宛先不明のラブソング


彼にとって、自分という存在がどれほどのものなのか、わからなくなってしまったのだ。
今の彼の生活の中には確かに私がいるけれど、私が居なくても彼の生活は問題なく構築されていくことが解かっていて、怖くなった。これ以上彼の傍にいれば、私にとっての彼の存在が、それこそ投げ出せなくなるくらいに大きくなりそうで。
それは、彼を失った瞬間に、私が壊れてしまうんじゃないか、って不安を抱かせるくらいに、恐ろしい事実だった。



「と、言うわけで。太刀川くんと別れようと思っているので、手伝ってください」
「何が、『と、言うわけで』なんだ」

ビール片手に頭を下げた私に、風間くんは呆れたように呟いた。風間くんの言葉は最もだったが、かくいう私もこれ以上の説明を持たないため、「何が」と問われても困ってしまうのだが。けれど、私に解からない私の問題を察してくれと言われた風間くんの方が、よっぽど困っているのが現状だろう。

「とりあえず、今いろいろ考えた結果、風間くんには何一つ『と、言うわけで』の内容を説明していないことに気が付きました」
「気が付いたなら説明しろ。で、あいつが何かしたのか?」
「あっはっはっ。まず疑われちゃうところが、太刀川くんの人間性を如実に示しているね」
「なんだ、違うのか」
「うん、まあ。違うかな」

チェーン店の居酒屋には大抵揃っているおつまみを突きながら、なんと言ったものかと考える。
太刀川くんと私がいわゆる恋人関係になったのは、ほんの数カ月前のことだ。出逢いは同じゼミの風間くん経由で、気が付けば太刀川くんのレポートの手伝いをするようになっていた。まあ、太刀川くんは大学でも有名だし、私も名前くらいは知っていたけれど、まさか彼から告白なんてものを受けるとは思ってもいなかった。太刀川くんのことは嫌いではなかったし、一緒に課題に取り組む中で多少の好感は抱いていたから、私は数日悩んだけれど、彼の想いに応えた。ちなみに、悩んでいる最中に風間くんに背中を押してもらったことは彼には話していない。
実のところ、すぐに太刀川くんの方から別れを切り出されると思っていたことも、彼の告白を受けた理由のひとつだった。どこにでも居るような大学生の私と、ボーダーでもトップクラスに属するらしい太刀川くん。誰がみたって、釣り合っているとは思えない。自分を卑下するわけではなく、単純に太刀川くんもすぐに飽きるだろうと、高を括っていたのだ。

「だけど、太刀川くんは今も私と別れようとはしていないでしょ?その間に、私の方が太刀川くんのこと本気になってきそうで」
「…怖いのか?」
「うーん、そうね。捨てられるときに、傷が深くなりそうで怖い。太刀川くんには何の非もないのに最低だ、って思われると思うけど、私が逃げたくなっちゃったの」

私の無神経な言葉を、風間くんは何も言わずに聞いてくれた。そういえば、太刀川くんに告白された相談をした時もそうだったっけ。ほんの数カ月前のことを思い出して、なんだか楽しくなって口元が綻ぶ。
何かを考え続けている風間くんの返答を待ちながら、たこわさに手を伸ばす。口に運んでビールを一口飲んだところで、風間くんの携帯が震えた。風間くんは私に一言断ってから画面に目をやり、何かを入力した仕草のあとでテーブルに戻す。こんなちょっとした気遣いが、風間くんらしいところだ。大学でも風間くんのファンは多いし、同じゼミには風間くんに告白して玉砕した子も何人かいるらしい。
一方で太刀川くんも風間くんとは全然違う性格だけど、その風貌とボーター隊員としての実績からか、とても人気がある。友人の話では、あの少し危険な感じが良いらしい。どちらかと言えば生真面目なタイプの私と太刀川くん。うん、とても似合いの恋人同士とは思えない。まあ、でもそんな彼と私の我が儘で別れようとしている私は、危険な感じどころか、人間として最低なのかもしれない。

