ボックスセレストの鏡像
「こんにちは、出水くん。柚宇、いるかな?」
呼び音に作戦室の扉を開けると、にこりと笑うが立っていた。途端、自分の後ろから聞こえだしたドッタンガッチャンという音を無視して、出水は口を開いた。
「どーもです、さん。柚宇さんならそこで慌ててゲーム片付けてますよ。どうぞ、入ってください」
「ありがとう、出水くん。お邪魔します」
感謝の言葉とともに頭を下げたは、出水に促されて部屋に入ると一直線に作戦室のゲームエリアへと向かう。どこからか、怨めしげな視線が向けられていることに気がついていた出水だったが、それも無視して扉を閉めた。
「柚宇」
声の調子は変わらないが、明らかに普段と纏う空気が違う。の背中を眺めながら出水は思った。この人、ちゃんと怒ったりするのか。
一方、不穏な空気のに名前を呼ばれた国近はといえば、テーブルの上に鎮座していたゲーム機を片付けようとした体制でピタリと動きを止めている。蛇に睨まれた蛙。そんな言葉がぴったりだ。古い玩具のような動きでぎこちなくの方を見上げると、国近は堅く強張った声で言った。
「ど、どしたの、…?連絡なしで来るなんて、珍しいね」
「そうだね。丁度、柚宇に渡したいと思ってたものが出来上がったから、少しでも早く渡せたらって思って、直接来たの。連絡しなくてごめんね」
「う、ううん、それは平気だけど」
「よかった。それで、確認なんだけど、柚宇はこの間渡した試験対策の問題集、ちゃんと終わらせたんだよね」
「そ、それは」
「だってゲームする時間があるんだもの。ちゃんと、終わったんだよね」
「すみません終わってないですごめんなさい」
最後の方はすでに音になっていないくらいに小さな声で告げて、国近は深々と頭を下げる。それこそ、床に額がつくのではないか、というくらいの下げっぷりに、ことの成行きを見守っていた出水は思わず吹き出してしまった。
友人のいわゆる土下座を目の当たりにした側のは、予想していた結果とは言え、あまりに「らしい」行動にため息しか出てこない。肺の底から大きく息を吐き出して、未だ地面と近い国近の傍らにしゃがみこんだ。
「いいよ、柚宇。わかったから、とりあえず座ろう。私も柚宇にプレッシャーかけすぎちゃったね」
「うううぅぅ…ご、ごめんね、…」
「柚宇が勉強好きじゃないのは知ってるもの。それでも、頑張ろうとしてることもわかってるよ」
「…!」
「でも、ゲームに逃げちゃったのは、ダメなことだからね」
「はい……ごめんなさい」
まるで親に隠れてご飯の前にお菓子を食べたことがばれた子どもみたいだ。強ち大した違いのない様子に出水の感心は尽きない。柚宇との仲が良いことは以前から知っていたが、学校も違うしタイプもまったく違う二人だからこそ、どんな友人関係を築いているのかと不思議に思ったこともあった。しかし、どうやらタイプが違うからこそ、うまい具合にバランスが取れているらしい。
意気消沈した様子の柚宇と並んでソファーに座ったは、テーブルの上のゲーム機を丁寧に端に寄せると、代わりに数冊のノートを鞄から取り出して広げた。表紙に幾つかの科目名が記載されているところをみると、どうやら忍田本部長経由で依頼のあった、遠征組試験対策に関わるもののようだ。
「これは?」
「柚宇と同じ学校の子に頼んで、試験範囲とかノートとか見せてもらったの。それから、担当の先生の傾向とかも教えてもらって、絶対これだけは覚えてほしい部分を纏めてみたから」
「が…?まとめてくれたの?」
「うん。試験をパスするためだけに勉強してほしいわけじゃないけど、柚宇が嫌なことを押しつけるのも違うと思うし。でも補習になるわけにもいかないでしょ?だから、少しでも勉強するところ、覚えるところを絞ってみたの。ほんとは早めに持ってきたかったんだけど、纏めるのに時間かかっちゃってごめんね。これを使って、もうちょっと一緒に頑張ってみよう?」
「わーん、ーー!!!」
喚声とともに勢いよく飛びついてきた国近をが支える。よしよしと頭を撫でる姿は完全にダメな子どもと母親の図だ。とても同い年とは思えない。その光景を一歩離れた位置から眺めていた出水は、ふと頭を過った疑問をに投げた。
「柚宇さんとさんって、高校別でしたよね」
「そうだよ。私は荒船くんたちと同じところだから」
「ってことは、テストの範囲も勉強の進み具合も違うんですよね」
「まあ、そうかな」
「…それ、作んのめっちゃ大変だったんじゃないですか?」
それ、と言って出水が指さしたのは、当然先ほどがテーブルの上に広げたノートで、未だの首に縋りついたままの国近も同意するように数度頷く。
