ひなたのきみ
鈴鳴支部に新たな隊員が転属してきたのは、夏が始まる頃だった。
「本部から転属してきましたです。よろしくお願いします」
村上が通う高校の夏服を身に着けて綺麗に頭を下げた少女は、緊張の所為か、僅かに強張った笑みを浮かべた。よろしく、と支部の面々が笑顔で迎え入れれば、彼女が纏う硬さも少し緩み、ほっと安堵の表情が姿を見せた。
それからと支部メンバーの交流も兼ねて、今が用意したお茶を飲みながら談笑をする中、来馬がに鈴鳴支部に転属した理由を尋ねた。その時のの答えを、今でも村上ははっきりと思い出せる。
「転属は自分で希望したんです。理由は三つほどあるんですが、ひとつは太一が居るからですね。この子にすごく勧められたので、興味を持ちました。もうひとつは―――― 」
* * *
「村上先輩!今、時間ありますか?」
ひょっこりと隣の部屋へと続く扉の陰から、明るい調子の声が顔を出す。視線を向けると、村上が想像したとおり、冬用の制服姿のが立っていた。
「ああ、大丈夫だよ。何かあったか?」
「あ、いえ。何があったわけではないんですが、哲次先輩からこれ、預かってきました」
ああ、そういえば今日は本部に顔を出してくる、と言っていたな。昨日、と太一が話していた内容を思い出し、村上は差し出された紙袋を受け取った。中身は恐らく、以前荒船が話していた映画のDVDだろう。
「ありがとう。配達させて、悪かったな」
「いえいえ。哲次先輩からお駄賃代わりにジュース奢ってもらいましたから、問題ないです。哲次先輩、今度村上先輩と個人ランク戦したいって言ってましたよ」
「そうか。じゃあ、オレからも連絡しておくよ」
よろしくお願いします、と笑うの顔には、もう転属時のような緊張は欠片も見られない。ふと、あの時の彼女の様子を思い出し、村上の口元が自然と緩む。
が鈴鳴支部に転属した日から、すでに季節は巡り、身に纏う制服の衣替えも済んだ。今でこそ鈴鳴支部にしっかりと馴染んでいるだが、もともと本部所属だった彼女が、これまで関係を築いてきた仲間たちと離れ、転属を決断するのは容易なことではなかったのだろう。生来の性格からか、人懐っこく明るいの片鱗は当初から見られたが、今ほどの気安さは当時の彼女にはなかったように思う。
転属の理由を聞いた直後に発覚したことだが、と太一は従姉弟同士だそうで、太一が居たことで多少落ち着いていたものの、やはり受け入れてもらえるかどうか、本人は激しく不安を抱えていたのだと言う。ちなみに情報は今経由だ。今とは、太一おっちょこちょい対策で意気投合して以来、本当の姉妹のように仲が良い。
「確か、荒船に勧められたんだったな」
「えっ?」
「鈴鳴への転属、荒船がに勧めたんだろ?」
緊張と不安の中でも、淀みなくが告げた転属決断の理由を、何故か村上は忘れることができなかった。
ひとつは従姉弟の太一が居ること。そして、もうひとつの理由を彼女は誇らしげに語った。
哲次先輩に、鈴鳴第一の村上先輩を目指すように言われたんです、と。
思い出すと同時に、膝の上の紙袋がズシリと重くなった気がした。
淀みなくが告げた決断の理由は、村上にとっても無関係な内容ではなかった。だからこそ、あの時のの言葉が今なお、村上の頭から離れないのかもしれない。
しかし、そんな村上の思考など知らないは、少しばかり大袈裟な仕草で頭を捻ってみせる。
「うーん、ちょっと違いますね。哲次先輩に勧められたのは、村上先輩の攻撃手としての腕前を目指せ、ってことでしたから」
「…そうだったのか?」
「はい!だって私、鈴鳴支部に転属すること報告したら、哲次先輩に怒鳴られましたもん。なに考えてんだーって」
あれ、お話してなかったでしたっけ。
きょとんと首を傾げる様子に嘘は見えない。いとも呆気なく否定された瞬間、村上は無意識に安堵している自分に気が付いた。一体何に対して安心したのかは分からなかったが、の転属理由を聞いて以来、ずっと胸に引っ掛かっていた何かが、するりと消えた気がした。
「哲次先輩に指導してもらいたいことは、まだまだ沢山ありますけと、私は鈴鳴に転属して毎日楽しいですよ」
「そうか…確かはパーフェクトオールラウンダーを目指しているんだよな」
「はい、そうです。哲次先輩の理論に感銘を受けて、弟子入り志願したんです。まあ、まだまだ道は遠いんですけどねぇ」
そう言っては肩を竦めるが、確か先日、狙撃手のポイントはマスタークラスに達したと言っていたはずだ。確かに攻撃手としてはまだ中堅レベルだが、彼女の成長には目を瞠るものがあると、師匠である荒船も満更ではなさそうに語っていた。
「特に弧月の扱いが苦手なので、哲次先輩に相談したら、村上先輩のログを紹介してくれたんです。それで、哲次先輩だけじゃなくて、村上先輩にも教えを請いたいな、って思っちゃいました」
「そう言うことだったのか」
「そう言うことだったわけですねー」
の同意の言葉に、意識せず深い呼吸が漏れる。それに目敏く気が付いたは、わざとらしく明るい調子で喋りだした。
「もしかして村上先輩、私が哲次先輩に言われて嫌々鈴鳴に来たって思ってたんですか?私、そんなに良い弟子じゃないですよー」
「いや、は荒船にとって自慢の弟子だと思うよ」
「いやいや、哲次先輩に限ってそれはないですって。というか、私は結構自分勝手ですから、鈴鳴に来たのも全部自分の意志ですよ」
清々しく笑ったは、何か思い立ったように、ぽんと手のひらを打ち合わせる。その表情は悪戯を思い付いた子供のようでありながら、何かを決意した力強い意志を村上に感じさせた。
「村上先輩、私が鈴鳴支部に転属を決めた理由、三つあるって言ったの、覚えてますか?」
「ああ、覚えてるよ。三つ目は秘密なんだろ?」
「好きだから、ですよ」
え、と聞き返す隙すら、そこにはなかった。
「転属の一番最初の切っ掛けになった三つ目の理由は、村上先輩が好きだからです」
一瞬どころか暫く身動きひとつ取れず、瞬きすら忘れているような時間が村上を襲う。なんだ、今のは。問い掛けてみても答えがただのひとつも湧いてこない。
村上が凍り付いている間もしっかりと時を動かしていたは、くるりと身を翻すと何一つ変わらぬ声音で言う。
「まあ、そんなわけで、私はこれから太一と訓練なのでこれで失礼しますね。哲次先輩によろしくです!」
そして、颯爽とスカートを翻しては扉の向こうへと消えていく。
ひとり部屋に残された村上はと言えば、固まった姿のまま長い間動きだすことも出来ずにいた。漸く身体が動いたのは、膝に乗せた紙袋が手のひらをすり抜けて、音を鳴らして床に落ちた後だった。
荒船弟子の17歳。
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