或る日の戦車たちの集い
ボーダー内ラウンジで繰り広げられている何とも珍しすぎる光景に、村上は無意識に足を止めてしまった。
「…当真が勉強なんて、珍しいな」
目の前には六人掛けのテーブルに座る当真・荒船・の三人と、テーブルの上に広げられた教科書やノートに問題集。中高の試験が近づいた時期であるため、別に「勉強をしている」という行為が物珍しい訳ではない。荒船やだけならば、よくある風景として受け止められただろう。しかし、その中に当真がいるとなれば話は別だ。明日、と言わず今からでも暴風雨、トリオン兵の雨あられが降り注いでもおかしくない光景に早変わる。
「よお、村上。お前はランク戦か?」
「ああ、この後カゲと約束してる。当真たちは試験勉強か?」
「まーそんなとこだ。時間あるなら付き合えよ。英語のヤマ、張ってくれ」
「くだらないことを言ってる暇があったら手を動かせ、当真」
ギロリと帽子の陰から覗く荒船の視線に、当真が両手を挙げる。その様子を横目に、村上は当真の言葉に甘えて空いている荒船の隣に腰を下ろした。
テーブル上の様子を見る限り、どうやら進学校の荒船とが当真に勉強を教えているようだ。なるほど、荒船との二人は成績も良いし、人への教え方も上手い。理論派の荒船は言わずもがなだが、感覚派の当真には理論を叩きこむだけではなく、丁寧かつ親身に面倒を看てくれるのようなタイプも必要だろう。
しかし、それにしても珍しい。当真は学校の成績など一切気にしないものだと、村上は思っていた。実際、これまでの高校生活の中で、当真がわざわざ本部でまで勉強している姿を見たことがなかった。これはいったい何の前触れだ。村上が訝しげにテーブルと当真を見比べていると、くすくすと小さな笑い声が聞こえた。
「村上くん、なんで当真くんが勉強を、って顔してる」
「…ばれたか」
「分かりやすすぎだろ、鋼。まあ、おまえの感想はもっともだがな」
「俺だってやりたかねーっての」
「当真くん、今回は赤点避けないと遠征に行けないんだって」
村上の疑問に答えたのは、当真の横で赤ペンを持つだった。恐らく当真の回答の答え合わせでもしているのだろう。時折ノートに視線を落とし、ペンを動かしている。指の動きから察するにバツが多いのは笑っていいところだろうか。
「赤点を取ると、補習があるでしょ?補習日が遠征と重なっちゃってて、当真くん、前回の試験のときは『長期任務があるから』って大目に見てもらえたらしいんだけど、さすがに今回は卒業のためにも難しいみたい。だから、遠征に行くために赤点を回避しないといけないの」
「サン…もうちょいオブラートに包んでくんない?さすがの俺のハートもボロボロよ?」
「事実だろ。大体、俺とがお前の勉強を見てんのだって、冬島さんから頼みがあったからだぞ」
「あーうちの隊長、面倒見いいから」
「そういう問題じゃない。お前が馬鹿すぎるんだ」
荒船の言葉と同時に僅かに引き攣る当真の表情。ちらりとテーブルの下に目をやれば、荒船の足が(自称)長い当真の足を思い切り踏みつけていた。どうやら、荒船は当真の不真面目な様子に大分ご立腹のようだ。
一方、同じく教師役のはといえば、変わらない笑顔のまま、採点が終わったらしいノートと問題集を当真のほうに返して、間違えた問題の解説を丁寧に始める。さすがの当真もこれは真面目に聞くらしい。クルクルと片手でペンを回しながら、の声に耳を傾けている。
「なんだ、真面目にやってるじゃないか」
「の前でだけだ。俺とマンツーマンの時はすぐサボりやがる」
「……ああ」
なるほどな。本日二度目の納得の言葉が村上の頭に浮かぶ。
別に荒船と当真の相性が悪いわけではない。当真だって、さすがに赤点を取りたいわけではないから、それなりに努力をする気はあるだろう。だが、気の置けない相手の前では意欲が緩んで、サボりたくなる当真の気持ちもわからなくはない。そして逆に、よく見せたい相手の前では、普段以上にやる気が発揮されるのも、理解できる感情だ。
