オゾンの海できみと、


二十歳を迎えると誰もが一度は羽目を外したくなるらしい。
例に漏れず、つい四日前に節目の誕生日を終えたばかりの大学の友人から、「女子飲みしたい!」と可愛らしいスタンプとともに連絡が届いた。もう半年以上前に成人を迎えていた私にその誘いを断る理由はなく、何人かの友人と日程を調整したうえで企画された誕生日会兼女子飲み会は、少しだけお洒落な居酒屋で無事開催された。
加古ちゃんが紹介してくれたお店は雰囲気も良くて、女の子だけで飲みに来るにも違和感ない空間だった。そういうお店は総じてお酒も甘いものに偏りがちだけど、日本酒や焼酎、ワインなんかも充実していて、すでにお酒に慣れ始めている子も満足していた。その上料理も美味しいとくれば、話が弾むのと相まってお酒が進んでしまうのは、当然の摂理なわけで。
結果として、前後不覚になってしまった本日の主役である彼女を、私は自宅まで送ることになったのだった。
ちなみに、加古ちゃんは別方面の子を送っている。別れ際、顔を見合せてお互いに苦笑しあったのは仕方ないことだと思う。

「ほら、もうちょとだから。ちゃんと歩いて」
「うぅっ……ご、めんね、…」
「いいよ。こういうのはお互い様だから」

タクシーでの移動中に大分落ち着いたのか、覚束ない足取りながら、友人の意識はそれなりにはっきりしていた。まぁ、飲み始めはこうなるよね。自分も数ヶ月前に一度経験したことのある失態をぼんやり思い浮かべる。あの時は外ではなかったけれど、今考えてみれば彼には迷惑をかけてしまった。今度改めて謝ろうと、彼女の家のチャイムを押しながら思った。
実家暮らしな彼女を、パジャマ姿で恐縮しながら出てきたご両親に託して、私も帰路を急ぐ。彼女のご両親にはタクシーを呼ぶから待っていてくれ、と言われたけれど、彼女の家から私が暮らすアパートまではそう遠くない。それに、夜中と言ってもまだ日付も変わっていないからと、ご厚意は丁重にお断りした。
まだ、遅番のバイト上がりより、少しだけ遅いくらいな時刻だ。酔い醒ましも兼ねてのんびりと夜道を歩く。ひんやりとした冬の空気が頬を掠めていくのが気持ちよかった。ぽつりぽつりと住宅街の暗闇を照らす街灯や、見上げた空に浮かぶ幾つかの一等星。そんな夜にしか出逢えないものを数えながら歩みを進めていれば、二つ先の十字路にあり得ないシルエットが浮かび上がる。なんでここにあの人が?もう見慣れた間違えようのない姿に、私は首を傾げながら駆け寄った。

「よぉ」
「諏訪さん…どうしてここに?こんな時間にどうしたんですか?」

襟にファーの付いたコートのボタンを首元までしっかり閉めた諏訪さんは、ふわりと白い息を吐いて私の頭を撫でる。額を掠めた指がとても冷たい。もしかして、随分前からここに居たんだろうか。見上げる私の視線に何かを感じ取ったのか、諏訪さんは両手のひらをコートのポケットに突っ込んだ。

「あーまぁ、あれだ。たまたまってヤツだ」
「こんな時間に、こんなところにですか?」
「あるだろ、たまに。妙な時間にどっか歩きたくなることくらい」

どう考えても無理のある言い訳をしながら、諏訪さんは私から視線を外すかのようにそっぽを向いてしまった。だいたい、諏訪さんの家はここから電車で二駅先だ。歩けない距離ではないけれど、諏訪さんが歩いてくるところなんて見たことない。
マフラーも手袋もない。部屋着に上着だけを引っ掛けたような姿はとても寒そうで、このままじゃ諏訪さんが風邪を引いてしまうんじゃないかと心配になる。ただでさえ、諏訪さんはボーダーの任務があって中々逢えないのだ。きっと諏訪さんが風邪をひいたら、私に遷さないようにって看病もさせてくれないに決まってる。そんな諏訪さんの優しさは好きだけど、私を諏訪さんから遠ざけようとする諏訪さんは好きじゃない。
後から考えてみれば、こんな寒空の下に居続けるんじゃなくて、早く暖かな家に向かえばよかったのだと思う。けれど、それなりに酔っぱらっていたらしい私は、一刻も早く諏訪さんを暖めなければと考えてしまった。
左右のポケットの中に隠れてしまった諏訪さんの手のひらを追いかけて、私の手を向かわせたのは、そのせいだ。

