きみに心を寄せたとき



医務室のベッドの上で小さな寝息をたてる少女は、時折思い出したように呻き声をあげる以外は特に目立った外傷もなく、穏やかに眠っているように見えた。
船に引き上げたときには真っ白だった頬にも赤みが戻ってきていて、震えていた肌も今では人並みの温もりを取り戻していた。懸念されていた体調も、医学の心得があるものの診断によれば問題がないらしく、あれだけ体が冷え切っていたにも関わらず熱が上がらなかったのは幸いだったと言えるだろう。

(この様子なら、ラズリルに戻る前には話が出来るようになるかな)

傍らの椅子に腰を下ろして彼女を看病していたは、額に触れていた手に伝わってくる彼女の体温を確認して思った。

、入るよ」
「あ、うん」

聞きなれた呼び声に反射的に返事をすると、建てつけの悪い船の扉がぎしりと音を鳴らしてゆっくりと開いた。
扉の向こう側にいたのは予想していた通りの人物で、は柔らかく微笑んで頷く。後ろ手で扉を閉めたスノウにはそれで少女の状態が理解できたらしく、固かった表情を弛めての隣に並んだ。

「よかった…もう、大丈夫みたいだね」
「うん。心配してた熱も上がらなかったし、あとは目を覚ましてくれれば安心だと思う」

少女の看病は、演習船に監督として乗り合わせていた先輩騎士の指名で、彼女を発見したとスノウのふたりに一任されていた。訓練中の航海だったため、乗組員の人数は通常の航海よりも多く設定されている。だからこそそうした判断ができたのだろう。
毛布に包んだ少女を抱きかかえて医務室に連れて行こうとしたとき、先輩からそれを告げられたは心底嬉しかった。別に訓練をサボりたかったわけではないのだが、彼女の容態はやはり気になったし、何より彼女が目を覚ましたときに出来る限り傍にいてあげたかったのだ。たとえそれが自分でなくても構わなかった。正直なところ、指名されて「やった」と思わなかったわけではないが、1番強くあった感情は彼女をひとりにさせたくないというものだった。

「…この子は、平気かな」

ぽつりと零れてしまったのは、まさしくの本音だった。彼女をひとりにさせたくないという感情にも繋がる、彼の遠い記憶の片隅に居座るいたい想い。
重ねてしまっている。
それが良いことではないのだと、は気付いていた。けれどどうしても彼女を他人と切り捨てることなどできなくて、はまだまだ未熟な自分に息を吐く。
それに気付いたのか、少女に目を向けていたスノウが言った。

「心配ないよ、。そりゃ、嵐にあって船が難破してしまって…簡単に大丈夫なんて言えないだろうけど、今この子は僕たちの船に乗っているんだ。ガイエン騎士団は漂流者を無下にしたりはしない。そうだろう?」
「うん…そうだよね」
「グレン団長には僕がちゃんと上手く伝えるよ。だから、心配することはないさ」

朗らかに笑うスノウに、は同意するように深く一度頷いた。
スノウが言うように、自分の所属するガイエン騎士団やラズリルが彼女を突き放すことはないのだと、にもわかってはいた。彼らを率いるグレン団長だって、彼女に出来うる限りのことをしてくれるだろうし、スノウが頼めば領主のフィンガーフート伯だって多少は気にかけてくれるだろう。
そう ――――― ほかでもない、にそうしたように。

が目の前の少女を必要以上に気にかけてしまうのは、かつての自分とひどく境遇が似ているからなのだろう。
船の難破。ただひとりの生き残り。すべてを喪って、に残ったものは自分の身体ひとつだった。
がラズリルに流れ着き拾われたのは、彼がまだ物心つかない幼い頃だ。そのため、当時の記憶が完全に残っているわけではない。けれど頭に焼き付いて、忘れられない思い出も確かにあるのだ。自分がなにもかもを失くしてしまったのだという実感は、幼子だったにも何故かしっかり理解できた。それまでの日常が奪われ、これからがなにひとつ見えなくなってしまった瞬間。それから、差し伸べられた手と、与えられた居場所を、は今でもちゃんと覚えていた。
自分の母の顔が父の姿が思い出せなくとも、ラズリルのが生まれた日だけは決して忘れないのだろう。それがにとっての誇りであり、自分がである証でもあった。

(この子も…俺と同じように、思えたらいいな)

彼女と自分とでは、境遇が違うことはわかっていた。のようにラズリルを誇りに思うことも、拾われて育てられたことに強い恩義を感じる必要も、きっと少女にはないだろう。けれど、それでも同じだと、は思った。

何もみえない恐怖心。
困惑とともに生まれる不安。
そして、それらを拭い去る唯一の、やさしさ。

自分の手で、簡単に抱えられるくらいに華奢な少女の寝顔を眺めたまま、はぽつりと呟いた。

「…目が覚めてもこの子が、寂しくならないといいね」

そのために僕らがここにいるんだろう、とあっさり返事を返したスノウに、はもう一度大きく頷いた。
目を覚ました彼女が感じる寂しさや不安が、少しでも拭い取れるように。
少女の不思議な色の瞳が再び開いたときには、きっと傍にいてあげられるようにしたい。

そんな彼の感情を知ってか知らずか、眠るの口元が、ほんの少しだけ綻んだ。

 

  
  うちの4様は2歳前くらいでラズリルに流れ着いた設定です。
  拾われてすぐにスノウと遊べた方が、小間使いになるかなーと常々思っていたんですよね。
  そのくらいで混乱してたら、自分の名前は言えないと思うのですが…実際はどうなんでしょう(汗)