どれだけひどいことをしているんだろう。

…?」
「…いきなりお邪魔して、迷惑じゃない?」

尋ねると、それまでの表情を一変させて沢田綱吉くんは大慌てで首を振った。ついでに手まであわせで振っている姿は実に大げさで、妙に面白くて笑ってしまった。

「わっ、笑うことないだろ!」
「ご、ごめっ。でも、あんまりツナが大げさだから。
 じゃあ、お言葉に甘えてご相伴に与ろうかな。今、散らかってるものだけ片付けたら行くから、ツナは先に戻っててよ」

確か沢田綱吉くんの家は隣だと、さっきのファックスに書いてあった。右か左か正面かまではわからないけれど、それくらいならひとりでも探せるはずだ。
なんて一瞬考えたことは顔に出さずに「十分もかからないと思うから」と言えば、沢田綱吉くんは「手伝わなくて大丈夫?」と言ってくれた。もともと演技派でもないし、現状に必死でしがみ付こうとしているだけの私には、そのちっぽけな優しさが痛くて、ちょっとでも気を緩めたらさっき誤魔化したばかりの泪が溢れてしまいそうだった。

だけど、ここで泣くわけになんかいかない。彼に見えないよう手の平に爪を食い込ませて、大丈夫と短く応える。

「心配してくれてありがと。ツナはやっぱり優しいね」
「バッ…!変なこと言うなよな!!」

本心だったのに沢田綱吉くんは照れてしまったのか、ぷいと背中を向けて門の方へ向かってしまった。
そのまま帰ってしまうのかと思ったら、唐突に彼の足取りが止まる。
夕焼けに染まった世界の中で、ゆっくり振り返った沢田綱吉くんの顔はわずかに赤く染まっているように私には見えた。それが光の加減の所為なのか、それともまったく違う彼自身によるものなのかまではわからない。ただ、さっきガラス窓越しに見た庭と同じで、朱色に染まった彼が綺麗だなんて、こんな状況で考えてしまう。

沢田綱吉くんは、右手を門にかけたままの格好で私に手渡すように丁寧に短い言葉を紡いだ。



「おかえり、



ガシャン、思い切り門が開いて閉じて、沢田綱吉くんの姿は消えてしまった。
ドアを手で押さえたまま残された私は、あんなにも必死に言い聞かせていたのに結局それを守ることができずにいた。

泪が溜まって歪んだ視界をTシャツの短い袖で乱暴に拭ったら、やっぱり瞳が痛かった。



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※再会。やっとツナが…!