十月十四日。
穏やかな秋の風がほんのりと涼しい、とても過ごしやすい休日の朝。小さな紙袋をふたつ手に提げて、私はお隣さん宅のチャイムを押した。
「よう、」
「あ、リボーンくん。おはよう」
いつの間にか開けなれてしまってたドアを引くと、そこにいたのは小さな体のヒットマン。あ、珍しく今日は黒じゃなくて白いスーツを着てるんだ。それも、よくよく見れば白いスーツには大量のターゲットマークが描かれている。そういえば、とコミックの中でしかしらない昨日あったはずの出来事を思い出し、堪えきれずに笑ってしまった。
「どーした?」
「そのスーツ、ハルちゃんから?」
「…さすがだな。昨日ハルから貰ったんだ。スリリングでいーだろ」
「うん、白いスーツも良く似合ってるね」
昨日のボンゴリアン・バースデーパーティー(だったはず)に呼ばれなかった私が知るはずもないことを口にしたのに、当たり前だけれどリボーンくんは驚く素振りもみせなかった。私が話したからだとわかってはいたけれど、それでも隠さないでいられることが妙に嬉しくて、自然と口元が弛んでしまう。
リボーンくんは感情の読めない瞳でこちらを見上げ、少しだけ申し訳なさそうに眉を下げた。
「悪かったな、昨日は呼んでやれねーで」
「…どうしてリボーンくんが謝るの?だって、私はボンゴレじゃないんだから、呼ばれなかったのは当たり前だよ」
気遣いとかではなく、心の底からそう思っていた。だって、ボンゴリアン・バースデーパーティーはその名のとおりボンゴレファミリーの人間で行われるパーティーのはずだ。正確なところは知らないけれど、コミックの中で集っていたメンバーだって、将来のボンゴレファミリーと思しき顔ぶれだったし(ランボくんはボヴィーノだけど、守護者でもあるんだからボンゴレファミリーと言ってもおかしくないだろう)
その中に、これまで一度だってファミリー勧誘をされたことのない私が入るなんて、どう考えたっておかしいに決まっている。
「""だったらわからないけど、私が誘われなかったのは当然のことでしょ?…それに、参加しててもきっと最下位になっちゃっただろうから、むしろ幸運だったと思うよ」
「…そーか」
呟いたリボーンくんの声は妙に低くて、呆れられているのか怒られているのか。判断はできなかったけれど、少なくとも私の回答に納得してはくれていないように見えた。
「あ、でも、お祝いだけはしてもいいかな」
怒らせてしまっていたら、許してもらえないかもしれないけれど。そんな不安を少しだけ抱きながら、玄関にしゃがみこんでリボーンくんと眼の高さをあわせる。
持ってきていた小さな紙袋のひとつを目の前に差し出すと、彼にしては珍しく、三度素早く眼を瞬かせて私の顔を見据えた。
「一日遅れちゃったけど、一歳の誕生日おめでとう」
「わりーな、わざわざ」
「ただのマフィンだから、そう言ってもらえるほどのものでもないよ」
「…もうひとつは、病院か?」
紙袋を受け取ってくれたリボーンくんは、目敏く手の中に残ったもうひとつに視線を向ける。そんなリボーンくんの瞳は愉しげでもあったけれど、さすが家庭教師としか言えないくらいの温かさで溢れていたから、私もつられるように笑って大きく頷いた。
コンコン
ノック二回のあとでドアをスライドさせると、一番奥のベッドに横になっていたツナが驚いた様子で顔をあげた。
「!」
「お邪魔するね、ツナ」
四人用の相部屋には他の患者さんがいないらしく、妙に静かな病室でツナはちょっと淋しそうに見えた。でも、きっともう少ししたら獄寺くんや山本くん、ハルちゃんたちがお見舞いに来て、ここは他の部屋がびっくりするくらいに賑やかになるんだろうな。それを避けるために朝一を選んで来たくせに、想像の中の楽しそうな光景に羨ましさが募ってしまう。ああ、私ってば矛盾ばっかりだ。
「ど、どうしたんだよ、!こんなに朝早く…」
「ツナが入院したって聞いたから、お見舞いに来たんだよ。でも、思ったよりも元気そうで安心した」
ベッドに横になってはいたけれど、包帯の量の少ないしギプスもはめていない姿を見て素直にほっとした。入院はしているものの、どうやら命に関わるような大きな怪我があるわけではないみたいだ。
ツナに断ってからベッド脇の丸イスに腰をおろすと、ツナはなぜか落ち着かないようにチラチラと視線を彷徨わせる。
…もしかして、私が来たことで困ってるんだろうか。このあとで京子ちゃんが来るとか?あ、それはあるかもしれない。一応面会時間が始まってすぐ、という人が少なそうな時間を選んでは来たけれど、この時間に他のみんなが来ないという確証はないのだ。もし京子ちゃんがお見舞いにくる予定があるのだとしたら、その場に私がいることは絶対にツナのためにはならないだろう。なんといっても、京子ちゃんはツナの淡い恋心のお相手だ。勘違いされちゃったりしたら、ツナに申し訳なさすぎる。
