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真昼の夜光虫 「歌川、ドクターストップだそうです」 防衛任務前、作戦室に現れた菊地原の第一声はそれだった。「こんにちは」でも「お疲れ様です」でもない淡々とした一言に、慣れない人間ならば不快感のひとつも覚えただろう。しかし、彼の言葉を受け取った三人は何れも菊地原と付き合いがある。「そうか」と、返された言葉も随分と平淡なものだった。 「熱が結構高いみたいなので、病院に連行されました」 「大丈夫かしら、歌川くん…」 「寝てれば治るんじゃないですか?というか、体調悪いのに防衛任務に来ようとするとか、やめてほしいですよね。遷ったらどうするつもりなんだろう」 「歌川くんは責任感が強いから。ちゃんと、休んでくれるといいわね」 「なんか、医務室でも任務任務煩かったんですよ」 嘆息混じりに椅子に向かった菊地原が言う。皮肉めいた言葉は誤解を生むことも多いが、端々にチームメイトへの気遣いが含まれていることを、風間も三上も知っていた。だからこそ、無理をしてでも任務に出ようとしていた歌川を、率先して医務室に連行したのだろう。もちろん、安定の口の悪さを発揮してではあったが。 生真面目なチームメイトが無事退場したことで、風間隊の作戦室には安堵と共に、奇妙な緊張感が漂っていた。風間も三上も菊地原も、次の言葉を口にするのを躊躇っている。数十秒の沈黙の後、仕方なしと言わんばかりに息を吐いた風間とて、自分が年長者でなければ避けたかったところだ。 歌川の病休が確定した以上、この後の防衛任務に向けて、人員を補給しなければならない。待機任務や訓練で本部に来ている誰かを、自分たちで見つけるか、本部の担当に頼むか。方法はいくつかあるが、まずは次の行動に進むため、口火を切る必要があるだろう。『歌川の代理をどうするか?』と。 たとえ、その一言をうずうずと待ち構えている「三人目」が、作戦室内にいると分かっていたとしても。 「歌川の代わりだが、」 「はいはいはい!俺が出ます!!」 「三上、今日の待機任務のメンバーはわかるか?」 「今、確認します」 「ちょっ、風間さん、スルーしないで!俺、今日非番だから!!」 三人目こと太刀川の溌剌とした声に、すっと風間の眼光が細く尖る。これから起こるありふれた光景に飽きたのか、すでに菊地原はスマートフォンを弄り始めていた。それくらいには、結果が明らかなやりとりだったのだ。 「黙れ、太刀川。お前は黙ってレポートを片付けろ。だいたい、どうして自分の隊の作戦室でやらない。忍田本部長の頼みでなければ、即刻叩き出しているぞ」 「え、えー風間さん冷たい…こんなの一人で出きるわけないじゃん」 「……細切れに切り刻まれてレポートが出来なくなるのと、今すぐ黙ってレポートを進めるのと、どちらがいい」 「…レポートやります」 感情という感情を排除した表情で告げられれば、太刀川とて再びパソコンに向かわざるをえなかった。風間からすれば、助言を求めるために自分らの作戦室に太刀川がいることを黙認しているだけでも、最大限の譲歩なのだ。これ以上の温情は欠片も存在する訳がない。 冷えきった空気がまだ残る中、徐に菊地原はスマートフォンから顔を上げる。先ほどまでの茶番劇など、存在しなかったとばかりの様子で、風間へと視線を向けて言った。 「歌川の代わり、で良いですよね」 「…か?」 「、今日非番ですけど訓練には来てるはずだし、うちの邪魔にはならないくらいの実力はありますから」 まあ、それなりに、ですけど。 唇を尖らせて、仕方なしの評価であるかのように見せても、菊地原の本音など風間にも三上にも手に取るように分かる。天の邪鬼な隊員の態度に、風間は小さく息を漏らした。 「の実力なら問題ないだろう。…だが、無理強いはするなよ」 「がぼくらの誘いを断るわけないじゃないですか」 そこには僅かな疑いもないと言わんばかりの菊地原に、三上が目に見えて苦笑する。確かに三上の知るならば、余程の予定がない限りは菊地原の頼みを断ることはないだろう。 