フラットから君に告ぐ



「ガゼルーーーー!!!」

ことの発端は、耳に慣れすぎてしまっている幼馴染の叫び声だった。
広間のテーブルに突っ伏してうとうとと目蓋を閉じかけていたガゼルは、緩慢な態度で頭を起こすとものすごい勢いで駆け寄ってくるリプレを見上げた。
どうやら、冗談だとか笑い話でなく、本気で「何か」があったらしい。
口を一文字にぎゅっと結ぶ彼女を見て、ガゼルは椅子から立ち上がる。

「どーした、リプレ。また、北の奴らが」
難癖でもつけにきたのか。
そう繋がるはずの言葉は、容赦ないリプレの叫びにかき消された。
「空から女の子が降ってきたのよ!!」
「………………はあ?」
「だから!お ん な の こ !いいから来て!早く!!」
「いや、おい!ちょっと待てって!!」

是非も問われず力任せに庭に引きずられたガゼルは、その光景を見て言葉の通り絶句した。
上部からの大きな力で不自然に折れた木の枝と、それを下敷きにして倒れている少女がひとり。
遠巻きに子供達が観察しているが、気を失っているらしくぴくりとも動かない。

「…てか、ほんとに降ってきたのかよ」
「本当よ!洗濯物乾してたらいきなり大きな音がしてこの子が落ちてきたの」
「しっかし…だとしたらよ」

考えられる可能性がないわけではない。けれど、この場でそれが起こる可能性は0に等しいはずだった。
リプレや子供達に離れるよう告げると、ガゼルは慎重に少女に近づいた。
近くで見れば見るほどその少女は自分達と大して歳の変わらない、ただの女の子にしか見えなかった。唯一違う点と言ったら、見たことがない変わった服を身に付けているところだろうか。

「ん…」
「!!
 オイ!生きてるのか!?」

微かに漏れた声に思わず駆け寄り、2度頬を叩く。
それに反応して、少女の肩が大きく動いた。そして、ゆっくりと開かれる瞳。眠たげに半分だけ開いた目は、夜を連想させる黒を宿していた。

「ん…あ、あれ…?」
「ガゼルっ!その子大丈夫なの!?」
「へ…?」

少し離れた場所でリプレが言う。まるで、その声に応えるように、目を覚ましたばかりの少女は思い切り体を起こした。顔を覗きこんでいたガゼルに、もう少しでぶつかるところだったことなど、気にも止めていないらしい。

「お、オイ」
「へ、へっ!?ちょ、待って!?何ここ?」
「はあ?お前、いきなり何言ってんだ」
「つーか、何これ?コスプレ!?噂の現場!!いや、絶対違う。ちょっと待って、落ち着こう。あたし、ついさっき兄やんと遊んでたはず、うん。で、無性に眠くなってうとうとして…あ!わかった!!これ、夢だね!夢オチって奴でしょ!?」
「いや、だから」
「うわーあたしの夢、すっごい鮮明!なんたって切り傷が痛い!…………へ?痛い!?ちょっと待ったあたし!夢って痛くないのが相場じゃないの!!ねえ、ちょっとそこの人!あたしにここがどこだが解説してーーーーー!!!!」
「だから俺の話を聞きやがれーーーーっ!!!!」








「…驚いた。、そんなことしたのかよ」
「あたしだってさすがに今は反省してる。でも、あんときはわけわかんなくてどーにもできなかったんだって」

それにしても取り乱しすぎだろ。
ハヤトと兄やんの突っ込みに、あたしはぐうの音もでなかった。
さすがにあたしもあれはまずかったと思う。今からすれば、撲殺して切り刻んで海に流して捨ててしまいたいくらいの最低最悪の過去だ。

「でもさーハヤトたちだって多少はパニくったでしょー?あたしの場合はその場でガゼル達に逢ったから、そのパニくりがばれちゃってるけど…絶対ふたりだって笑える状態だったと思うよ?」
「にしても、の慌て方はすごかったと思うわよ」
「リプレまで!ひっどー誰かあたしの弁護もしてよ!!」
「だって、に服つかまれて揺すられてたガゼルが、あの後気持ち悪くなっちゃって私も大変だったんだもの。これくらい言ってもバチは当たらないと思うわよ」
「うぐ」

確かに、あのあとガゼルはしばらく部屋から出てこなかったけど。
レイド達に状況説明してもらった後に改めて逢ったら、すっごい距離とられて警戒されたけど。
でも!それも全てあたしを召喚した奴の責任!!あたしに罪はなし!!

