そう言えば、最初に手紙を持ってきたのも、猫だったっけ。
自分の耳に生えてるものといい、道案内をしてくれた子といい、ずいぶんと最近の私は猫と縁があるんだなあ、なんて。微妙に見当違いのことを考えてしまった。
目の前の、夜闇に混じる黒猫を見つめながら。


「つくづくこの学校の生徒は、変わり者が多いのね」

しゃらんと、風鈴がなびくみたいな声だった。とても綺麗で魅力的で、もっと聞いていたいと、耳を澄ませたくなるような。魔法の音。
しゃがみこんだ私よりも低い目線の彼女(だと思う)は、すごく落ち着いた態度で私と圭介に一歩、また一歩と近づいてくる。近所でよく見る、大人の野良猫より一回り小さくて、すらりとした四本の手足と、暗闇の中でも鈍く輝くキラキラしたライトグリーンの瞳が印象的。下手したら血統書でもついてるんじゃないか、って思えるくらいの綺麗な子だ。
思わず言葉をなくして見蕩れてたら、圭介がすっとんきょうな声をあげた。

「おっ、お前、この猫の言葉……解るのか!?」
「…なに言ってるの、圭介」

解るも何も、普通に私たちと同じ言葉で喋ってるじゃん。さすがに英語とかイタリア語とかで喋られちゃったら私じゃ手も足も出ないけど。

「そう意味じゃないのよ。私の声、人間の言葉じゃないから」
「えっ?」

猫さんがさも当然と口にした言葉の意味が、日本語なのに理解できない。人間の言葉じゃないって、どういうこと?だって、普通に日本語で喋ってるとしか聞えないでしょ。

「その坊やには、ただ猫が鳴いてるようにしか聞こえないの。そう言うものなのよ、普通はね」
「そ…そうなの、圭介」
「そうなのって、なにがだよ」
「だから、この猫さんが言ってる言葉、わかんないの!?」
「俺にはにゃーにゃーとしか聞こえない」

ほら、言ったでしょ。
すぐそばで、腰を落ち着けた猫さんが言った。もちろん「日本語」で、だ。にゃーにゃーなんて、聞えるわけがない。
だけど、だけどそう言われてしまえば、納得できる部分がないわけじゃなかった。猫さんに「ダメな少年」と突っ込まれたのに、なんの反応も示さなかった圭介。薬術学のときだって、私にしか聞えない声がした。あれも今と同じことが起こっていたのだとしたら、圭介の今の反応も少しだけ納得ができた。他の人には別の音に聞えるけれど、私には声に聞こえるもの。そんな不思議なものが、あるんだって。でも…でも、それって ―――――


「それって、どういう…こと?」


私にしか聞こえない?なにそれ、なんで?だって私は、ベアリエントなんでしょ?それで、ここにいる他の人だって、ベアリエントなんでしょ。それなのに、みんなにもできないこと、なんで私にだけできたりするの?
どれだけ過去の記憶を引っくり返してみても、今までの私にそんな要素は欠片もなかった。普通に外で鳴いてる猫の声は「にゃー」に聞こえたし、理科の実験中だって変な声が聞こることなんてなかったし。こんな風になったのって、いったい何時から?猫耳が生えたとき?ううん、違う。あのあとだって、ちゃんと猫の鳴き声が聞こえてた。だったら、だったら何時だろう。私が ―――――― この学校に、来てから?

「まあ、理由は解らないけど。ときどきいるのよ、そういう子」
「………」
「おい、。この猫、なんて言ってるんだ?」
「え、あ…と」
「ちょっと待って。今、その坊やにも解る言葉で話すわ………確か…こんな、感じだったかしら?」
「!! ま、まじで喋ってる!!」

しばらく口ごもった猫さんは、今度は圭介にも解かる「日本語」を口にしてくれたらしい。でも、正直言って私には違いがさっぱりわからない。だって今の言葉もその前も、私にはおんなじ「日本語」にしか聞えないんだから。声音も、口調も、なにひとつ変わらない。私からしてみたら、思いっきり驚いてる圭介に驚きたいくらいだ。

「すげー…俺、喋る猫なんて初めて見た」
「別に、長いこと生きていれば難しいことじゃないわ」

猫さんはちょっぴり照れたのか、長い尻尾を身体に引き寄せて首をくるりと横に向ける。人間で言うところの「そっぽを向く」仕草に似ていえた。
そんなひとつひとつの動作が、なぜか額に縁取られた絵画みたいに綺麗にみえた。昔お母さんに連れて行ってもらった展覧会の、一瞬を捉えた写真にも似てる。身体から滲み出る、自然な気品とでも言うのかな。うまく言えないけど、なんだかすごく不思議な感じ。胸のあたりが もやもやして、だけど妙にあったかっくてドキドキしていた。