周囲からしてみれば甘やかしている、とも取れる彼女の行動は、彼女の中でのルールに則っているのだと聞いたのは菊地原にだったか。それを聞いたとき、三上は「確かに」と納得したことを覚えている。再三にわたる菊地原からの風間隊への勧誘に是と応えないのは、の中できっちり線引きされた彼女のルールのせいなのだろう。 「もしもし、?今どこ?……今すぐ風間隊の作戦室に来てよ……うん、そう……いいよね……うん、じゃあ急いでよね」 電子音を鳴らし、通話を終えた菊地原は、何故か眉間に皺を寄せてスマートフォンの画面を見つめ続けた。自分の忠告など素知らぬ口調で紡がれた会話に、苦言のひとつでも告げようとした風間の気を削ぐくらいには、あからさまな不機嫌具合だ。菊地原の応対を聞く限り、了承を得たのだろうが、いったい何があったのか。さっきまでとは異なる緊張感に、風間と三上は思わず顔を見合せた。 その空気を破ったのは、ガタンと乱暴に席を立った菊地原自身だった。 「…ちょっと、ランク戦ロビー行ってきます」 「なんだ、には断られたのか?」 「違いますよ。ただ…電話の向こうが無駄に煩かったんで。ちゃんとすぐ来るかどうか、確かめに行くだけです。遅れられたら迷惑ですから」 すぐ戻ります、と早足に菊地原は作戦室を出る。まさに一目散という言葉がぴったりだ。 菊地原の耳に届いた「煩かった」ものは、おそらく彼女と親しい友人たちの声なのだろう。これだけの独占欲を見せるのだから、もっと菊地原は素直になれば良いと三上はいつも思っている。もちろん、思っているだけで口にすることはないのだが、微笑ましく眺めるくらいは許されるだろう。 「防衛任務のメンバー変更、申請しておきますね」 「ああ、頼む」 数分待たずに菊地原に手を引かれてやってくるだろう彼女を確信し、三上は端末に向かう。直後、珍しくも肩身狭そうにノートパソコンの前で沈黙を守っていた男が口を開いた。 「なぁなぁ、風間さん。って誰?A級にそんな奴、いたっけ?」 「…レポートを片付けると言った自分の言葉を忘れたのか」 「忘れてない!忘れてないけど、気になる!だってあの菊地原が実力を認めてるなんて、滅多にないだろ」 「…は菊地原の幼馴染みで、B級ソロの射手だ。お前のところのオペレーターと親しいはずだぞ」 「へっ?B級なの?」 瞬間、明らかな驚愕と失望の感情が太刀川の顔に浮かぶ。どうせ戦闘バカな太刀川のことだから、強い相手であればランク戦でもけしかけようと考えていたのだろう。 風間からすれば、自隊の隊員の面倒を看てくれるを太刀川に売るのは忍びなかったが、事実を告げることで自身の可能性を広げることに繋がることも考えられる。相手はいくらバカと言えども、個人ランク一位の攻撃手だ。戦闘面だけであれば、学べる部分もなくはないだろう。 菊地原がこの場にいれば全力で嫌な顔をされただろうが、これもの世界を広げるためだ。後から寄せられるだろう苦情を覚悟したうえで、風間は答えた。 「は隊に所属していないからな。射手用トリガーとスコーピオンは、どちらもマスタークラスなはずだ」 「へぇ…実力あるのにチーム作らないってことは、わけありか?」 「本人はお前と正反対の真面目な努力型だ。…問題は、菊地原だな。がどこかの隊に勧誘されると、相手にランク戦を挑み完膚なきまでに叩き潰すらしい。その上で、への勧誘を取り消させるそうだ」 「うわーそれ、B級相手だろ?えげつないなー」 「それが数回続いて以降、自身が誘われた時点で断るようになったそうだ。B級ではあるが、個人ランク戦では歌川相手に余裕で勝ち越すぞ」 風間の回答にひゅーと愉しげな口笛が鳴る。テーブル越しに太刀川を窺えば、先ほどまで死んだように生気を失っていた眼がギラギラと輝いていた。風間自身、煽った自覚はあったが、それにしても随分と食いつきがいい。これは言葉を誤ったか。分かり易過ぎるほどの反応に、風間は内心深く息を吐いた。 「…レポートが終わらない限り、との対戦は諦めるんだな」 釘を刺したところで、この男が自分の欲望を諦めるわけがない。ならば、防衛任務の代打を務める今日くらいは逃れさせようと、風間は焼け石に水と分かっていながら告げるのだった。 |