「それで結局、件の召喚師は見つかってないんだろ?」
「そうなんよ、兄やん。あのあと、レイドとエドスも探してくれたんだけど…姿どころか目撃情報のひとつもなしよ」

あたしがリィンバウムと呼ばれるこっち側の世界に召喚されて、もう3年がたつ。
当時花の中学2年を満喫していたはずのあたしは、レイドやエドス達に自分の状況をなんとなく教えてもらってからずっと、このフラットで過ごしてきた。
最初はもうすっごい取り乱して、繁華街言って叫びだしたり(めちゃくちゃ慌てたガゼルに頭殴られて回収されたけど)大泣きしたり(リプレ曰くフィズの泣き声よりでかかったらしい)大変だったけど、リプレとかガゼルとかみんなに優しくしてもらってなんとか生活ができるようになった。…今にして思えば、あたしってすっごい我侭だったんだよな。リプレもガゼルも、あたし以上に厳しい人生送ってんのに1度だって弱音を吐いてるとこ見たことない。なのに、あのときのあたしは自分のどうしようもない運命って奴に悲観してばっかりだった。ほんと、どうしようもない阿呆だったわけだ。

「ま、おかげさまで今のあたしはリィンバウムにかなり馴染めたし?これから逢うことがあっても『歯ぁ、食いしばれ』って言って殴って終わりにしてやるけどねー」
「お前、それ全然冗談になってないから」
「いや、冗談もなにも本気だし。でもさー半殺し、って言わないだけかなり優しくなったと思うわけよ、あたし」

なにせこっちきてからの3年間で大きく成長しましたから。
そう言ったら、リプレにすっごい適当にハイハイって流された。
…ちょっとリプレさん。あたし、優しくないデスカー


「にしても、まさか3年前から行方不明になってたとこんなところで再会なんてなー世の中ってやっぱ、広いよーで狭いよなー」
「あたしもそれはどっきりよ。帰ってきたらハヤトに兄やんがいるなんて心臓飛び出るかと思ったわ」

ちなみに、ハヤトこと新堂勇人はあたしが中学生だったときのクラスメイトだ。
兄やんことトウヤ兄こと深崎藤矢はあたしと同い年の又従兄弟。でも、意外に家が近かったから閑があれば兄やんちに遊びに行ってた記憶がある。いっつもあたしが勉強教えて貰ってたから、なんか同い年な感じがしなくてずっと"兄やん"って呼んでたけど…今の兄やんは背もかなり高くなってるし、今度こそ間違いなく兄やんだな。今更トウヤなんて絶対に呼べない。

「てかさ。街で北の連中がまたこっち来てるって噂聞いて飛んで帰ってきたら、もうすでに撃退後、なんてすっごいよね!
 兄やんは昔っから剣道やってたけど、ハヤトってばなんか格闘技やってたんだっけ?」

刹那、あたしの方をみるハヤトの顔が思いっきり引き攣った。
…ヤバイ、なんだろう。今、なんか絶対に後ろ向きたくない。だってハヤト、世界の終わりみたいな、見てはいけないものを見てしまった顔してるんだもん。
しかし、背中に着々と増える恐ろしい視線の重さが、振り返らないという選択肢を完全に排除する。あたしは、決死の覚悟で後ろを向いた。

「リ…リプレ、さん?」

ついさっきまで、麺棒片手とはいえにこやかーに話してたはずのフラットの母は、同じく笑顔と名のつく表情を浮かべてはいるものの、その眼はまったくもって笑っていなかった。
まずい、あたし。絶対、どっかで地雷踏んだ。
だらだら流れるあたしの冷や汗に気付いてるくせに、なおも満面笑顔のリプレが言った。

「そういえば、ハヤトたちとの再会に気を取られてすっかり忘れるところだったわ」
「わ、忘れたままでいいよ、うん」
「ねえ、?私もガゼルもレイドも、"ひとりで繁華街には行っちゃダメ"って何度も言ってるわよねぇ」

料理を作るための道具が、攻撃力100くらいの凶器に見えました。
てか、リプレママ。あたしまだ、パンの生地にはなりたくないです。ついでにあたしの希望、さらっと無視しないでよ。

「べ、別に繁華街に行ってたわけじゃ」
「じゃあ、いったいどこに行ってたの?」
「あーえーっと…ほら、商店街!」
「こんな遅くまで開いてるお店ってあったかしら?」
「じゃなくて、えーっと…あの、ほら」
「どーして言えないの、っ!!」
「あう」

結局あたしはガゼルと一緒で、こうなったらリプレに謝るって手段しか持ってないわけで。
今度からはひとりで繁華街には行きません、って何度目かもわかんない約束をさせられて、明日の朝ご飯の後片付けという罰をかせられるのであった。

加えて言えば、あたしとリプレのやりとりをハヤトと兄やんはずーーーっと笑いながら眺めてた。
…絶対、明日の朝は手伝わせてやると、心に誓う瞬間だった。

!返事は!!」
「は、はい!!」

椅子から立ち上がってびしっと敬礼。
ついで、また部屋にとどろくふたりの笑い声。

今までよりもまた賑やかになったフラットで、あたしの生活がまた始まる。
きっと、明日は今日よりずっと楽しいはずだ。
そんなふうに思って、あたしも笑った。




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