「でも当真くん、頭が悪いわけじゃないからすごく理解も早いよ。勉強を始めたころに比べて、正答率も倍くらいになってるし」
「、甘いぞ。元の正答率が低すぎるんだ。こいつにはもっと厳しくしても文句は言われないぞ」
「ちゃんは優しいねぇ。荒船も見習えよ」
「……俺は帰る」
「荒船くん、当真くんも本気じゃないから、ね。それにほら、私、数学は得意じゃないから、荒船くんがいないと困っちゃうよ」
「…は相変わらずだな」
さすがあの菊地原の幼馴染を長年つとめているのは伊達じゃない。やんわりと場を和ませる能力が半端なく高いと村上は心から感心した。自分の隊の来馬先輩にも並ぶとも劣らないだろう。
が一通りの説明を終えると、次の問題に進むのかと思いきや、当真は椅子の背に思い切り寄りかかり身体を伸ばしだす。完全にやる気の糸が切れたのか、はーと長い息を吐き、疲れた表情で言った。
「しっかしなー、遠征のために勉強なんて、やる気の欠片も出ないだろ。別に俺、進学組でもねーし」
「確かに当真くんにとっては、これから先絶対に必要な知識ではないかもしれないね。でも、物理とか数学は狙撃にも活用できるんじゃないかな」
「奈良坂あたりなら考えそうだな」
「あ…そっか。当真くんは感覚派だもんね。えっと…じゃあ、冬島さんに何か頼んでみる?赤点回避したら、ご飯ご馳走してもらう、とか」
「冬島さんは完全にとばっちりだな」
「鋼、言ってやるな。隊長の宿命だ」
の提案に、「冬島さんなら、それくらい笑って許してくれるだろう」と荒船が同意する。村上も内心で二人に同意するも、どうやら当真は納得していないらしく、不満気な表情のままだ。
「当真くん、何か希望があるの?」
「そーだなー、例えば赤点回避したらちゃんが映画に付き合ってくれる、とか?」
「は…?」
「はぁ?」
「え、私?」
ニヤリ。当真の吊り上った口角に、村上も荒船も嫌な予感しかしなかった。こいつ、これが狙いか。
しかし、二人の予感も心配も露知らずか、は欠片の躊躇いも見せずに首を縦に振った。
「当真くんがいいなら、私はそれでいいよ」
「え、マジで?」
「うん」
「ちょっと待て、。よく考えろ。こいつの赤点はこいつの自業自得だ。お前が付き合う義理はねぇだろ」
「でも、冬島さんにも頼まれてるし、当真くんが行けなくなっちゃたら、他の遠征メンバーの人にも迷惑がかかっちゃうでしょ?それに、最近映画なんて観てなかったし。ホラー以外なら付き合うよ」
「おっし、約束だぜ、ちゃん。俺、やる気出てきた」
なんと単純なことか、先ほどまでの様子とは打って変わって、問題集に取り掛かる当真を横目に、荒船がに詰め寄る。荒船の視線には、本当にいいのか、と彼女を気遣う感情が溢れんばかりに込められている。
「、安易すぎるぞ」
「でも、当真くんはやる気になってくれたみたいだし。映画を観に行きたかったのも本当だよ」
「だが…」
「それに、柚宇とも似たような約束してるの」
「は…?国近と、か?」
「うん。私、当真くんだけじゃなくて、柚宇の勉強も見てるんだ。ほら、あの子も遠征組だから。でも、すぐにゲームに気が逸れちゃって。当真くんと同じみたいに、赤点回避できたら太刀川さんにご飯ご馳走してもらう約束と、私とゲームセンターに行く約束したの」
ね、似てるでしょ。
どこか満足そうに笑うに、荒船と村上はいったいどこから突っ込むべきかと頭を抱える。彼女の場合、これが計算でも鈍感なわけでもなく、本気でそう思っているから性質が悪い。
この様子なら、当真は間違いなく、恐らく国近も見事赤点を回避するだろう。二人には悪いが、その時は穂刈たちも誘って出かけるか。
そう遠くない未来に訪れるであろう光景を同時に思い浮かべ、荒船と村上は小さなため息とともに視線を交し合うのだった。
18歳組と仲良しな菊地原の幼馴染、だと美味しい。
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