序 1


あすもまた、同じ日が来るのだろう。
幸福は一生、来ないのだ (太宰治)





「兄貴ーー!この西瓜、持ってっても平気ー?」
「ちょっと待て!こっちのが食い頃だからそれとんなーー!!」


じりじりと照りつける太陽が一年の中で最も憎らしく思える季節、夏。
二十五メートルプールとほぼ同じ大きさの西瓜畑では、蝉の声すら霞む馬鹿でかい声が今日も響いていた。

「あー!こっちってどっちさ!?」
「だからこっちだっつーの!」
「ちょい待て、ちい兄!そこの西瓜は来週まで待つべきだって!今が食べごろはこっちだろ!」
「あー何言ってんだぁ、お前!オレは西瓜作って十年目だぞ!?」
「オレだって九年目だ!」
「どっちでもいいから、はよ西瓜くれーでないと夕飯までに冷えねーだろー!」

畑の中には十代半頃を思わせる少年がふたり。タンクトップに半ズボンという簡素な格好で汗を流している。首には白い手拭、真っ黒に焼けた顔。まさに、第一次産業を営む男と言った出で立ちだ。
一方、畑の外から声をかけているのは少年ふたりよりも幼い少女だった。まだ十にも届かない年頃だろう。小さい体に似合わない大きなリュックサックを背負い、両手にはぱんぱんに膨らんだレジ袋を三つも提げている。日よけの麦わら帽子を被っている所為か、少年たちに比べれば色白だが、健康的な小麦色の肌とすらしとした両手足は、彼女が普段どのように日々を過ごしているのかを窺わせた。

「だーかーらー!こっちの西瓜はあと四センチはでかくなるって!」
「アホ抜かせ!そんなこと言ったらなぁ、お前の方のヤツはあと九センチは太るぞ!!今とったら、西瓜が可哀想だろーが!」
「…アホくさ」

バチバチと火花を散らすふたりの少年を無視して、結局少女は一番最初に自分が食べ頃だと思った西瓜を二つ選んで蔓を切り、バスタオルで包んでからリュックサックの中に詰めた。背負い直すとずしりと思い。どうやら今年もいい出来のようだ。

「じゃー、私先に帰って夕飯つくっからー!兄貴たちも夕方には帰ってきなよー」
「あぁぁっ!!てめー、オレの畑の西瓜をなんだと思ってやがる!!」
「美味しい西瓜」
「つかちい兄!オレじゃなくてオレ達だからな!!ここはオレとちい兄の畑だかんな!オレの愛情もたっぷりつまってんだかんな!!」

なおも続く言い争いに相変わらずのことながら呆れつつ、と呼ばれた少女は手に持った袋を持ち直して畑を離れた。


しばらく進むと、前方から先ほどの少年よりも二つ、三つ幼い少年がを見つけて手を振りながら駆け寄ってくる。更にその後ろから、ものすごい勢いでよりも小さな男の子ふたりも現れた。みな、海水パンツとランニングシャツにサンダルという非常に身軽な服装をしている。彼らがこのあと向かうであろう場所を想像し、は思いきり眉を顰めた。

!オレ達、ちょっくら海まで行ってくんな!」
「ちょっと兄貴!もーすぐ陽ぃ、落ちんじゃん!二人も風邪ひいたらどーすんのさッ」
「へーきへーき。てか、夏なのに海行かないなんて三浦の男がすたるってもんよ」
「誰も三浦の男にんなもん求めてないっつーの!」
「チビどもの面倒はちゃんとみっからさ!夕方には戻るぜぃ。んじゃ、行くぞチビどもー!!」
「「おおー!!」」
「ちょ、兄貴っ」
「明日麻は家で寝てっから。大声出して起すなよー」

とどめの一撃、と言わんばかりの捨て台詞を残された所為で、はもう一度「馬鹿兄貴」と怒鳴ることができなかった。「明日麻」とは、今年二つになったばかりのの妹で、男ばかりの家族の中におけるマドンナ的存在だ。かくいうも歳の離れた妹のことが大好きで、率先して面倒もみるようにしている。

「ったく…いっくら親父がいるからって、明日麻ほっぽって遊びにいくか、ふつー」

無責任な兄と弟ふたりに文句を呟きながら、自宅へと続く最後の坂道を上る。
普段なら兄と弟と競いながら走って上る坂道も、さすがに家族八人分の夕飯の材料と西瓜二つを背負って上るにはかなりきつい。加えて、今日は今年一番の暑さとなるでしょう、と告げていた天気予報がばっちり当たったらしく、立ち止まっているだけで汗がひねった蛇口の水のように溢れ出てくるほどの暑さだ。風も止んでしまった今となっては、健康と体力だけが取り得のでもまいらずにはいられなかった。

坂の中腹で足を止め、は思い切り空を仰いだ。
雲ひとつない快晴。水色の絵の具をぶちまけても作れない青が、どこまでもどこまでも続いていた。
風もない、雲もない、周囲には人影も見えない。自分以外に動くものがないと、こんなにも世界は止まってしまうことには初めて気付いた。腰につけた太陽電池で動く懐中時計がちくたく時を刻む以外、なんの音もしなかった。


「…………ん?
 ちょっと待て、それおかしいだろ!?」


季節は夏。蝉も甲虫もみんな元気になる季節。それなのに、時計の音しかしないなど、どう考えてもおかしすぎる。
慌ててが周囲を見渡すも、景色自体に変わった様子はなにひとつない。単に、集団で昆虫が夏バテでも起しているのだろうか。なんとなく気味が悪くなり、とにかく急いで家に帰ろうとは止まっていた足を一歩前へと踏み出した。



「――――――――え?」



それが、が産まれた世界で発した、最後の言葉だった。




close : next