#1-7




「よかったのか」

お世辞にも軽いとは言えない足取りでレジの前に立つと、厨房の圭介さんにそう言われた。ほんの少し悩んでから、笑顔で振り返って大きく頷く。

「当然です!もう、何度決別宣言を出したことか。っていうか、いまだに諦めてない向こうが可笑しいんですよっ。その上、オファーもなしに圭介さんのいる店を直接尋ねるなんて…非常識極まりないですね!!」
「…そうか」

会話は、それでおしまい。
それが、嬉しかった。
六年と少し前、私が家出した時から、ずっと圭介さんはこうだ。
私の意見に耳を貸してくれて、私が決めたことを否定しないでくれる。

――――― 本当は、拒絶したくないんだろう?

そんな風に聞かれたら、きっと折れてしまったときもあっただろうから。
だから、圭介さんは優しい。
だから、圭介さんの作るパンは、世界一美味しいのだ。


「ところで圭介さん」
「なんだ」
「結人、圭介さんに変なことしませんでしたか?今まで、絶対に店には来るなって言い聞かせてたのに普通に破って来るし。しかも私の居ないときだったから、圭介さんが何かされたんじゃないかって、ちょっと心配なんすけど…」

一応、外見上の変化は無いから暴力を働かれた、ってことがないのは解かる。
もし、圭介さんの手に怪我でもさせたら、それこそ半殺しじゃ済まさないけどね。
でも、人を傷つける方法はひとつじゃないし。
そう思って尋ねたのだが、圭介さんは何故か嬉しそうに小さな笑みを浮かべ、パンをこねる手を動かし続けた。

「…なにか、あったんですか?」
「いや。相手は、の友人だろう。そんなこと、あるわけない」
「………そ、それって、すっごい殺し文句ですね。
 あ!もしかして圭介さん、暗に私に告白とかしちゃ」
「前を向け、客が来るぞ」
「…はーい」

もうちょっと、期待とか持たせてくれてもいいのに…ま、そこが圭介さんのいいところでもあるんだけどね。



お客の来ない、人通りもそんなに多くない裏道をぼうっと眺めていたら、唐突に後ろから紙が飛んでくる。圭介さんが投げたらしい。
小さく折りたたまれたそれを開くと、手のひらサイズの小さい紙にびっしり文字が書かれていた。

「あいつからだ」
「うわーようちゃんも、ほんとに地獄耳。しかも行動早いですねー」

記入されているのは、とある女の子の個人情報。
一通り目を通してから、たたみなおした紙はスカートのポケットに突っ込んだ。

あとは、夕方を待つだけだ。

堪えきれずに口元が緩んだ刹那、来客を告げるベルが声高に鳴いた。