強がりな黒猫たちの恋


辻くんは素敵だ。
正直に言えば、一番最初に目を惹かれたのは容姿だった。中学生にしては落ち着いた雰囲気と整った顔立ち。クラスメイトの女の子の大半は、一度は辻くんに見惚れたと思う。まあ、その直後には大抵の子が辻くんの持つ破滅的な対女子免疫の前に玉砕し、辻くんは観賞用、なんて合言葉が出来たりするのだけど。
もちろん、私も辻くんに見惚れた中のひとりだった。世の中にはこんな綺麗な男の子もいるんだと、不思議な感動を覚えた。それから、辻くんを見て「天は二物を与えず」という言葉が正しくて、でも間違っていることを知った。
女の子でさえ憧れるような容姿に、落ち着いた立ち振舞いをする一方で、女の子の前では少しも落ち着けない脆弱な免疫力。勝手に期待して勝手にがっかりする女の子たちに苛立ちを覚えたって当然なのに、辻くんは欠片も腐ってなかった。集団から離れるわけでもなく、団体行動が必要なときは皆が拾い忘れたものをそっと集めておいてくれる、そんな印象。中学時代、イベント事の度に辻くんの無言のフォローに助けられてきた私は、彼を心の底から尊敬していた。もちろん、それはボーダーに入隊してからも変わらない。
たまに「は面倒見がいいね」なんて言われるけど、その評価は私に向けるべきものじゃない。だって、きっと私は誰かが評価してくれたり、「がんばったね」って言ってくれなかったら頑張れないから。自分のための努力は、「面倒見が良い」とはかけ離れている。だからそれは、きっと辻くんのための言葉なんだと、私はずっと思っていた。

辻くんは綺麗で少し無愛想、だけど周囲をとてもよく見ている面倒見の良い人。貧乏くじばかり引かされているように見えるのに、それさえ受け止めて微笑むひと。
私は、そんな辻くんに恋をした。
そして、密かに温めていた恋心が爆発して、見事に玉砕した。

そんなことをポツリポツリと、私は陽介の背中につぶやいた。ただ、静かに相槌を打ってくれる陽介に甘えて。ああ、本当にさいていだ。

「っ…ごめ、ん……あと、ちょっとで、戻るから」

泣いていることが丸分かりな嗚咽が自分の喉から溢れ出る。しっかりしろ。泣き止め。って必死に心に言い聞かせても、込み上げる熱い何かが胸の中で堰き止まらなくて、前を向けない。
そんな私を、陽介は一言「おー」と言って待っていてくれた。何も聞かない。何も告げない。背中に張り付いている私を引き剥がすこともなく、ただただ私の言葉を聞いてくれた。ほんと、陽介は私には勿体ないくらいの友達だ。

「…好き、だったよ」
「ん」
「私じゃ、氷見さんには敵わないって、わかって、る。でもっ…好きなだけなら、いいって。好き、でいるだけ、なら自由だって、言い聞かせてたの」
「うん」
「だって…っ、だって好きなんだもん…止め方なんて、わかんないよ…」
「だよなぁ」

好きになった切っ掛けさえ思い出せない。だって、気が付いたら心が離せなくなっていたのだ、辻くんから。
ピンと背筋が伸びるような空気が好き。静かに紡がれる声が好き。時折溢すように微笑む表情が好き。誰にも言わずに、誰かを助ける心が好き。
辻くんのすべてが、好きなのだ。
この気持ちを止める方法があるのなら、教えてほしい。涙を流せば一緒に零れていくのなら、いくらだって泣いてやる。だってこの気持ちは、辻くんのためになんて、欠片だってならないんだから。

「…まぁ、いいんじゃね?たまには、さ」

何度も何度も嗚咽を飲み込もうとして失敗を繰り返したころ、普段の陽介からは信じられないくらい静かな声が耳を震わせる。私にしか聞こえないくらい小さなそれは、とてもとても優しくて、胸の辺りがほっと温もった気がした。

「普段のお前は泣き言なんて言わねーし、も女子だったんだって実感するぜ」
「む…失礼な。私だって、女の子だもん。だいたい、男子だって泣き言くらい…言うでしょ」
「まーな。でもさ、男なんて格好付けたがるもんじゃん?」
「…陽介も?」
「辻も、じゃね?」

決してこちらを振り向こうとはしない陽介だけど、震えた背中と音で、ケラケラと軽く笑っているのがわかる。そんな陽介の軽口に応える度に、気が付けば喉を震わせていた涙が少なくなっていた。まだ、辻くんを想う心が流れきったわけではないけれど、落ち着いてきた呼吸で息を吸う。一度、二度と繰り返した後で、私はようやく陽介の背中から額を離した。

「ごめん、濡れちゃったね」
「学食の日替わりでチャラにしてやんよ」
「うん。プリンも付けるね」

染みができてしまった陽介の背中に指先を伸ばし、そっと触れる。冷たくなった服に申し訳なさも募るけれど、それ以上に妙な心地好さが勝ってしまった。
陽介が、公平が、みかちゃんが、三輪くんが、大切な友人たちがいれば、きっと私は辻くんへの感情を越えていける。これ以上、引き摺ったりなんかしない。
そう心に書き記して、今度は笑顔でもう一度陽介にお礼を言おうとした、瞬間だった。陽介が、ぽつり無感情に呟いた。

「…やっぱ、格好付けだよなぁ、辻も」

言葉の意味が分からず首を傾げれば、間も無くドタドタと誰かの急ぐ足音が聞こえてくる。
ボーダー内でも人通りが少ない場所を陽介が選んでくれたはずなのに、こんな慌てた人が通りかかるなんて珍しいなぁ。なんて、検討違いがことを考えていた私は、その足音が私たちの方へと近づいてきていることも、陽介が足音の主が誰なのか悟っていたことも、気付かなかった。

足音の主である辻くんが、珍しく顔を真っ赤に染めて現れて、思いもよらない想いを告げていくのは、ほんの数秒後のことである。



我が家の米屋は報われない。
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