月も隠れた初夏の夜更け。
自室のすみっこでせっせと藁と格闘する青年を呆れ顔で眺めていたは、空になった自杯に酒を注いだ。
「…それは、余の酒だ」
「どーせ飲んでないんだからいいじゃん。お酒だって、じめじめした気分の奴に飲まれるより、私みたいな年頃の女性に飲まれたほうが喜ぶってもんよ」
「の"年頃"は何年も前に裸足で走り去って行ったと、くそじじいが言っていたぞ」
「じーさんの戯言を真に受けるなんて、若坊ちゃんは随分と頭が弱くなられたようで。お姉さんは一国民として、彩雲国の未来が心配でなりませんわ」
よよよと泣き崩れた真似をするに、思わず手の中の物を投げつけてやりたくなった劉輝だった。しかし、自分が握っているのは秀麗の無事を願う「愛の藁人形」の材料。仕方なく恨めしい視線だけを送ると、お返しとばかりにあからさまな溜め息が端整な唇から零れ落ちる。
「心配しなくても、打てるだけの手は打ったんでしょ?」
何もかもを見透かした彼女の声に、劉輝は無言で頷く。
「黎深も玖琅も、秀麗のことは自分の子ども並みに大切にしてるし、茶州には黎深でさえ敵わない悠舜さんだっている。あと、あんたに出来ることなんて、堂々と王座に座って待ってることだけなんだって、いくら単細胞なおつむでも解かるでしょう」
言ってることは間違ってないのだが、もう少し王様である自分を敬ってくれても良いのではないか、と密かに劉輝は思った。
なんだかんだと言いつつも、何かと劉輝を気にかけ遊びに来てくれるではあるが、その王を王とも思わない態度は間違いなく養い親の影響をそのまま強く受けている。本人は必死に否定するだろうが、被害者である劉輝からすれば「蛙の子は蛙」という言葉をここまで体現した例もないと大声で叫びたいほどである。
いいんだどうせ余なんて…と再び藁に向き直ってしまった劉輝に、は本日二度目の溜め息を吐く。
(こんなんだから、じーさんの良いように遊ばれるんだよなぁ)
やれやれと肩をすくめて椅子から立ち上がり、その足でいじけた子どもの横に腰を下ろす。訝しげな表情で自分を伺う彼の手から藁の束を奪いとると、は器用にそれを編み始めた。
「茶州は、ふたりを絶対死なせたりなんかしないよ」
「…兄上もいるのだ」
「だいじょーぶ!静蘭だけならまだしも、今回は燕青までいるんだよ?悪いけど、彼らの相手をしなきゃなんない新"殺刃賊"の連中が可哀想過ぎるくらいだね。まぁ、唯一心配なことがあるとすれば、あのかわいー秀麗が茶州で求婚されたりしないか、ってことくらいだけど」
「い、いかんのだ!秀麗には余がいるのだ!」
「若坊ちゃんは置いといて、それも静蘭がいるしねぇ。やっぱり、心配することなんてひとつもないじゃん」
以上、証明終了!
面倒臭そうに言い終えたは、親指にぴったりはまるくらいの小さな日よけ帽子を劉輝の手のひらに放る。藁で編みあげられたそれは、小さいながらも綺麗に仕上がっており、劉輝は感嘆の声をあげた。
「そんなもんで驚かない。
というか、藁人形に愛をこめるくらいなら、帽子でも作って贈った方が実用性もあって良いだろう、って簡単なことになんで気付かないかな」
「む、しかし余はこの帽子の作り方を知らぬのだ!」
「そりゃ知らんでしょ。私も今初めて作ったし」
「なんと!初めてでこの出来とは!は藁帽子編みの名人になれるぞ!」
「そんなんになってどうする。
おバカなこと考えてる暇があったら明日の為に寝る!もしくは来年以降の女人官吏登用の良い方法でも考える!」
どれだけ怒鳴られても、バカと言われても。その言葉に一欠けらの毒もないことを劉輝は知っていた。
自分の親指にはまった藁帽子を見つめ、ほくほくと頬が緩まるのを感じる。来年の夏には、家庭菜園に精を出す秀麗の頭にぴったりの藁帽子を贈ろう。紫と紅の飾紐を結って。
「そんな顔でにやけてると、まーた絳攸に怒鳴られるよ」
「大丈夫だ。今回はと藁帽子作りだからな。絳攸はとすることには甘くなってくれるのだ」
「…なんで私が教えること、前提になってるわけ」
「よし!明日の晩は余との藁帽子編みで決まりだな」
「……もう、決定事項なわけね」
深く深く息を吐きつつも、にこにこ無邪気に笑う姿に中てられては頷くしかない。
この犬みたいな懐っこさが、年若い王の一番の武器なのかもしれない。
明日の藁の注文を検討を楽しげにする青年の頭を一撫でし、藁帽子編みの名人になる日もそう遠くないのかもしれない、と密かに嘆くだった。