「ちょっ…お前、いきなりどーした!?」
「諏訪さんの手が冷たいので。私、さっきまでお酒飲んでたから、諏訪さんよりは温かくないですか?」
「温いけど、そーいう問題じゃねぇだろ!」
「あったかいなら、よかったです」

安心してふにゃりと笑ったら、諏訪さんが舌打ちしたのが聞こえた。それから、「この酔っぱらいが…」と言う声も。

「酔ってないです。ちゃんと、友達を送ってきたところなんですよ」
「加古から聞いて知ってるよ。…で?なんでその友達んちから、歩いて帰ってんだよ。タクシー使えよ、タクシー」
「そんなに遠くないし、バイト終わりと同じくらいだから、いいかなって」
「あのなぁ…女一人じゃ、危ねぇだろ」

ポケットの中、諏訪さんの手のひらに添わせていた私の手を、諏訪さんが握る。私よりも大きくて、少し固い諏訪さんの手が好きだ。あと、加古ちゃんからの連絡を受けて、心配して、こうして迎えに来てくれるところも。私が本当にタクシーを使ってしまって、待ちぼうけになる可能性だってあったはずなのに、諏訪さんは待っていてくれた。怒りながらも、優しく心配してくれた。
心の真ん中がじんわりと熱を持つ。この人の前では、私は全然格好良くなれないのだ。諏訪さんの家でワインを初めて飲んで、酔っ払ってしまった時もそう。諏訪さんに抱きついて離れなかった私を、諏訪さんは呆れつつも抱き締め返してくれた。私は何時だって、ただただ、与えられるばかりだ。

「…諏訪さんが素敵過ぎて、苦しいです」
「お前、相当酔ってんだろ」
「酔ってないです」
「それ、酔っ払いの常套句な。おら、とっとと帰んぞ」
「諏訪さん、泊まってくれますか?」
「あーハイハイ。泊まってでも何でもしてやるよ」

そう言って、片方の手を私のそれごとポケットから取り出してしまう。片手はポケットの中で繋がったままだけど、きっと空気に触れた方の手は離されてしまうんだろう。私は何だかそれが無性に嫌で、諏訪さんが次の行動に移る前に、思い切り諏訪さんの胸に飛び込んだ。

「おいおいサン、これじゃ歩けねーだろ」
「…ちょっとで良いです。もう、ちょっとだけ」

諏訪さんに抱き付くと、私の頭はちょうど諏訪さんの心臓の辺りに触れることができる。コート越しでもしっかり聞こえてくる諏訪さんの心音は、いつもより少しだけはやい。諏訪さんも、ちょっとは私に揺さぶられてくれるんだろうか。私ばかりが諏訪さんを好き過ぎる気がして、時々不安にもなるけれど、抱き付く度に耳に届く鼓動が、私を安心させてくれた。

「…諏訪さんが好き過ぎて、辛いです」
「あー…まぁ、それは良いんじゃねぇの」
「いいんですか?」
「俺が拒否するもんじゃねぇだろ。むしろ喜ばしいことだろ、俺的には。ま、欲を言えば酒飲んでないときに言ってほしいけどよ」
「…諏訪さん、大好きです」

私のこんな気持ち全部、いいよと受け止めてくれる諏訪さんが眩しすぎるから、私はもう一度しっかりと諏訪さんの胸に鼻を押し付けた。呆れた諏訪さんのため息が、また夜を白く染めたのは、言うまでもない。



諏訪さんと年下彼女。
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