うこそ、二人きりの世界の果てへ



「た、だいまっ、ハチ!」
「お帰り、

大きな音を鳴らして勢いよくドアが開く。現れたは息を切らしていて、立ち止った瞬間に肩が大きく上下する。よっぽど急いで帰ってきたんだな。乱れた呼吸のまま、が俺を見上げる。

「メール、ほんとっ、なの?金、魚…金魚、死んじゃったって…」
「ああ」
「ほんとに…?だって、今朝は、元気だったよ」

カバンを床に放り投げたは、俺の脇をすり抜けて水槽に飛び込むように縋りつく。覗き込んだ水の中は、すでに空っぽだ。水草も残さず片付けてしまったから。

「いない……」
「俺が帰ってきたときには、もう水面に浮かんでたんだ」
「そんな、」
「俺も信じられなかったけど、三匹とも駄目だった」

水槽の淵を掴む手が震えているのが見える。泪は流れていないけれど、零れ落ちぬよう、悲しみを堪えていることは明らかだった。
たった四日。たったそれだけで、こんなにも心を占めてしまう。だから俺は、もう一日だって我慢できる気がしなかった。

「……あの子たちは?」
「埋めたよ。管理人さんに許可もらって、マンションの下の空き地にさ」

の横顔は、孫兵のそれに似ていた。けれど、まだ間に合う。孫兵の青大将ほど、まだの中に彼らは住んでいなかったはずだから。
愛すれば愛するほど、想えば想うだけ、深く根付く。
それは人であってもそうだし、どんなものに対してもそうだ。孫兵にとっての青大将。にとっての金魚。勘右衛門にとっての幼馴染。そして――――俺にとってののように。

「縁日の金魚って、寿命が短いってよく言うしな」

いや、違う。俺にとってのは、きっと他の誰にとっての何とも比べられない。

「それに、環境が変わった所為でストレスが溜まってたのかもしれない」

だからの中に俺以外の何かが踏み込むことが、居座ることが許せなかった。胸が焼け付くように痛んで、喉の奥がヒリヒリと乾いて、飢えばかりが身体を支配する。

「可哀想だけど、あいつらも精一杯生きたはずだよ。だから、哀しんでばかりじゃなくて、笑ってやれよ」

本当なら笑顔も泣き顔も、誰かのために、何かのために浮かべてなんてほしくない。感情のひとつ、いや欠片だって向けてほしくないんだ。
俺のすべてはだから、のすべても俺であればいい。が抱く喜びも悲しみも愛情も怒りも痛みも嘆きもすべて、すべてが俺にだけ向けられればいい。
俺の世界がで出来ているように、の世界も俺だけになってしまえばいい。

こんな想い、少しも正しくないって、知っているけれど。

「………うん、そうだね」
「ああ」
「笑って、お別れする」
「うん、そうだな」
「…心配かけてごめん。ありがと、ハチ」

そう言って、ようやく俺の方を向いたは、眦に滴を滲ませたまま、俺に笑ってみせた。
ああ、ようやく。俺の世界が還ってきたんだ。


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