#1-5




「……………………………なんで?」


『久良岐や』のある通りから、三本進んだ通りの更に細い小道にある、人がふたり入れば埋まる位の狭い水路。そこが、今日の私のウンディーネ停泊場だった。
『久良岐や』から大分距離もあるし、たとえ亮さんが帰ってくる途中に周囲を観察されても見つからないよう、しっかりカモフラージュもしてあったはずなのに。



「よう。遅かったな」
「なんで亮さんがいるんですかーーーーっ!!!」



しかも遅かった!?いや、ちょっと待てよ!私、今日はいつもの半分くらいの時間で配達済ませて戻ってきてるよ!実質ウンディーネから離れたの十分ちょいでしょう!?

「なのになんで、そんな『十分堪能しました』みたいな顔してるんですか!!」

しかもデジカメ持参で!あなた買い出しに出てたんじゃなかったんですか!?

「買い出しが終わってるからここに居るんだろ。相変わらずアホだな、お前」
「人のウンディーネ無断で写真撮影してる非常識人間に言われたかないですよ!むしろ肖像権侵害とかで訴えますよ、いい加減!」
「別にお前の写真は撮ってねぇだろ。
 それに、さすがに分解まではしてないんだから、引っかかる法律もねぇよ」

分解してたら即刻通報してますよ!!

「だいたい…亮さんのウンディーネ、去年も大会で一位とってる最高機種でしょう。
 な ん で、私のウンディーネに執着する必要性があるんですかっ」
「お前なぁ。こんなウンディーネが出てない大会で一位とったところで、なんの自慢にもなるわけねぇだろ。
 それに、マティアカンパニーの連中も一切関わってない大会なんだぜ?」
「だからって、私のウンディーネにお熱な理由にはならないですよ。
 大体、いっつも言ってるじゃないですか。特に変わった改造はしてないって!」

人のウンディーネの前にしっかり腰を落ち着けてる亮さんは、そうなんだよな、と呟いた。


水上用自動滑走小型艇 ―― 通称ウンディーネ ―― は、"アララト再来の日"以降、水面が大幅に上昇し、陸地が極端に少なくなった現在の世界において、極一般的な移動手段のひとつだ。
昔でいうところの、オートバイとか自転車みたいなものだろうか。
限られた陸地を植物栽培や居住区の確保に利用してしまっているため、移動できるスペースが極端に減ってしまった第三世紀をつつがなく過ごすため、今から百五十年ほど前にマティアカンパニーが開発・発表したウンディーネ。
キックボードのタイヤを外したような小さいものから、人が何人も乗れるサイズのものまで様々普及していて、大型船と違って入手し易く騒音も無い、更に環境にまで優しいと三拍子揃ってるもんだから、めっさバカ売れしてるらしい。
しかも、開発、営業、販売にいたるまで、全部マティアカンパニーが独占運営しているものだから、かの会社の成長っぷりにも、ものすごいものがある。まあ、昔から世界十三大企業のひとつではあったんだけど。


「マティアカンパニーの技術者だって、まだここまでのスピード、軽量化、機動性は確保しきれてねぇ。
 …….お前、実はエンジンとか入れ替えてねぇ?」
「それやったら違法でしょう!!」
「だよなぁ」

レストラン『久良岐や』の大人気ウェイターという、そりゃあ世の男性も女性も憧れる存在であるはずの亮さんだが、実はウンディーネに目がないという特殊な趣味の持ち主であった。
いや、『ウンディーネを愛しちゃって一日も離れられないのー!』とかってそういうタイプではないんだけど…なんていうか、ウンディーネをより"巧く"乗ることに情熱を注いじゃってるっていうか。
どういう理由かは知らないけど、そんな亮さんが、私のウンディーネにひどく興味を持っているらしい。
……いや、理由はわかるんだ、うん。亮さんには絶対言えないけど。


「どうでもいいですけど、そろそろ私帰るんで、退いてもらってもいいですか」
「なんだよ、もう帰んのか。ちまっこい店は大変だな」
「…殴りますよ」
「別に流行ってねぇとは言ってねーだろ」

軽口を叩きつつ、亮さんは立ち上がって場所を譲ってくれた。
立ち上がった手には茶色い紙袋。…あ、ほんとに買出しには行ってたんですね。

「あんま飛ばしすぎて、そいつ壊すんじゃねーぞ」
「あのーどうせ心配してくれるなら、私の方をしてくれないんですかね」
「お前は死にたくても死ねねぇだろ。なにしろ、一年三百六十五日二十四時間、ところ構わず引っ付いてる保護者がいるからな」
「…何の話ですか?」
「さーなぁ」

そう言って、亮さんはひらひらと手を振りながら、表通りの方へ行ってしまった。
あの人がどこまで言いたいのか、全然全然わからなかったけれど、とりあえずウンディーネのキーを差し込む。
帰り道に、わかるかもしれないし。
そんな理由もない期待を抱きつつ、後部座席に引っ付いていた木箱をのけて、エンジンをいれた。