「長いことって…猫さん、どのくらい生きてるんですか?」
「レディに年を聴くのは失礼だって、教わらなかったかしら?」
「え、あ。す、すみませんっ」
「まあ、良いわ。そうね…もう、どれくらいになるかしら。今の私だけでも百年は数回軽く超えたとは思うけれど」
「ひゃ…」
「ひゃくぅっ!!?」

思わず、圭介と一緒に素っ頓狂な声を上げてしまいまいた。
ていうか、百だよ、百!!猫の寿命って普通どれくらい?人間より、短いのが普通じゃないの?しかも数回軽く超えた、ってことは…

「もうすでに、数百歳…」
「ずいぶん、長生きな猫だな」
「失礼ねぇ。昔逢った坊やは、もっと紳士的だったわよ。歳なんて尋ねてもこなかったし」
「昔…えっと、猫さんはずっと昔から、この学校に住んでるんですか?」
「ベルよ」
「えっ?」

猫さんの、草色の瞳が私をサクリと切り裂いた。猫の眼って丸いくせに鋭いんだなあ、とは常々思ってたけれど、睨まれると本当に何かが刺さったみたいな感じがするんだ。太くて長い針が、体の中心を通ってる。そんな気配が、ひしひしとした。猫さんは、冷ややかな声で言った。

「私の名前はベル。猫さんなんて呼ばないでほしいわ」
「ベル…さん?」
「そう」
「…私、はですっ、。この学校の一年生で、鳴神寮で過ごしてます」
「俺は山口圭介。佐保姫の二年」
…に、圭介ね。覚えたわ」

満足そうに、ほんの少し嬉しそうに猫さ…じゃなかった。ベルさんは瞳を細めた。微笑むベルさんの表情は、猫だと言うのに感情に溢れていて、本当に猫っていうのが嘘みたい。喋れる猫さんは、もしかしたら猫よりも人間に近いのかもしれない。

「ところで、そのと圭介はどうしてこんな夜中にこんなところにいるのかしら?もうとっくに、学校の消灯時間は過ぎているのでしょう?」
「なんでって…私は、その…」
「ちょっとした散歩だよ。今から俺がこいつを送ろうと思ってたとこ」

ベルさんからの問いかけになんて答えようか、頭がぐるぐる発熱しそうになるくらい悩んでたら、横から圭介がさらりと言った。それも全然嘘っぽくなく、自然にだ。何その演技力。変なところで妙な特技を目撃してしまった気分だ。
ベルさんは私と圭介を数回見比べると、何か納得したように「なるほどねぇ」と呟きを落とす。…この猫さんも、本当になにを考えているのかわからないなあ。いったい何を納得しているんだろう。

「まぁ、いいわ。でも、坊や。貴方はもう自分のお部屋に帰りなさいな。毎晩ご熱心なことだけど、探し物はこんなところにはないわよ」
「―――――なっ?!」
「この子は私が送るわ。消音の呪文をかけてちょうだい」

何故か、その瞬間ベルさんがニヤリと三上さんのように笑った気がした。

「…知ってたのか。くそっ」

なんだか意味のわからない悪態を吐いて、圭介は首に下げた革紐を手繰り寄せ、先についてた人差し指くらいの短い枝を手に持った。枝は数字の九みたいな形に曲がっていて、紐をその円の部分に通しているみたい。なんだろう、あれ。なにかのお守りとか?

「坊やはそれが媒体なのね。もしかして…"降魔の樹"の枝かしら?」
「…ずいぶん物知りな猫だな」
「長く生きることはそれだけで価値があるけれど、私の場合はそれ以上に意味があるのよ。新入生の坊やにしては珍しい物をもっているのね。それじゃあ、よろしくね」

ベルさんの言葉に観念したのか、圭介は大きなため息を吐いてからその小さな枝を握ってぼそっと何かを呟いた。
それを合図に、周囲の風が一気に圭介の手の中に集まって小さな枝だと思ってたものが、徐々に徐々に大きくなっていく。気がついたときには四十センチくらいの長い棒に変わっていた。…これも、魔法ってやつなのかひら。

