両手を会わせる孫平の姿が夕飯時の光景と重なってみえたのは、きっと一刻も早く家に帰りたかったせいだ。
「竹谷先輩、今日はありがとうございました」
きっとあの子も喜んでいます、と泣き笑いを浮かべる孫平に、内心を囲って俺は笑った。それでも申し訳なさげな後輩の顔は、幾分低い位置にある頭をガシガシと撫でてやれば、僅かに安堵の色を交える。俺が迷惑だなんて思っていないのだと伝えるだけで、いつも孫平はこんな顔をする。俺が口に出来ない本心なんか露知らず。そして、後輩を謀っているにも関わらず、やっぱり俺の心は一拍でも早くと、帰路を思い描いて止まらなかった。
中高大と一環の学校で、長いこと同じ委員会の後輩だった孫平が、可愛くないわけない。だからこそ、大学の飼育施設で、孫平が可愛がっていた青大将が死んだと聞いて、バイトを休んででも弔いに来たし、今こうして隣から伝わってくる静かな嘆きに耳を傾けたいとも思ってる。
ただ、それでも俺が心の底から死んだ蛇を悼んでやれないのは、きっと羨ましく思えてしまったからなんだ。
「明日の朝は、花でも買ってきてやろうな」
「……はい。あと、大好きだった、餌も供えてやります」
「ああ」
「…それから、僕は毎日逢いにきます。今までとおんなじように、逢いにきます」
まるでそれが摂理のように告げる孫平は、まさに俺の理想そのものだった。
「ただいまー」
暮らしはじめて二年たち、すでに慣れ親しんだドアを開ければ、奥からおかえり、と聞き慣れた声が届く。次いでやってくるのは、鼻をくすぐる夕飯の匂い。自然に頬が緩んでしまうのは、いつものことだけれど、仕方がないとも思う。だって、これが俺の倖せなんだから。
「今日の夕飯は、オムライスか」
「うん、そーだよ。私も六限まであったから、ちょっと手抜きしちゃった」
「いやいや、そんなことないだろ。いつもサンキューな」
「いえいえ。ハチも一日お疲れ様でした」
ダイニングキッチンに続くドアの先には、手馴れた調子でフライパンを動かすの姿。背に届く長い髪をひとつにまとめ、シンプルな濃紺のエプロンを着てキッチンに立つと、出迎えをうける俺の図は、新婚夫婦にでも見えたりするんだろうか。脳裏に浮かんだ妄想は、もちろん俺たちの将来の姿であってほしいし、そうするつもりだってある。毎日、毎朝毎夜、の姿を見る度に俺がそんな決意を胸に抱いているなんて、きっと誰も知らないんだろうな。もちろん、にだって言ったことはないし。
荷物を置いて、手洗い嗽を済ませてキッチンに戻ると、すでにテーブルの上に夕飯の準備が整い始めていた。コップやスプーン、フォークを食器棚から取り出してテーブルに並べれば、今度はからありがとう、と声が届いた。
「伊賀崎くん、受け入れられそうだった?」
「ああ。孫兵もすごい可愛がってたからさ。すぐには立ち直れないだろうけど、あいつなら大丈夫だよ」
「さすが先輩。後輩のことならお見通しだね」
「あいつとの付き合いも長いからな」
「中学からだっけ。私とユキちゃんたちみたいな感じかな」
食器の音を鳴らしてテーブルに置かれたオムライスには、ケチャップで今日の日付が書かれていた。何これ、と尋ねると、特に思いつかなかったから、と照れ笑いが浮かぶ。
ああ、この瞬間が、この一秒が。きっと俺にとってはすべてなんだろう。
「忘れることはできないだろうけど。伊賀崎くん、早く元気になるといいね」
「……おう、そうだな」
そうだ。きっと孫兵は忘れない。あの青大将のことを。
オムライスに続いて、サラダ、細切れ野菜のコンソメスープと並び、夕食の準備が整ったテーブルに、と向かい合わせで席に着く。それから、胸の前で両掌を合わせた。
「いただきます」
「はい、召し上がれ」
口に運んだスープには、俺が願う永遠の全てが詰まっているような気がした。