「…それが、が悩んだ結果なら、俺は何も言わない」
「え…?」
「お前にあいつを紹介したのは俺だからな。が太刀川と別れたいというなら、俺のできる限りは協力する」
「本当に…いいの?」
「ああ。俺の知るお前は馬鹿じゃない。一時の感情で結論を出す人間じゃないだろう」

真面目な表情のまま淡々と告げてくれる風間くんに、目頭が熱くなるくらい嬉しかった。風間くんは、どうしてこんなに私の欲しい言葉をくれるんだろう。ほんとに、私には勿体ないくらいの友人だ。

「風間くん、それめちゃくちゃ殺し文句だよ」
「なんだ、それは」
「風間くんにはいつも助けられていて、本当に感謝してます、ってこと」
「そうか。だが、協力する前にひとつだけ俺も言っておく」

少しだけ、居住まいを正した風間くん。つられるように、私も箸をおいて背筋を伸ばした。

は、いつか太刀川がお前を捨てると言うが、俺はそうは思わない」
「それは…」
「俺から見た太刀川は、が感じている以上にお前に惚れている。俺は、そう思ったから太刀川に頼まれてお前との橋渡しをしたんだ」
「え、うそ。太刀川くんに頼まれてだったの?」
「なんだ、太刀川に聞いてなかったのか。あいつにお前を紹介する前から、あいつはお前のことを知っていたぞ」

それは私にとっては寝耳に水な新事実だった。太刀川くんと違って、私は大学でも目立たないタイプの学生で、接点なんて全くと言っていいほどなかったはずなのに。もしかして、私は彼のことを全然知っていなかったのだろうか。いや、知ろうとして、いなかったのかもしれない。

「お前が考えて辿りついた結論であることは分かっているが、その前に一度、太刀川と話をするべきだ。それでも結論が変わらないなら、俺はお前に協力する。お前を引き留められない太刀川が悪い」
「あはは、辛辣だねー…でも、うん。ありがとう、風間くん。ちょっと、私も焦ってたかな」
「問題ない。が悩んでいるのは随分前からだろう。それに気が付かない太刀川が悪い」
「太刀川くんの悪いところ、二連発だね」

少しばかり笑みが浮かんだ風間くんの表情に、私もふふふ、と堪えきれず笑ってしまった。
気が付けば、お互いのコップの中身も空に近かった。追加でも頼もうかとメニューに手を伸ばすと、再び風間くんの携帯が震える。また断りを入れて、風間くんが画面に目をやった。

「風間くん、大丈夫?任務だったら、私のことは気にしないでくれて大丈夫だよ?」
「……は、普段から太刀川に対してもそう言っているのか?」
「任務のこと?まあ、そうかな。だってボーダーの任務は大事なことだし、太刀川くんにとっては生き甲斐みたいなものでしょ?とりあえず、生きて帰ってきてね、とは言ってるよ」

だって、太刀川くんは戦闘狂だと諏訪くんに聞いたから。きっと「怪我をしないでね」というお願いは彼にとって足枷にしかならないと思った。でも、ちゃんとまた逢いたいから。帰ってきてね、くらいの我が儘は口にしたいのだ。
そう説明すると、携帯から手を放した風間くんは、幽かに笑った。

「太刀川には、勿体なさすぎるな」
「え、逆じゃなくて?」
「ああ。さっきの連絡だが、二度とも太刀川からだ。お前の居場所を俺に聞いてきたから、教えておいた」
「……………はい?」
「二度目の連絡は、もうすぐここに着くという連絡だ。お前を引き留めておけ、と書いてあった」
「え、ちょ」
「今日は二人で満足するまで話し合うんだな」

それは今の私にとっては死刑宣告そのものでしかなく。
そう言って、テーブル越しにニヤリと笑った風間くんの顔を、私は決して忘れることができないだろう。




太刀川さんにベタ惚れされる21歳(大学生)。
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