「さて、と。、ちょっとこっちに…」
「なになになに?」
「……そのまえにお前、これ着てろ」
「はえ?」

ばさっ。
一瞬、もともとよくなかった視界が真っ暗になった。
慌てて目の前を手繰ってみれば、なんと私の視界を遮ったものの正体は、


「あ……上、着?」


さっきまで、圭介が羽織ってたはずの長袖ジャージ。暖かくなった私の代わりに圭介は、さっきまでの私と同じ、肌寒そうな半そでシャツで、照れくさそうに顔を赤く染めていて。
…ちょっと、どころかめいっぱい、嬉しい気持ちがあふれてきてた。

「けいすけぇ」
「なんだよ」
「ありがと」
「と、とっとと着ろよっ。ほら、魔法もかけてやるからっ!」

またまた圭介は照れたのか、早口になりながらもしっかり私に消音の魔法、ってやつをかけてくれた。どうやらさっき現れた棒は杖の代わりみたい。私も魔法学実技の授業を受けたらもらえるのかな?
待ちくたびれたベルさんに促されて、そのあとすぐに圭介とは別れちゃったけど、満月の晩にしては珍しく、とても素敵な出会いだな、なんて思ってみたり。…正確に言ったら、今日が出会いじゃないんだけどね。でもでも、前回は自己紹介もなんもできなかったし。やっぱり第一印象なんて、あんまりあてになんないんだなあ。そしたら、やっぱり、若菜結人も違うのかな?あいつとも仲良くなれたら嬉しいのに。恵人さんとか英士くんとかと一馬くんとかと、みんなで仲良くできたら、嬉しいのに。

「なにを、にやけているのかしら?」
「え…?私、今にやけてました?」
「ええ。よっぽど、その上着が嬉しかったのかと思ったわ」

思ったよりも足の速いベルさんは、私の少し前をすたすた優雅に歩いている。
上着、嬉しかったのは事実だけど、今にやけてたのはたぶんそれとは違うんだろうな、って思った。

「……あら?」

なんて言ったらいいのかな。今のにやけは、若菜結人をふくめてみんなで仲良くご飯食べてたり、並んで授業受けたり、なんて構図を想像しちゃったからで。そりゃ、上着もすごく嬉しかった。でも、それも全部混ぜこんでの倖せを想像しちゃったんだと思う。圭介から借りた上着もあって、若菜とも笑いあえて。なんて、贅沢かなあ。みんなで仲良くできたら嬉しいのに。

「ねぇ、ちょっと。あそこ、貴女の部屋の窓じゃなくて?」
「へへへ…」
「ほら、ねぇ」
「あ、はいっ?な、なんでしょう!?」
「あそこが、貴女の部屋でしょう?」

いつの間にか立ち止まっていたベルさんの前足(手なのかな?)がさしていた方向には、夜の中でみると少し違って見える鳴神寮があった。そして、ベルさんの指の先はつい先ほど後にした私の部屋の窓を指していて。
でも…そこは私が出てきたときとはちょっとだけ、違っていた。

「あ…れ?」
「どうやら、私はお邪魔みたいだからここで帰るわね」

またね、って言ってベルさんは元きた道を音もなく戻っていく。
残された私の足は、自然と窓の方へと向かっていた。

私が出かけたときは、絶対近くにいなかったよね。
あれから、どれくらい時間がたっちゃったんだろう。
もしかして、すれ違いだったのかな?いっぱい、いっぱい待っててくれたのかな?
部屋の窓の下、しゃがみこんでる黒い影。遠目からでは解らなかったけど、ここまで近づいたらもう誰なのか、はっきりわかる。
足音に気づいたらしく、向こうも顔を上げてこっちをみていた。
眉間に皺がよっていて、ちょっと怒ってるみたいだったけど、すぐに「しょうがないな」って表情がそこに浮かんだ。


「ったく…どこほっつき歩いてたんだよ」


怒った言葉も優しくて、さっき使ったばかりで弛んだままだった涙腺が、もう一度軋んだ音をたてていた。
淋しくて、切なくて、嬉しくて。
ほんとうに ほんとうに、嬉しくて。

「来て、くれたんだ」
「当たり前だろ。お前だって…同じ考えだったくせに」
「えへへ。逆方向、行っちゃってたんだけどね」

呆れてはにかんだ顔も、久しぶりにみた。

懐かしさばかりに溢れた、私の大事な幼馴染 ―― 日生光宏 ―― が、そこにいた。


うれしされんさ
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