心臓に口づけ


人に好かれる定義とはいったいなんだろう。いや、違う。もっと正確に言うならば、「人に興味を持たれる人間の定義」が知りたいと、私は切に願った。そして、それから外れるような人間になりたい、と。

ちゃんって、ほんと面白いよねぇ」
「私ほど面白味のない人間はいないと思うから、犬飼くんの勘違いだよ」
「そーいうところも面白いよ」

こちらの許可など一切求めず目の前の席に座した男は、彼特融の胡散臭い目を細めてケラケラと哂った。
こうしてところ構わず時間を問わず、犬飼くんに絡まれるようになって早数週間。私は彼の真意を掴めずにいる。
犬飼くんといえば、そのコミュニケーション能力の高さ故、学校でもボーダーでも大抵の人間と仲良くなれる、所謂クラスの中心人物となりえる存在だ。人と関わるのが苦手な教室片隅系の私とは、そもそも生活軸が重なりようのない相手だった。数少ない接点と言えば、お互いに同じ学校に通っていて、ボーダーという組織に所属していることくらい。これだけの接点なら、他に何人だって挙げられる。そんなレベルの間柄だった。
にも関わらず、彼はある時期を境に、突然私に頻繁に話しかけてくるようになった。そのきっかけは、確か彼と初めて対峙したランク戦だったように思う。

「…私、ランク戦で何かしたっけ?」
「え、何が?」
「犬飼くんの気に障ること。犬飼くんが私に絡むようになったのは、あの日以降だから」
「ああ、そういうことか。気に障ることはされてないけど、ちゃんが気になるようになったのは事実だね」

気になるようになった、と言われて改めてランク戦の内容を思い返してみる。
影浦隊と二宮隊のランク戦は何度も行っているが、犬飼くんと一対一で向き合ったのはあれが初めての機会だった。銃手の犬飼くんと射手の私では、なかなか決着が付かずこう着状態が続いた。結局、沈黙した流れに終止符を打ったのは、乱入してきて犬飼くんを真っ二つにしたカゲだ。もしランク戦のことで恨まれるなら、私じゃなくてカゲのはずである。

「……やっぱり、わからない。私、犬飼くんと撃ち合ってただけだと思う」
「別に理由なんていいじゃん。それより、今日こそ返事、聞かせてよ」
「返事は何度も言ってるよ。興味ない、って」

私の回答に、この数週間で何度も見てきた不満げな表情を犬飼くんは浮かべた。それもそうだろう。何せ私は、この数週間ほぼ毎日、彼からの告白を断っているのだから。

「でもちゃん、誰かと付き合ってるわけじゃないんでしょ?」
「だから犬飼くんと付き合う理由にはならないよね」
「俺のこと嫌い?」
「あざとい。嫌いじゃないことが好きな理由にはならない」
「えー」
「そもそも私、人と話すの苦手なの。だから犬飼くんと付き合うことに興味がわかない」

もしここに、嘘発見器でもあったら全力でビープ音を鳴らされそうな台詞に、ちらりと犬飼くんの方を窺う。今のところ、疑われている様子はないことに、内心ほっと息を吐く。
犬飼くんと付き合うことに興味がわかないのは事実だ。そもそも彼に対する私の認識なんて「二宮隊の銃手」くらいなもので、今こうして話していることにすら欠片も感情は動かない。
けれど、私は別に人と話すことが苦手なわけじゃない。こうして犬飼くんと会話が続くくらいには、人並みのコミュニケーション能力を持っている自覚もある。ただ、人に注目されたくない。どこに居ても誰かの視線を集めないような、人畜無害な立ち位置で在りたい。それだけが、今の私の望みなのだ。
それなのに犬飼くんに話しかけられるこの数週間、私は予想外な注目を浴び続けてしまっている。犬飼くんは学校だろうとボーダー本部だろうと、所構わず声をかけてくるから、その度に周囲の視線が集まっているのが解かる。もちろん理由は私じゃなくて犬飼くんだけど、「犬飼くんに好かれているらしい子」として見られることが、私には嫌なのだ。
だって、私が視線を集めてしまったら、彼は私の隣に居辛くなってしまうから。

「…ちゃんってさ」

明確な拒絶を口にしているのに去ってくれない犬飼くんは、僅かな沈黙の後で静かに私の名前を呼んだ。その声は、妙に真剣みを孕んでいて、思わず彼の瞳を正面から見てしまう。そして、直後それを後悔した。
犬飼くんの眼は、暗く淀んだ決意を宿していた。

「…なに?」
「うん。ちゃんって、嘘吐きだなーって思ってさ」
「失礼な。犬飼くんに興味がないのは紛れもない事実です」
「それはーそうかもだけど。でも、人と話すのは苦手じゃないっしょ?」
「………」
「じゃなきゃ、カゲと付き合ったりできないでしょ」
「な……っ」

ガタン、と音を鳴らして立ち上がってしまったのは、図星だったからだ。
瞬間的に集まってしまった周囲の視線に、やってしまったと後悔の言葉が頭を駆け巡る。これまでの会話だって、間違いなく誰かが聞いているのだ。情報は噂となって、ボーダー内を駆け巡るだろう。これは自意識過剰じゃない。話題の対象が、彼だからだ。
別にボーダーは隊員間の恋愛を禁止しているわけじゃないから問題になるわけではないけれど、彼は人からの注目を好きじゃない。だから、私はずっと隠してきた。人に興味がない態度を取ってきた。目立たないように過ごしてきた。
少しでも、カゲの副作用がカゲを苦しめないように。

「どういうつもり、犬飼くん」

今更意味もないことだけれど、静かに椅子に座り直して小声で犬飼くんに問う。
犬飼くんは何故だか、妙に満足そうだ。まるで悪戯に成功した子どものよう。これは、はめられたのかもしれない。脳裏に犬飼くんを頑なに嫌うカゲの姿が浮かぶ。もしかして、カゲは犬飼くんのこんなところが苦手なのだろうか。

「別に、嘘じゃなかっただろ?」
「人のプライベートは、公の場で口にすべきことではないと思うけど」
「俺も普段はそうするよ。でも、今回は別」
「だから、なんで」
「だって、こうしたらちゃんとカゲの関係、変わるかもしれないだろ?」

犬飼くんの言葉に、胸の片隅が小さく傷んだ。
ああ、彼は解かっているのだ。私が恐れていることの総てを。今、初めて私は、犬飼くんを怖いと思った。そして、もっと早くに彼から逃げなかった自分の浅はかさを呪った。

「カゲは他人の視線を好まないから、自分も日陰に生きるとか、すごい献身だよ。ほんと、ちゃんって面白い」
「…犬飼くんには関係のないことでは?」
「それは違うね」

言い切った犬飼くんは、口角を上げて、ニヤリとでも効果音が付きそうな表情で笑みを浮かべる。背中を伝った冷たいものに気が付かないふりをして、必死に彼を睨みつけた。けれど、それすら楽しげに受け止めて、犬飼くんは容赦なく告げるのだ。

「だって俺は、ちゃんが好きだから」

今、この瞬間。私は無性にカゲに逢いたくて仕方なかった。



犬飼くんは、やっぱり病んでる方が書きやすい。
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