|
#1-2
"知恵の木の実を七つ売ってください"
大変申し訳御座いませんが、当店はパン屋ですので、木の実の類はお取り扱いしておりません。 なんて言ったら、たぶん厨房から圭介さん愛用の泡だて器が飛んでくることだろう。ついさっき、克朗さんトコに届けるケーキの抹茶クリーム作ってたから。さすがにそれは嫌だ。髪に緑のクリームがつく。 「あ…あの、」 「知恵の木の実を七つ、ですね?」 にっこり。どんなときでも接客中は百パーセントの笑顔を忘れずに。 それが私のモットーだ。 「じゃあ、これをどうぞ」 「え……っ?」 お嬢様に手渡したのは、常にエプロンのポケットに在中してある一枚のメモ。 四つ折りのそれを受け取ったお嬢様の視線は、わけがわからないとメモと私をいったりきたり。 うーん…お嬢様、いったいどんな風に話を聞いてきたんだろう。 「知恵の木の実、ここではお出し出来ないんですよ。だから、夕方七時に下記の場所で待っててください。配達サービスに伺いますので」 そのときは、後ろの人達を出来れば置いてきてくださいね。 ウィンクひとつ加えたら、お嬢様は戸惑いつつも四つ折りメモを受け取ってくれた。 たぶん、まだ納得の"なっ"くらいまでしかしていないんだろうけど、それでも小さく頷いて、今時珍しい四十五度のお辞儀をして、カランコロンの扉の音と一緒に店を出た。 「…どーでもいいですけど、店に来たならパンを買っていってくださいよー…っぃて!」 にこやかに手を振りながら、ガラス越しにお嬢様を見送りつつそんなことを口走ってみたら、頭に何かが飛んできた。…あぁ、やっぱりダメですか。見えなくなるまで、お客様は神様なんですよね。 「でも、やっぱり泡だて器はヒドイと思うんですけど」 「洗ってあるだけマシと思え」 「……はぁい」 あーほんとに洗ってある。しかもピカピカ。私の顔が映るんじゃないかってくらい。 そりゃ、泡だて器を本気で投げられても、死にはしないですけどね。それでもたんこぶくらいは出来るんですよ。 ブツブツ呟きつつも、ついさっき私の後頭部とこんにちはした泡だて器を拾って、流しに持っていく。さすがに調理器具。腐っても調理器具。攻撃できても調理器具ですから。次に圭介さんが使うときのために、ぴっかぴかに洗いましょ? 「あれ?洗った泡だて器が飛んできた、ってことは…ケーキ、完成したんですか?」 「もうすぐできる」 うわーついさっき、スポンジを焼いていたと思ったら、ずいぶんな早業。 「じゃあ、三時になる前に私、配達に出ちゃいますね」 「頼む」 「あいあいさー!」 実を言うと、店に圭介さんひとりを残して行くのは本意ではないのだけど…これも商売人の悲しいところ。 従業員ひとりが欠けたからって店を閉めたら、お客さん来てくれませんもんね。 うん、大丈夫…圭介さんでも、レジは打てるし。自分で作ってるからパンに詳しいし。お釣りも間違えないし。 ……笑顔の無料販売は行えませんけどね。 「…」 「はいはい?なんですか、圭介さん」 泡の塊りとかした泡だて器を片手に振り返る。 見えるのは、調理台に向かってる圭介さんの背の高い後姿。 うーん。やっぱり、圭介さんがモノを作ってる姿は格好良い。 「…今の時期、もう日が暮れるのが早い。 帰り道は気をつけろよ」 「わおっ!圭介さん、心配してくれるんですか!?感激です! あ、でも大丈夫ですよ。待ち合わせ、七時ですから。さすがに『秋の日はつるべなんちゃら』とは言っても相手お嬢様ですし、三十分もあれば終わると思いますから」 「そうか」 「はい!あーでも、一応家についたら電話しますね。圭介さんに余計な心配かけたくないですから」 背中越しだけど、圭介さんが頷いたのがはっきりとわかった。 うーん、私ってば倖せ者!なんたって、圭介さんに愛されちゃってるんだもん! などといつまでもにやけていたら、阿呆と振り返らずに怒られてしまったけれど、それも柚姫には倖せなのです。 カラン コロン 「あっ!いらっしゃいませー!」 にやけた顔を0円笑顔にすりかえて、ぴかぴか泡だて器を壁に戻す。 |