「うー…」
ぼんやり、頭が寝ているようで起きているような。
どっちだよ、と突っ込まれてしまいそうな言い回しだけれど、実際問題そんな感じだった。体はうまく動かないけれど、なんとなく意識は浮上し始めている。典型的な寝起きパターンだ。
ふかふかと、押せば弾力を返す頭の下の柔らかな感触にもう少し寝ていたいという感情と、でもそろそろ起きなくちゃと急かす理性が仲違いをしていて、結局目蓋を閉じたまま手足だけをもぞもぞと動かしてみる。この時間がなんとも気持ちいいんだよね。あーもう少し、このまま寝ていたいなあ。
もぞもぞ。柔らかな感触を確かめるように体を丸める。
………。
あれ?
「んー?」
頭の下には柔らかな感触。
体に優しくない体勢で寝ているときに起こる特有の節々の痛みは一切なく、むしろ寝心地が良すぎて起きるのが億劫になるくらいの気持ちよさ。
…あれ?私、さっきまで列車の椅子で寝ていたんじゃなかったっけ?
いったいこの違和感はなんだろう。
わけがわからないまま、本能に任せて柔らかな弾力の上をごろりと転がってみた。
ごろごろ、どすん。
「うぎゃ!」
予想だにしていなかった衝撃に、眠気と言う微温湯の中に浸っていたはずの意識が一瞬にして引き揚げられる。予想外の衝撃は、腰と頭、それから背中に走った。耐え切れないほどではないけれど、それなりに痛い。以前、寝ぼけて部屋のベッドから落ちたときの痛みに似ていた。というか、まさにそれだ。
鈍い痛みが一番残る腰に手を当てたまま、閉じっぱなしだった目蓋を開けた。列車の椅子から転げ落ちるなんて、私ってばいったいどんな寝方をしていたんだろう。今後こんなことがないように、しっかりと状況把握をしておかなくちゃ。そう思って、ぱっちり開いた眼で自分のいる状況を眺める。
「………は?」
ごしごし。
ついさっき、泪を拭ったときと同じように目をこする。
それから、恐る恐るもう一度眼を開けた。
そこには、人がひとり寝るには十分な大きさの、柔らかなベージュ色のソファーがあった。
「ソ、ファー?」
ソファー。ふかふかなクッションの入った、洋風長椅子、だったはず。
中学生のころ、学校の応接室に黒くて寝心地よさそうなソファーがあったのを目撃したときは、ぜひ我が家にも一脚!と思ったけれど、部屋のサイズの問題から結局叶うことのなかった願いの対象であるソファー。
手の平で触れてみるとやっぱりそれは柔らかくて、押すと適度な弾力が返ってくる。中々質がよさそうなソファーだ。色合いも私の好みにぴったり。
いや、違う。今はそんなことを考えてるときじゃないってば。
「な、なんでソファー?」
なおもソファーの柔らかな感触を楽しみながら、自分があるべき先ほどまでの状況を必死に思い出す。
ひとつ。私の名前は、二十四歳。女、独身。現在、某病院にて薬剤師として勤務中。それは間違いないはずだ。とりあえず、記憶喪失というわけではないらしい。
ふたつ。私は、土日と有休を使って田舎の山形に帰郷して、三年前に亡くなった両親の墓参りをしてきた。二年ぶりに帰った地元で、のお母さんの手料理を食べた。は小さい頃からの幼馴染で、今は付き合っている男性、つまり世間一般に恋人と呼ばれる対象だ。夕飯は確か、初秋だというのにきりたんぽ鍋(しかも県が違うのに!)だった。私が小さい頃、きりたんぽが大好きだったのを憶えていてくれたのだ。うん、これも間違いない。
そしてみっつ。私は、山形からの帰路、鈍行列車に揺られていた。はずだった。
「ここ…列車?」
ぐるりと頭ごと動かして、自分の周囲を見渡す。
ソファーが置いてあったのは、広さにして二十畳ほどはありそうなリビングらしき部屋だった。ソファーの前には脚の低いテーブル、その先には家族で観るような大きめのテレビが置いてある。テレビの横には、引越し屋のマーク(見たことのない社名が書いてある)がついたダンボール箱が幾つも積み重なっていて、広い室内の中で妙に異彩を放っていた。
もう少し視線を動かせば、カウンターのついたシステムキッチン(しかも綺麗!)が眼に飛び込んできた。カウンターの横には椅子のついた食事用のテーブルもある。
…どう贔屓目にみても、さっきまで私が乗っていた列車ではない。というか、列車ですらない。明らかにどこかの家の中だ。
「…いつの間にか、帰ってた、とか…」
ありえないと解かっていながら口に出して、やっぱりありえるわけがないと首を振る。
大体、私が住んでいるのは勤務先から徒歩十五分の所にある、1DKのマンションだし、一番広い部屋でも十畳しかない。の住んでいるマンションも、同じくらいだったはずだ。
それなら、古典的発想だけれど、これは夢っていうオチだろうか。
だけど、それについて考えたのもやっぱり一瞬で。
指に触れる柔らかな感触が、今もまだ痛みが残る腰が、淀みなく鮮明に思い起こせる記憶が、頭の中だけで創られる空想の世界である可能性を容赦なく否定する。
「……は、はは…」
だらしなく開いているであろう口からは、格好悪くも乾いた笑いしか出てこなかった。
目の前の、状況がなにも見えない。ここがどこで、今がいつなのか。誰が私をここにつれてきたのか。――――――― これは、現実なのかさえ。
思考回路がぐるぐると、永遠に回り続ける無限ループに嵌まりかけているのがわかる。ダメだ、こんなことじゃ。とにかく一度、冷静になろう。どんなときでも感情と理性を両立させてこそ人間。これはの口癖だ。お父さんとお母さんが死んだとき、あいつは何度も何度も言い聞かせるように私に繰り返した。
大きく頭を振って、息を思いっきり吸い、それから吐き出す。
二度、三度と繰り返していくうちに、大分落ち着いてきたかな、と自分を見つめることが出来たのを確認して、ソファーについた手に力を込め立ちあがる。
ここがどこで、今がいつなのか。
わからないなら、調べればいい。
心のうちで小さく意気込んで、大丈夫だと自分自身に呟いた。