わすれえぬひと
「てーつじせーんぱーいっ!!」
自動販売機から吐き出された缶コーヒーの落下音をものの見事にかき消して、呼ばれた名前に荒船は呆れつつも顔を上げた。我が弟子ながら、どこぞの迅さんバカに劣らない忠犬っぷりだ。本部で自分を見つける度に、は何時だって全力でやってくるのだ。
「うるせぇよ。もっと声落とせ、って言ってんだろ」
「あっ、そうでした。哲次先輩を見つけちゃったもので、ついつい」
「つい、じゃねーよ」
「だって、師匠に逢ったら駆け寄りたくなるのが弟子心理ってヤツじゃないですかー」
不満げに口を窄める佐倉に嘆息しつつ、荒船は手に取った缶コーヒーで彼女の額を叩いた。何が弟子心理だ、何が。視線に呆れた感情を籠めて見やれば、額を押さえたままが言った。
「哲次先輩、冷たいです!本部で先輩を見つけた私の感動、返してください」
「どうせ、模擬戦に付き合って欲しいだけだろ」
「違いますよ、今日は。この間の陽介とのランク戦を観て、講評してほしいんです!」
キラキラと向けられる瞳に記憶を掘り返し、そういえば先日「ついに陽介に勝ち越しました!」と報告を受けたことを思い出す。これまでも、あの米屋相手にそこそこの戦績を残していた弟子だったが、勝ち越したのは初めてだ、とテンションの高いメールが届いていた。
もちろん、何だかんだとランク戦のログは観たし、随分弧月の扱いも上手くなったな、と弟子の成長を喜ばしく思ったことも事実だ。しかも相手はA級7位のチームに在籍する米屋。彼を相手に弟子が互角に戦えていることは鼻が高くもある。
だからと言って、それを素直に態度で示してやるつもりは、欠片も荒船には存在しないのだが。
「そういや、観たな。ゼロ距離イーグレットをぶっ放したログ」
「観てくれました!?どうでした、あの戦闘!陽介の行動を推測できてたと思いません?久しぶりに戦略がしっかりはまったんですよー」
「まだまだ、弧月の打ち合いじゃあ、米屋に負けてたな」
「うっ…!そ、そこは確かにそうなんですけど……」
段々と小さくなる語尾に、彼女自身も自分の欠点をしっかりと見据えていることが窺える。荒船はのそんなところが気に入っていた。彼女は決して自分を奢らない。上手くいったことは主張するし、確かな結果を自慢することはある。だが、同時に自分が出来なかったこと、まだまだ未熟なことは認めて受け止めるし、自分よりも優れたものを持つ相手は素直に尊敬し、教えを乞おうと頭を下げる。もちろん、入隊したばかりの隊員に対しては、必要な気遣いや指導もきちんと行っている。
ボーダー内でそれなりの強さを手に入れた今でも変わらない姿に、荒船は密かに口の端を緩めた。そして、ズボンのポケットから取り出した小銭を自動販売機に投入し、迷うことなくカフェラテのボタンを押す。
「おら」
「え、え?なんですか?」
自動販売機から取り出したばかりの缶を、先ほどよりも軽く額に当てる。困惑の表情を浮かべたまま、は荒船に促されるままカフェラテの缶を受け取った。
「俺はこの後、隊でミーティングだ。その後でよけりゃ、反省会してやる」
「えっ、良いんですか!?」
「ミーティング中はそれ飲んで、作戦室で大人しく待ってろよ」
「…作戦室、ついて行ってもいいんですか?だって私、今は鈴鳴第一ですよ…?」
喜んだり困惑したり、随分と忙しいの姿に、思わず荒船は隠す間もなく笑ってしまった。本当に戦闘中以外のこの弟子は、感情と表情と行動と内心が見事に一貫している。よくもまあ、こんな様子で鋼やほかの連中に気付かれないものだ。
「何、今更なこと言ってんだよ。お前に聞かれて拙いことなんて、俺らの隊にあるわけねぇだろ」
「っ!じゃあ、お言葉に甘えます!」
「おう、弟子は素直に甘えとけ。反省会は厳しくいくけどな」
「そ、そこは……待ってる間に、覚悟決めておきます」
またしても言葉尻を小さくて、は作戦室に向かう荒船の後を軽い足取りで追いかける。その姿には、どう贔屓目に見ても、間違いなく荒船への師匠としての信頼と思慕が溢れているから、荒船も荒船隊の面々も、何時だってを快く作戦室へと迎え入れるのだろう。
ほだされている自覚はある。けれど、それでもまだ暫くは師匠として佐倉の傍らを離れる気はないのだと、荒船は密かに自嘲するのだった。
鈴鳴支部っ子と師匠の日常。
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