運命は時として非情なまでに残酷なのだということ



"そこ"は暗くて、眩しかった。
あたりになにがあるのか、ひとつたりとも認識することの出来ない上下も前後もわからない場所では目を閉じていた。目の前にあるのは瞼の裏に広がる深淵だけであるはずなのに、何故か認識できてしまう真っ白な閃光。
"そこ"にはやみがあるのと同時に、当たり前のようにひかりがあった。

(ここは いったいどこなの?)

それは当然の疑問であるはずなのに、にはそれを口にすることができなかった。どうして、どうしてなんだろう。そればかりが頭を巡った。どうして自分は、"ここ"を知っているのだろう。真っ暗で眩しくて、冷たくも温かくもない"ここ"を、なぜかは知っていたのだ。
けれどそれを受け入れることも納得することも出来ずに、はさらに固く瞼を閉じて耳を塞いだ。
しかし自分は本当に瞼を閉じているのだろうか。耳を塞いでいるのだろうか。本当は"ここ"には何もなくて自分の姿さえも存在していないのではないだろうか。
自身の存在さえ、感覚さえもままならない中では在るのかすらわからない両腕を必死で伸ばしていた。それが何かを掴むことは決してなかったけれど、それでもただひたすらには手を動かし続ける。
けれど、いくら辺りを探しても何も見つけられないひかりとやみのなかで、は無性にかなしくなって、ぽとりと1粒滴を零した。
滴は大地とも空中とも取れぬ場所で弾け飛び、の世界に再び色が舞い込んだ。

 さあ、今度こそ間違えずにいってらっしゃい。

最後まで瞼の裏に残っていたおおきなひかりとやみが、とけてゆくまでずっと自分を見送っていた気がして、佐倉は重い瞼を開けた。





「あ」

人の住む世界に自分がようやく戻って来られたことにが気付いたのは、自分のものとも友人のものとも違うソプラノの声を聞いた瞬間だった。
聴覚をはじめに、ひとつまたひとつと戻ってゆく感覚を確かめて、ゆっくりと眼球を動かす。ぼやけていた視界に繊細な色と形が戻ってくるまでには少し時間がかかった。けれど、徐々に回復してゆく世界への安堵感のほうが大きく、天井と思しき木目を認識できたときには思わずほっと小さなため息がこぼれでた。
が、その直後こげ茶の視界を追いやって現れた少女の顔に、は吐き出したはずの空気を思い切り呑み込んでしまった。

「あ、え?」
「気が付かれたんですね!よかったー!!痛いところとかないですか?あっ、意識ははっきりされてますか?」
「あ、あの…」
「はっ!まさか記憶喪失とかそういうのはないですよね?!えっと、自分の名前、思い出せますか?ていうか名前って言葉の意味、わかりますか?!ちなみにぼくはファラといいます!」

にぱっと効果音でもくっ付いてきそうなくらいに思いっきり笑って捲くし立てる少女(「ぼく」と言っているが、顔立ちといい声といい間違いなく女の子だろう)には目をぱちくりさせて応じる。
ファラと名乗った少女は、よりも2つ3つ幼く見える丁度高校生くらいの女の子だった。くるくると変わる表情も喋る言葉もが良く知るものとなにひとつ変わらない。けれど、それが逆に違和感を生み、は目の前の少女の顔を失礼とは思いつつもマジマジと眺めてしまった。

(銀髪…なんだよね。それに、瞳の色が)

まるで血を思わせるほどの紅。ある種の不吉を歓呼させる色彩に、なぜかは見惚れてしまった。深くどこまでも澄んだその色は、紅石榴のようにも見える。背中に伸びた髪も、宝石店に並んでいる指輪のように輝く銀色で、これまでが見たことのあるどんな宝石や天然石よりも美しい輝きが、そこにはあったのだ。

「…あの、やっぱりどこか、痛みますか?」
「いっ、いえ!大丈夫です!!」

を覗き込んでいた体を起して不安げに眉を寄せるファラの沈んだ声を聞いて、はたとは自分が名前を問われていたことを思い出した。
それなのに今の態度ときたら!自身の行動を思い返して、顔から一気に血の気が引いていく。慌ててその場から身体を起こすと、は思い切り頭を下げた。

「失礼な態度を取ってすみませんっ。私は、と言います」
「いえいえいえ!気になさらないでください。ぼくの方こそいきなり色々たずねてしまって…!
 さん、と仰るのですね。よかった、意識ははっきりされているみたいですね!」

そう言って思い切り息を吐いたファラを見て、やはりはさっきまでの自分の態度があんまりだったことを再認識した。今、自分が寝ている場所は間違いなくどこかの民家のベッドの上で、意識が途切れる直前に倒れこんだ泥濘の中でないことは明らかだった。ということは、彼女あるいは彼女の知り合いがを見つけここまで運んでくれたということで。言い換えればそれは…

(助けて…もらったんだよね)

よくよく自分の姿を見てみれば、あんなに泥だらけになっていた白のワイシャツとスーツから、荒い布地で出来た服に着替えている。汚れていた手もしわがはっきりと見えるくらい綺麗に洗われていて、湿った森の中を必死で駆けていた記憶さえも夢であったかのようだった。

「あの…私、どうやってここに」
「えっとですね、さんは村の近くの森で倒れていらしたんですよ。始祖様とヴィッツさんが見つけられて、こちらに運んできたんです。ヴィッツさんのお話では外傷はない、とのことだったんですけど…さん、1週間も目を覚まされなかったので心配していたんです」
「1…週、間?」

「そうなんですよ!」と大きな身振りで語ったファラは、テキパキとした動きで部屋のすみに置いてあった椅子をベッド脇に置くと長い銀色の髪を翻して部屋の扉の方へと足を向けた。

「目を覚まされたこと、始祖様にお伝えしてきますね!まだベッドから起きたりしては駄目ですよ。安静にしていて下さいね!!」
「あ、……行っちゃった」

本当はもっと聞きたいことがあったはずなのにな。
引き止めるためだったのか、反射的に伸ばしかけた腕を布団の上に戻してはもう一度自分の手のひらを眺めた。

「あれ…?」

もともとがインドア派で中高共に文科系の部活に入っていた所為か、色白と称されやすい薄い肌色の見慣れたはずの手のひらをはまじまじと見つめる。大きな傷もなければ、おかしな手相があるわけでもない極々普通の手のひら。だったはずの場所に、いつの間にか妙な図形が描かれていたのだ。
正三角形を3つ重ねたような形をしたそれは、9つの点とそれを結ぶ9本の線で構成されていた。細い黒で画かれた図形は刺青のようにの両手のひらにしっかりと刻まれていて、指でこすってみても消えるどころかかすれる気配すらみせなかった。

「何これ…」

手のひらに刻まれた見知らぬ印に首を傾げていると、カチャリと軽い音を鳴らしてドアノブが回される。押し開けられた扉の隙間から垣間見えた光よりも輝く白銀色に、の瞳は縫い付けられるように惹きつけられた。

 

  
  さん、混乱中ですパート2(笑)