思索系少女の望郷論


「相手が近界民だったら、荒船は躊躇わずに斬れるのかな」

唐突な問いかけに目を瞠ってすぐに何も返すことができなかったのは、可笑しなことではないはずだ。表情ひとつ変えず、世間話の合間にさらりと毒を投げ込んできたに荒船は思った。

「…なんだよ、その質問」
「ああ、ごめん。そんなに深い意味で聞いたわけじゃなかったんだ。気に障ったなら謝る」
「そういう意味じゃない。お前、俺にどう答えてほしいんだよ」

作戦室のデスクに二人向き合って座っているのは、間近に迫ったB級ランク戦の助言を彼女に貰うためだった。はソロのB級隊員だが、実力も経験もA級上位と言っても過言ではない。ましてや、荒船にとってのは攻撃手としての師匠のような存在だ。もちろん、実際に師弟関係にあったわけではないから、荒船が一方的にそう思っているだけだが。
だから、そんな質問が飛び出すようなときではなかったはずだ。机上のタブレットに視線を落としながら、荒船は考える。なぜ彼女はこんなことを聞いてきたのか。今、それも自分に対して。は馬鹿ではないし、感情よりも理性で動くタイプだ。それは彼女の戦闘スタイルにも如実に表れていて、荒船が一手先を読んで動く中、は数多の三手先の可能性を念頭に置いて弧月を振るう。そんな彼女が行き当たりばったりやその場しのぎ、ましてや深い意味もなく問いを口にするはずがない。

「本当に深い意味なんてないよ。率直な意見が聞きたかっただけだって」
「お前に限ってんな訳ないだろ。いったいどういう意図だ」
「意図ねぇ…」

ふむ、と言葉の意味を咀嚼するように一息ついたの指が、肩に届く黒髪に伸びる。くるくると指で髪先を弄るのは、思考するときのの癖だ。そのせいか、右側だけ少しばかり癖のついた髪先に、荒船の視線は自然と吸い寄せられる。あの髪に触れたいと思うようになったのは、いったい何時のことだったか。思い出せないくらいにいつの間にか胸中に産まれた感情に、荒船は内心舌を打つしかできなかった。

「ボーダーの人達は、近界民が三門市に現れたら、殺すことも選択肢のひとつとして考えると思った」
「…は?」
「選択肢の基準のひとつは、ボーダー或いはこの世界の人にとって、近界民は同じ人間ではないから。まぁ、やられたらやり返せ精神も、やられる前にやれ精神も当然の感覚だし、相手を自分と違う存在だと捉えていれば、可笑しな選択じゃないよね」
「な…」
「でも、なら近界民ではなくとも、こことは違う別の世界から来た私も同じことなのか。はたまた、違うといえども、地球人の私も近界民に対して三門市民と同じ立ち位置に立つべきなのか」
「ちょ…まっ」

荒船は思わず周囲を見渡して、作戦室に自分達以外の人間が居ないことを確認してしまった。当然だが、辺りに人の気配はなく、安堵するとともに鋭くを睨み付ける。

「お前な…!近くに俺以外のヤツがいたらどーすんだ」
「え、大丈夫だよ。倫ちゃんは今日非番だし、経験則だけど、ランク戦をしに行った穂刈と半崎くんは、最低でもあと二十分は戻らないから」
「そういう問題じゃねぇだろ」

がこの世界の人間でも、近界民でもないと知っているのは、ボーダー内でも限られた人間だけだ。あくまでも他言無用、トップシークレットな話題にも関わらず、当の本人はさして気に止めずに、大した話でもないように口にするから周囲は何時もヒヤヒヤさせられている。
かくいう荒船がの境遇を聞いたのは、彼女に自分の思いを告げた直後だった。「お前のことが好きだ」と言った荒船に対し、は僅かに考えた後、「自分はこの世界の人間ではない。近界民でもない。よく似た別の世界から来た、居るべきではない存在だから、荒船の思いには応えられない」とハッキリと宣った。
一瞬どころか十数秒、荒船は彼女の言葉が理解できなかった。しかし、は薄っぺたな嘘を吐くくらいなら、人を傷つけてでも真実を口にするような人間だ。その程度にはのことが分かるくらいに傍にいたのだ。荒船はの言葉が本当のことなのだと悟った。その上で、なぜ自分にそんな重大な秘密を明かしたのかと尋ねれば、は「荒船が諦めるには、ほんとのことを話すのが一番効率的だと思ったから」だと言ってのけた。最悪だ。荒船には手のひらが鬱血するほどに拳を握ることしか出来なかった。は、たった一言で荒船の進路を全て断ち切ったのだ。ある、不合理な態度を除いて。

「別に、穂刈と半崎くんなら聞いても他言しないと思うよ。だって、荒船の隊の人だし」
「…そういうの、さらっと言うのやめろ」
「なんで?嘘じゃないから問題ないよ」
「お前のそう言うところ、マジで性質悪いな」

あからさまなため息に、は首を傾げるが、こればかりは自分に非はないと荒船は思っている。

「まあ、結局のところは私と近界民の違いってあるのかな、って聞きたかっただけ。存在が違うのは分かってるんだけど、皆からの認識と対処の面で、ね」
「で、なんで俺に聞いたんだよ」
「それこそ深い意味なんてないよ。荒船なら、私が納得できる答えをくれると思っただけだから」

その回答は、一切の迷いも躊躇いもなく告げられたものだから、再び荒船は大きな息を吐いて頭を抱えた。

「だから…そういうのやめろって言ってんだろ。大体お前、なんで何も変わんないんだよ。普段のお前なら、俺のこと振っといて、その後も普通に付き合うとかしないだろ」

そう、明らかにの態度は普段の彼女とは違った。普段の彼女ならば、荒船を完膚なきまで振った以上、その先の関係も断っているばずだった。荒船がを忘れるよう、これ以上近づきすぎないようにするため、合理的に考えるならば、は荒船から離れるべきだ。そして、荒船が知る彼女なら、間違いなくそうしている。
にも関わらず、荒船に故郷の話をした後もは何も変わらなかった。今までのように話しかけてくるし、ランク戦の相手もするし、荒船に根拠のない絶対の信頼をよせて、彼女の頭を悩ませている良くわからない質問をしてきたりもする。荒船には、言葉と一致しないの態度が不可解でならなかった。
半ば苛立ちをぶつけて問いかけてしまったことに僅かな後悔もあり、探るようにを見やる。そこには、珍しく答えに躊躇う彼女の姿があった。あーとか、うーとか言葉を探りながら、視線があちこちにさ迷っているところを見るのは、荒船も初めてだった。驚きを隠せない荒船に、は歯切れ悪く言った。

「私にも…良く分からないんだ。ほんとは、荒船の前から消えるべきだって分かってる。だけど、なんでかな。なんとなく嫌な気がして。上手く言えないんだけど、荒船に…逢いに来ちゃうんだよね」

瞬間、身体の内側から一気に噴き出した熱に駆られて、荒船は自身のキャップを乱暴にの頭に被せた。キャップのつばを掴み、思い切り下へと引く。視界が塞がれたからは、当然とばかりに困惑と抗議が寄せられた。

「ちょ、荒船?いきなり何?見えないんだけど」
「…見んなよ」
「何それ。荒船こそ意味わからない」

なおも不満げなを無視して、荒船はひたすらにキャップを押さえたまま、手のひらで顔を覆う。こんな赤くなった姿を見せられるわけがない。早く冷めろと願いながら、この先も褪めない感情に覚悟を決めるしかなかった。




健気な荒船くんと無自覚トリップ少女。
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