そもそも、今回の遠征組試験対策だって、別に上からの命令だったわけではなく、ただ忍田本部長やA級二位の隊長に直接頼まれたから、や荒船といった進学校組の面々が善意で対応していると出水は聞いている。普通校も進学校も試験期間はそう大きく変わるわけではないから、進学校組の彼らだって自分たちの勉強があるはずだ。にもかかわらず、ここまで親身に、しかもサボってゲームをするような相手に時間を割くなんて、出水には考えられないことだった。
しかし、はほんの少し悩んだだけで、さも当然のように言うのだ。
「確かに少し時間はかかったけど、私の勉強にもなったし、何より柚宇が遠征に行けなかったら、私が嫌だから。別に大変とは思わなかったよ」
「うへーさん、どんだけ人がいいんですか」
「そんなことないと思うけど…だって、遠征に行った後の柚宇から聞く話は面白いし、太刀川隊と冬島隊が機能しなくなったら、風間隊にも負担がかかるし…うん。私にとっても大問題だよ」
ちなみに風間隊にかかる負担が大きくなることと、菊池原の機嫌が悪くなることは相関関係にあるため、巡り巡ってにも大きな影響を及ぼす可能性が高いのだが、は詳しくは語らないでおくことにした。それよりも、出水の発言に否定すべきことが残っていたからだ。
「出水くんは私のこと『人がいい』って言うけど、そんなことないよ。ねぇ、柚宇」
「そーだねー。は自分で納得したこととか、やるって決めたことしかやらないから、誰にでも良い人じゃないかなー」
「…柚宇、言い方は選んでほしいなぁ」
「あ、ごめーん」
思いがけない国近の発言に、へぇと出水の口から感嘆の声が漏れる。出水から見たは、穿った見方をすれば「甘い」とか「八方美人」とか言われてもおかしくないくらいに「いい人」だった。しかし、より親しい仲の国近から見たは違うのだと言う。ただの「いい人」なのではなく、「自分に正直」なのだと、国近は言う。
「だって、わたしがいくら誘っても、普段はゲーム一緒にやってくれないもん。ほかの子とはやってるのにー」
「柚宇とゲームやると終わりがないからね。何かのイベント事以外では、柚宇とゲームで対戦しないって決めてるの。でも、柚宇がゲームをしているのを観るのは好きだよ。ゲームも嫌いじゃないし」
「わたしは一緒にやりたいの!」
「柚宇が赤点回避できたらね」
朗らかに微笑んではいるものの、確かにの意志は固いようで国近の懇願にも揺らぐ気配を見せない。
ああ、もしかしたらこういうところが合ってるのかもな。とても近い距離のまま、くだらないやり取りを繰り返す二人を見て、出水は納得した。ただ甘やかすだけじゃない。相手の意見を全て聞かないわけでもない。ある意味で、はとても真っ直ぐに、出水には見えた。
「そうだ。柚宇が赤点回避できたら、柚宇も一緒に映画を観に行こうよ」
「映画?にしては珍しいチョイスだね」
「うん。当真くんがね、赤点回避したら一緒に行こうって誘ってくれたの。柚宇との約束と同じね」
「……え、それって」
デートの約束じゃねーの?と出水が口を挟むよりも先に、国近の必死な声が割り込んできた。
「はいはいはい!わたしも映画観たいなー」
「や、柚宇さん、駄目でしょ。当真さん、さんと二人で行きたいんだと思いますよ。さんも、当真さんが不憫ですから他の人とか誘っちゃマズいですよ」
「え、そうなの?」
「どー考えてもそうでしょ」
ギロリ、先ほどよりも何倍も鋭い視線が出水に突き刺さる。出所は明らかだし、理由も何となく理解できたが、如何せんこのままでは当真が可哀そうすぎる。出水は今のところ誰の味方でもないのだ。これくらいの助言は許されるだろう。
案の定、出水の言葉を噛み締めて暫し思案したは、国近を首から剥がして向かい合った。
「ごめん、柚宇。確かに出水くんが言ったとおり、当真くんに確認もしないで決めちゃいけなかった。映画は今度また、ふたりで行こう」
「え、えぇぇー」
「私から言ったのにごめんね。試験が終わったら、埋め合わせする。出水くんも、教えてくれてありがとう」
「あーいえいえ」
それじゃあ、そろそろ勉強はじめようか。
話はここまで、と言わんばかりに区切りをつけて、はテーブルにノートや筆記具を広げだす。未練たらたらな国近に気がついているだろうに、容赦なく切り換える様は、出水には中々に新鮮で、とても興味が惹かれる光景に見えた。
それから、本日分の勉強を終えてが作戦室を去ったあと、出水が溜まりに溜まりかねた国近の手によって、首を絞められ頭を前後に振られたことは、言うまでもない。
国近と仲良し。その後出水は当真に感謝され、荒船にどつかれたと思われます。
( close )
( close )