#1-6




ジーンズスカートのベルトに装着した懐中時計(懐中してないけど)によれば、店を出てからきっかり四十七分。予定よりも十分近く早くお店に辿りつけたことにほっとして、軽快な音を鳴らし扉を開けたら、


「おっ。おっかえりー」
「……店を間違えました」


思わず、踵を返しかけてしまった。
あれ、今、圭介さんの店にいるはずのない人間がいたような。というか、むしろ会計台に腰掛けて、圭介さんお手製カレーパンを頬張ってた人間がいたような。

「ちょっと、!いきなり逃げかかるなよなー」
「申し訳ありませんがお客様。店内での飲食は遠慮していただきたいのですが?」
「は?あーいいじゃん別に。俺、客ってわけじゃないし」
「…結人、あんたまさか!」
「ん?」
「私の前で圭介さんのパンを無銭飲食とはいい度胸ーー!!!」
「いや、違っ!!金は払ってるって!!」

とりあえず、近くにあったトレーで威嚇をしてみたら、いつのまにやら現れた圭介さんに止められた。
…ちっ。命拾いしたね、結人。

「おい、それも待て。俺は今、生命の危機だったのか?たかがカレーパン一個で」
「たかが?今、結人ちゃんのお口は、圭介さんのつくるカレーパンをたかがと言ったのかしら?」
「ごめんなさい、言ってません」

ぶんぶんと必死で首をふる姿は、なんとなくどこかの名産人形に似ていた。あー確か、将兄の事務所で見たんだった気がする。名前は憶えていないけど。


「それにしても…なんの連絡もなしにいきなり訪問とは、いったいどういうつもり」

カレーパン、最後のひと欠片を頬張って油のついた指を舐めてる結人に声を張り上げる。
これが、"ただの友人"がパンを買うついでにおしゃべりに来た、っていうなら問題はないけど、目の前にいるのは癖のついた茶髪が良く似合う、くりんとした目が愛らしい若菜結人という青年。ついさっき、私が過保護な保護者と称したうちの一人だ。
…そりゃ、結人は大事な友達だけど、圭介さんの店にまで来るなんて許容できる範囲じゃない。

私のその怒りの理由も知ってるくせに、しれっとした態度を崩さず、結人は言う。

「どういうつもりって…幼馴染の職場尋ねるのに、懐かしいから以外の理由がいるのかよ」
「…どうあがいても結人は空のお星様になりたいみたいだね」
「あー!言う、言う!!言うからトレーを構えるなーー!!」

丁度同じ時、厨房からは鋭い視線が私に注がれていた。
すみません、圭介さん!店のものを武器にするのは今回限りにしますから!今この瞬間だけは許してください!!

「で、なぁんで結人はわざわざ店にまで来たの」
「…お前、また仕事請けただろ」
「……ったく、なんでもお見通しか。そろそろ、諦めてくれたって罰はあたらないと思うんだけど」

いったい、どれだけ金の無駄遣いをすれば気が済むのか。
溜め息ひとつ呟けば、お返しとばかりに結人からも息が漏れる。

「それ、そっくりそのままに返すぜ。いい加減、諦めろよ」
「…ところで結人」
「話をそらすなよ」
「そらしてない、こっちのが重要。
 私は今、現在進行形で接客待機中なの、わかるよね」
「あーまだ、営業中だもん、な」
「そうそう。解かってるんだったら…」
「…はぁ。わっかりましたよー出てきますって。だからオタマで威嚇すんのはやめろよなー」

大きく肩を落とした顔には、あからさますぎる失望感が溢れていたけど、それに心を痛められるほど私に余裕なんてない。
いっそ、振り返ったら顔面に投げつけてやる。
それくらいの意気込みで、結人の背中が扉から出て行くのを見守った。

カラン、と退出を告げる音が鳴ったとき、柄にもなく心の奥から安堵してしまった。