「ごめんね、ツナ。用事終わらせたら、すぐに帰るから」
「な…!別にそんなこと一言も言ってないだろ!?」
「あ、そんな動いちゃダメだよ。怪我して入院中なんでしょ?」
「うぐっ」
「はい、いい子。じゃあ、落ち着いたところで、これ」
ちょっと子ども扱いしすぎてしまっているかな、とも思ったけれど、ツナは""よりも年下なわけだし、お姉さんらしく振る舞っても多少は問題ないだろう。
思わず起き上がりそうになったツナが落ち着いたのを見計らって、「はい」と持ってきていた紙袋を手渡す。小さな青い袋を両手で受け取ってくれたツナは、一瞬言葉を失くしてしまったように声を詰まらせて、大きく見開いた眼でそれを見つめた。
「これ…」
「今日、十月十四日でしょ?」
「これ、オレに…?」
「ツナ以外に誰がいるの」
「でも」
「誕生日、おめでとう」
なおも言葉を重ねようとするツナを遮って、伝えたかった一言を口にした。
朝、リボーンくんに伝えたときよりもずっと、自分の声が妙に緊張して強張っていた。でも、私なんかより何倍もツナの方が強張っているのが面白かった。強張っている、というか固まってる?視線を紙袋に向けたまま、ツナはぴくりとも動かなかった。
「ツナ?どうかした?」
「これ…開けても、いい?」
「あ、うん。大したものじゃないけど」
紙袋の中に入っているのはリボーンくんに渡したものと同じマフィンで、誕生日のプレゼントにしては質素すぎるくらいに大したものではない。
でも、正直なところ""でない私からツナに、形になる何かを残すことが憚られたから、それ以外に渡せるものが思いつかなかったのだ。お菓子なら、食べてしまえば形は一切残らない。だから、この先""がこっちに戻って来たあとで、彼女が渡した記憶のないプレゼントに困ることもないだろう。
「マフィンだ…!あ、ありがとう、!」
「美味しくないかもしれないけど、よかったら食べてね」
「なに言ってんだよ。、料理とか得意じゃんか。…あれ?こっちは…」
…そう。本当なら、お菓子だけにしなくちゃいけなかったんだ。
マフィンのほかにもうひとつ、紛れ込ませてしまった"ある物"を思い浮かべ、弱すぎる自分に腹がたつ。
記憶以外、残すものは少なくしなくちゃいけないって頭ではわかっているのに、結局マフィンとともに袋の中に入れてしまった"それ"を掴みだすと、ツナは不思議そうに首を傾げて私の方を向いた。
「、これって本とかのしおり?」
「…うん、そうだよ。漫画以外も読んでほしいな、って期待をこめて、ね」
「なっ!余計なお世話だよ!!」
冗談っぽく笑ったら、ツナは声を荒げて視線を逸らした。よかった。期待していた通りの行動に、見えないように安堵の息を零してしまう。だって、もしここでツナに「本当にそれだけ?」って聞かれたら、きっと言葉に詰まってしまったから。
ツナに贈った栞には、中心が薄っすら緑がかった白い花が押し花になって収められている。五角形の白い花弁は小さくて愛らしいけれど、この植物を花としてみる人は意外に少ない。そのせいか、栞についた押し花に気付いたらしいツナは、しばらくの間じっとそれを凝視していた。
「、これってなんていう花なの?」
「それはね、鬼灯の花なんだよ」
「ホオズキ?それってさ、確かオレンジの実が有名なやつ?」
「たぶん、それかな」
「ふーん。オレ、ホオズキの花なんて初めて見た」
「…ツナって、花の種類とか興味あるんだね。ちょっとびっくりした」
「いや…別にそういうわけじゃないけど。なんか、これがすっごい気になってさ」
なんでだろう、と独りごちながらツナは色んな角度からホオズキの花があしらわれた栞を眺めていた。
もしかして、これが"超直感"ってやつなんだろうか。
ツナのそんな行動を見つめながら、内心では冷たい汗がだらだらと流れ続けていた。押し花なんて、絶対気に留めないと思っていたのに。よかった、あれ以上聞かれなくて。
なおも顔を斜めにしながら悩んでいるツナに、「そろそろ行くね」と告げて引き止められる前に病室を出た。
部屋を出てからしばらく、明るい病院の廊下を俯きながら歩く。エレベーターを待っている間、ふと鼻をくすぐる香りに顔をあげれば、すぐ横の棚に置かれた大きな花瓶が目についた。活けられていたのは色とりどりの綺麗な花。コスモスやガーベラ、カスミソウ。バラにワレモコウまで、種類も様々だ。
「…『偽り』ね」
小さな小さな呟きは、エレベーターの到着を告げる甲高い機械音に紛れて、きっと誰にも聞こえなかっただろう。
ほんのささやかな、本当は許されっこない自己主張。
そんな自己中心的な切望を止められなかった自分が、私は世界中で一番、嫌いだ。